夕日が照らすその洋館は
長かった夏休みも終わり、新学期の始業から一週間が経った。
「……で、明日から週末と祝日休校で三連休だ。くれぐれも
ホームルームを進行する担任の声もよそに、その生徒は
時刻は午後四時を少し過ぎたころ。教室全体を見渡せるその奥まった位置からは、帰り支度を済ませたクラスメイトたちの様子が
だが、話を終えた担任の次の一言に、彼の意識は急に現実へと引き戻された。
「あー、それから
「……はぁ」
名前を呼ばれた彼──
「……なあ柳。どうしてそこまでして先生の課題をやってくれないんだ」
放課後の職員室で、担任の
夏休みが終わって一週間、颯一は課題のひとつである読書感想文を提出しようとしなかった。彼はクラスに馴染もうとする素振りもなく、一見すれば
「言ったでしょ。俺、本は嫌いだから」
「先生もそんな子供じみた理由は通じないって言ったんだがなぁ……」
ネクタイを緩め、お手上げといった様子で梅木は天を
「もう勘弁してよ、
「……校内でその呼び方はしないって約束、忘れたか?」
彼らは生徒と担任という
「それに担任である以上、課題の未提出を見過ごすことはできないからな。だがチャンスくらいはやる」
そう告げると、梅木は一枚のメモ用紙を颯一に手渡した。
「お前が本を選ぶまで待ってたら永遠に終わらないだろうからな。今回だけ特別に先生の推薦図書を選んでおいたから、それ読んで週明けに感想文持ってこい」
「ちゃんと終わらせてきたら、今回の件は
「……そっちだって身内扱いしてるくせに」
くしゃくしゃと乱暴に頭を撫でられた年下の従兄弟は、不服そうに
「……はぁ」
人影もまばらになった放課後の校庭を、颯一は深いため息を吐きながら歩いた。梅木に呼び出しを受けたその後、メモ用紙に記載されていた本を探すため図書館を訪れたが、タイミングの悪いことに別の生徒に貸し出されていた。こうなれば、書店を探して自費で購入するほかない。例えようもない息苦しさに、再度大きなため息が漏れる。
柳颯一は、本が嫌いだ。
それがいつからだったかはわからない。思春期を迎えたころから、物心がついたころから、もしかしたら生まれたときからだったかもしれない。そのきっかけが何であれ、憎らしいほどに本が嫌いだ。空想の物語が気に入らないだとか、誰かが得意げに語る主張に嫌気が差すだとかではない。ただ純粋に、
本が嫌いであるなら当然、図書館や書店という場所も心の底から嫌いだった。棚に並べられた無数の本を見ていると、それだけで息が詰まりそうな感覚に
校門を出て、二十分ほど経過しただろうか。颯一が向かったのは、通学路からは少し外れた場所にある
この公園は、必要以上の人間関係を求めず
一息ついたところで、颯一はポケットから携帯電話を取り出し、近隣の書店を検索してみる。時刻は午後六時に迫ろうとしており、めぼしい書店は
「なんだ、ここ。本屋というか……洋館みたいだ」
そこに写っていたのは、茶色を基調としたレンガの壁に彩られた、シックな建物だった。横に広く伸びた外観と、
「『
なんだか回りくどい言い回しだ、と首を
迷路のような街路を抜け、携帯電話のマップが示した先にあった建物は、まさに写真で見たとおりの印象を与えてくれた。
つい先ほどまで見ていた
(本屋じゃないなら、そうであってほしかった気もするけど……ここまで来たんだし、さっさと本を見つけて帰るか)
いつも見せるようないたずらっぽい笑みを浮かべた梅木が、颯一の脳裏をよぎる。課題を出した暁には文句のひとつでも言ってやろう──そんなことを考えながら、重厚な扉に手をかけた。
からんからん、と入店を知らせるベルが鳴る。
最初に反応したのは、嗅覚。埃っぽさは感じられないが、古びた建物の放つ独特の香りが
「おや、この時間にお客様とは珍しい。どうぞこちらへ」
そう声をかけてきたのは、
「……あの。ここ、本屋さんだって聞いたんですけど」
おずおずと尋ねた颯一に、老紳士は目を細めて笑ってみせた。男性の左胸には、『
「ふふ、驚きましたかな。はじめて訪れるお客様は、
どうやら、先ほどの広間はエントランスのような役割であり、書店としての機能は別の部屋に割り当てられているようだ。別館という単語が示すとおり、この洋館の敷地は相当な広さを有しているのだろう。
ほどなくして、石蕗は廊下の突きあたりにある扉の前で足を止めた。
「こちらが書棚でございます。閉館は二十時ですので、ごゆっくりお過ごしください」
「あっ、はい。どうもありがとうございました」
「いえいえ。素敵な物語との出会いがございますよう」
そう告げると、石蕗はお手本のようなお辞儀をして立ち去っていった。彼の前では愛想笑いを浮かべていた颯一の表情が、みるみる
颯一は意を決した様子で、金属のドアノブに手をかける。ギィ、という音とともに開いた扉の先には、おおかた想像どおりといった内装が広がっていた。心のどこかで、想像とは違ったものを期待していた颯一の意識が、途端に現実へと引き戻される。
広々とした部屋の中央には、二人掛けの円形テーブルと木製の椅子のセットがいくつか。おそらく読書スペースなのだろう。それらを囲むように、壁面には二メートルほどの高さの本棚がずらりと並び立っている。読書スペースの左右にも数列の棚があり、ジャンルごとにきれいに整列された蔵書の数々が目に入った。ひとつ見慣れないものがあるとすれば、部屋の正面奥にあるステンドグラスの大きな窓くらいなものだが、それ以外の設置物は誰もが想像しうる『書店』のそれであった。
──息が詰まる。脈拍が速くなっていく。定まらない視線を、
「あの……本、お探しなんですか?」
そのとき聞こえたのは、鈴の
そこに立っていたのは、真っ白なワンピースを身に
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