桜桃木眠梨は夢を診る

久音

夢、出会い、停止した時間の中でⅠ




これは夢、なのだろうか。

 

 眼前にぼんやりと広がっているのは、はるか以前に見慣れていたはずの部屋。正面の窓から差し込む木漏こもれ日、その温かい光に照らされる勉強机。中央には真新しいカーペットが敷かれ、壁面にある背の高い本棚には数えきれないほどの本がぎっしりと並んでいる。背表紙を見れば、知育絵本や生き物の図鑑、小難しい小説、辞書のような厚さの文学資料の数々……どれも記憶の片隅かたすみにあるものばかり。

 ──ああ。あの頃は、ただひたすらに楽しかった。

 まだ見ぬ言葉たちと出会えることが、心の底から楽しいと思えた。それなのに。




 まばたきをした瞳に映るのは、呪いのように焼きついた光景。

 その日は長く、冷たい雨の降る日だったのを、はっきりと憶えている。

 薄暗い部屋。破り捨てられた原稿用紙が机上きじょうを埋め尽くす。ほこりで汚れたカーペット。倒され、ぼろぼろに成り果てた本棚。折れ曲がり、破られ、なにかを書き殴ったようなあとのある本が、そこらじゅうに散らかる。思い出したくなかった過去が、残酷なほど鮮明に、脳内を塗りつぶしていく。ああ、夢ならはやく覚めてくれ──




 その時かすかに聴こえたのは、小さな声。

 窓を叩く雨音あまおとに紛れ、部屋のすみで泣く声は、たしかに幼い自分のものだった。

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