アヴァグドゥの街

 朝の肌寒さと小鳥たちの囀りで慎は目を覚ます。板張りの床で寝具もしかずに寝たせいで身体は固まり、節々が悲鳴を上げていた。慎はぐっと伸びをすると、ぼーっと辺りを見回す。無骨な石造りの壁に少し体重を預けただけで軋む床板。ぼろぼろのテーブルに、椅子が二脚置いてある。兵士たちの詰め所は実に簡素だった。


 しかしそんな質素な部屋に似つかわしくない、豪奢な存在が慎の隣にいた。慎が視線をその存在に移す。一人の銀髪の美しい女性、女神ディアーナが毛布に包まっていた。毛布はディアーナの呼吸に合わせ規則正しく上下していた。


 今日はこれから身分証明となる協会証ギルドタグの再発行に行かなければならない。もともと持っていないのだからというのもおかしな話だが、この世界で生きていくためにも必須のものだろう。なんとか手に入れる必要があった。


 再発行の際に一体なにが確認されるのか。何か照合されるようなことがあればもはやお手上げかもしれない。そのときは出たとこ勝負か、などとこれからのことを考えると気が気でない慎であった。そんな慎を尻目にディアーナはすぴーすぴーと暢気な寝息を立てている。その様子を見た慎は無性に腹が立ち、ディアーナの鼻を摘む。


「ふがっ!」


 と、なんとも淑やかさに欠けた寝息とともに、みるみるディアーナの顔が苦悶の表情に染まっていく。


「ぶはっ! 溺れる溺れる!? はっ! 夢!?」


 呼吸が限界に来たのか、ディアーナは目を覚まし辺りをきょろきょろと見回す。目を覚ます直前、慎は手を離しており、何食わぬ顔で挨拶する。


「おはよう。くくくっ」


「溺れて死ぬかと思った……って、何笑ってんのよ?」


 寝起きのディアーナが金色の瞳に不機嫌な色を浮かべて、じとっとした目で慎を睨む。さらさらの流れるような長い銀髪は寝癖であちこち跳ねていても、それでも美しいものなのだなと慎は思うが、口にはしなかった。


「いいや、なんでも?」


「何なのよ! もう!」


 にやにやと笑みを浮かべ、肩を震わせるだけでまともに取り合おうとしない慎に対し、むーっと頬を膨らませるディアーナ。終いにはぷいっとそっぽを向いてしまった。


「お前たちは朝から何をいちゃついてるんだ……」


 そんな様子を二人を起こしにきたダンキンが見て呆れる。慎とディアーナは、ダンキンに向き直り、


「いちゃついてなんていません!」

「いちゃついてなんかないわよ!」


 と、同時に大声を上げるのだった。ダンキンは肩を竦め、はいはいと適当に返事をする。慎とディアーナはお互いを見ると、鼻を鳴らし顔を背けた。窓から差し込む朝日で、二人ともお互いの頬が僅かに紅潮していることには気づかなかった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「よし、じゃあ冒険者協会ギルドに案内しよう。開門!」


 ダンキンは昨夜と同じ甲冑姿で門の前に立ち、開門の号令をかけた。巨大な門が石の擦れる低い音と共にゆっくりと開いていく。門が開くにつれて徐々にその全貌を露にする辺境都市アヴァグドゥ。その光景に慎は息を飲んだ。


「すげぇ……」


 アヴァグドゥは活気に満ち満ちていた。陽が昇ったばかりだというのに往来には人が溢れ、露店が立ち並んでいる。道の両脇には頑丈そうな石造りの家々が立ち並ぶが、無骨ながらもどこか暖かみを感じる街並みだった。


「では、行くか」


 慎とディアーナはダンキンに連れられ、アヴァグドゥの冒険者協会へ向かう。街の大通りを連れ立って歩きながら、慎はすれ違う人々を興味深げに観察する。すれ違う中には普通の人間もいるのだが、慎がいた世界では考えられないような人とすれ違うこともあった。その多くは頭に兎や猫など動物の耳の生えた人が居たり、異常なほど筋骨隆々な人、極端に背が小さい人など様々だ。そんな人々を見るたび慎は異世界に来たことを実感する。


 漫画や小説でしか見たことのない存在が目の前にいる。それは否応無く慎の胸を高鳴らせるのだった。


「なんだ、シン。獣人達を見たことが無いのか?」


 そんな慎を見て、ダンキンが歩きながら声を掛ける。


「ええ、俺の故郷には居なかったもので……」


「そうなのか。動物の耳が生えてるのが獣人、やたらとガタイがいいのがドワーフ、小さいのがホビットだな」


 ダンキンはすれ違う人々に挨拶をしながら、淡々と説明していく。


「獣人は動物それぞれの能力に特化した人達だな。兎なら聴力や瞬発力、猫なら機動力といった具合だ。ドワーフは見た目どおり腕力が強い。ホビットは手先が器用なのが特徴だな」


「へぇ~、そうなんですね」


「ま、見た目が違うだけで同じ人だ。構えることはな――」


 ダンキンが構えることはないぞ、と言おうとしたときだった。


 ぐぅ~~


 と酷く間抜けな音が聞こえてきた。慎とダンキンが音のした方を見ると、ディアーナが腹を抱えて恥ずかしそうに顔を赤らめていた。


「……なか、す……た……」


「え?」


「お腹が空いた! 何か食べたい!」


 音の正体はディアーナの腹の虫だった。本当に気高い女神なのだろうかと、疑いたくなるほど欲望に忠実なディアーナを見て、慎は眩暈がしそうになる。だが、昨日転生してから何も食べておらず、空腹を感じているのは慎も同じであった。立ち並ぶ露店から漂う瑞々しい果物の甘い匂い。肉を焼く香ばしい薫り。そのどれもが鼻腔をくすぐり、二人の空腹感に拍車をかけていた。


 しかし、ここで一つとても重大な、避けることのできない問題があった。


「俺だって腹減ったよ。でもな、ディアーナ。俺たちには金がないんだよ!」


 そう、慎達は無一文だった。この身一つで転移してきた慎とディアーナ。当然のことながらこの世界の金銭など持っていない。金がなければ食べ物すら買うことができない。もといた世界では当たり前のように出来ていたことが出来ないというのは、酷くもどかしいものだった。


「でもお腹空いたの! あんた、その服でも売って食べ物買ってきてよ!」


「はあ!? 俺にパンツ一丁で街を歩けってのか!? 捕まるわ!」


「じゃあどうすんのよ!?」


「どうするもなにも金が無い以上、どうすることもできねぇよ!」


 往来で金がないと騒ぐ二人の異邦人。注目を集めるには十分な要素が揃っている。ダンキンは厄介なことになる前にある提案をする。


「落ち着け二人とも。飯ぐらい奢ってやる。確かに朝から何も出してやれなかったのは悪かった」


「そんな、ダンキンさんが悪いわけじゃないですよ。それにそこまでしてもらうわけには――」


「ホントに! やった! ありがとう、ダンキン!」


 慎は断ろうとするが、ディアーナはそんな慎のことなど気にも留めず、図々しく奢ってもらう気十分のようだ。慎は肩を竦める。


「遠慮するなシン。飯ぐらいどうってことない」


「すいません……ありがとうございます」


 慎は観念しダンキンの言葉に甘えることにした。二人はこうしてこの世界で始めての食事にありつくことが出来た。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「おいひぃ~!」


「食べながら喋るなよ。零してもしらねぇぞ」


 三人は朝食として買ったサンドイッチを頬張りながら、冒険者協会を目指すべく大通りを歩く。


「ところでダンキンさん、この街について教えていただいても?」


 慎はサンドイッチを咀嚼し飲み込んだあと、ダンキンに尋ねた。少しでもこの世界の情報を仕入れておきたかったからだ。


「そうだな、協会に着くまで簡単に話してやろう」


 そういうとダンキンは軽く咳払いをし、顎鬚をなでた。


「さっきも言ったがこの街は辺境都市アヴァグドゥ。カーマーゼン王国の東のはずれに位置する街だな」


「カーマーゼン王国?」


「カーマーゼン王国を知らんのか? このウェルズ大陸の国家だ。他に大きな国家としてはルゼルフ帝国、ヘルゲスト魔導国、タリエシン教皇国があるな。他にも様々あるが、主要な国家はこんなとこだろう」


 どうやら慎とディアーナが転移した場所は、ウェルズ大陸という大陸の一国家であるカーマーゼン王国というらしい。地図もなにもないために位置関係などは把握できないが、代表的な国家の存在を知ることができたのは大きい収穫だった。


「へぇ、そうなんですね」


「そうなんですねって……常識だぞ? もう少し勉強したほうがいいんじゃないか?」


 ダンキンは呆れたようにため息をついた。慎もダンキンの言う事はもっともだと思う。この世界の常識を知ることで無用なトラブルに巻き込まれずに済むこともあるだろう。知識を身につけて損はないはずだ。


「ははは……頑張ります」


「私は勉強なんて嫌よ」


 話を聞いていたディアーナがサンドイッチのソースがついた指を舐めながら、ぴしゃりと切って捨てる。勝手なことを言うディアーナに冷たい視線を向けながら慎は口を開く。


「お前もするんだよ、馬鹿女神」


「また馬鹿って言ったわね!?」


「何度でも言ってやるよ、馬鹿女神」


「きぃーーーっ!」


 ダンキンはやれやれと首を振り嘆息する。仲がいいのか悪いのか。じゃれついたり喧嘩したりと忙しい二人であった。ダンキンはそんな二人を暖かい視線で見守りながら、歩を進めていく。


「お、やっと見えてきたぞ。もうそのくらいにしておけ、お前たち」


 ダンキンの言葉を聞いた慎とディアーナは、口喧嘩を中断し正面を見据える。


 そこには地上三階立ての立派な石造りの建物が鎮座していた。建物の上には旗が掲げられており、旗には盾の上に剣と杖が交差した紋章が描かれていた。


「あれが冒険者協会だ」


 冒険者。慎はその言葉を聞くと、胸が高鳴るのを感じる。先の不安はまだまだ多いが、ファンタジー世界でのこれからの生活を考えると、慎の鼓動は自然と早くなっていくのだった。

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無能の女神と転生者の復活冒険譚 まけい @makei

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