とりあえず一息

「ぎゃーーーーー! 目が! 目があぁぁぁぁあぁあぁぁあぁ!」


「ホーーホーーボボーーー!」


 宵闇に包まれた静かな森に閃光が走った後、女性の絶叫とミミズクの咆哮が響き渡った。ディアーナと怪物が悶絶する声だった。暗闇の中で目が慣れきってしまっているところに強烈な閃光を浴びたのだ、怪物の視覚を当分の間は潰すことが出来ただろう。


「こんの馬鹿女神は! 目を塞げって言われたのに!」


 ディアーナは両目を押さえながら、ごろごろと地べたを転げまわっている。慎は呆れたように悪態をつくが、今はそんな時間が惜しい。


「君達! こっちだ!」


 慎は転げまわるディアーナを拾い上げると、一目散で中年男性の下へと走り出す。後ろからは怪物が暴れまわっているのか木々のへし折れる音が鳴り続けていた。


 男性に近づくにつれ、その全貌が明らかになってくる。男性は甲冑を着込みその手には槍を携えていた。兜はつけておらず、短く切りそろえられた茶髪と髭が印象的だ。周りには男性と同じ甲冑に身を包む人間が三人ほど馬に乗って待機していた。どうやら近くの街の兵士らしい。


「君達、早く馬に乗るんだ!」


「すいません! ありがとうございます!」


 慎は言われるがままに馬に乗っている兵に近づき、馬の上へと引き上げてもらう。ディアーナは別の馬に乗っている兵に乱暴に手渡す。渡すときに「ぐえっ」という声が聞こえた気がしたが無視することにした。


 茶髪の男性は準備が出来たことを確認すると、


「よし! オウルベアはまだこっちが見えていない! 撤退するぞ!」


 という号令と共に馬を走らせた。オウルベアと呼ばれた怪物はまだ暴れ続けているが、その光景がみるみる小さくなっていく。慎は後ろを見てひとまずは危機が去ったことを確認すると一息ついたのだった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 馬に乗って四判刻ほどすると、周囲が壁で囲われた街が見えてきた。固く閉ざされた門の前まで来ると、茶髪の男性は馬を止めて降りる。それを見て他の兵たちも馬を止め次々と馬から降り、慎達も門の前に降り立った。


 茶髪の男性は慎達に向き直ると、顎鬚を撫でながら話し始めた。


「危ないところだったな。ここまで来れば安全だ。オウルベアは森からは出てこないからな。私はダンキン・ダウナー。この街、辺境都市アヴァグドゥで門番統括をしている。それで、君たちはなんだってあんな時間にオウルベアの森に居たんだ? それにその服、ずいぶん面白い格好をしているな」


 ダンキンが訝しむのも無理はない。慎は転生する前に来ていた服、つまりつなぎを着ており、ディアーナは薄手の豪奢なドレス。そんなちぐはぐかつ怪しげな二人組みが、夜中に森の中の街道で怪物――オウルベアというらしい――に追われていたのだ、誰だって不審に思うだろう。


「あ、えーと俺は――」


 慎はどうやって自分たちが怪しいものでないと話したものか逡巡する。が、そんな悩みを他所に隣に立つディアーナが胸を張って高らかに告げる。女性らしいふくらみがつんと天を向く。


「私は、月と狩猟の女神ディアーナ! さあ崇め奉りなさい! 人の子よ!」


 ディアーナはふふんと自慢げに鼻を鳴らすが、その言葉を聞いていたロバート達は顔を見合わせる。長い沈黙が続いた後、ダンキン達は可哀想な人間を見る眼をディアーナに向けた。


「嬢ちゃん……自分を女神って、頭大丈夫か? 顔は綺麗なのに台無しだぞ? それに月の女神ったらアリアンロッド様だろ? ディアーナなんて聞いたこと無いぞ?」


「……え?」


 とても悲しい事実だった。どうやらこの世界では信仰されている神々が異なるようだ。ディアーナはこの世界では知名度の無い存在だった。その事実を認められないディアーナはダンキンに掴みかかり、がくがくと揺らしながら叫ぶ。


「嘘でしょ!? 嘘だと言って!? 私はめが――もごっ!」


「あはは、すいませんダンキンさん、ちょっと頭の痛い子なんですよ。連れが失礼しました」


 慎はディアーナの口を両手で包み、余計なことをしゃべらないように抑える。ディアーナはもごもごとなにやらしきりに口を動かし抗議しているようだが、慎は無視を決め込んだ。


「いや、気にしていない。ま、まぁそういう時期もあるだろう」


「分かってもらえて何よりです。俺の名前は一条慎といいます」


 腕の中でいまだに女神がじたばた暴れておりうっとおしいが、慎はにっこりと笑って自己紹介をした。


「イチジョウ? 珍しい名だな」


「あぁ、すいません。慎が名前です。シン・イチジョウです」


「そうだったか。それでシン。君達はなぜあんな時間にあの森に? 見たところ成人して間もないくらいのようだが……それにその黒髪も珍しいな、東の出か? だがそれにしてはその嬢ちゃんは銀髪だしなぁ」


 慎は思考をめぐらせる。果たしてここで馬鹿正直に自分たちの境遇を話してしまってもいいものかどうか。だが、その案は早々に却下する。先ほどのディアーナとダンキン達のやりとりを見ていれば、正直に話したところで慎までも痛い人間扱いされるだけだろう。だから慎は思いつくままに口を開く。


「えーと、俺は、親から旅に出るように言い渡されて故郷、極東の村を旅立ったんですけど、その途中おんなじような境遇のこいつと出会ったんです。で、二人旅してたんですけど道中路銀が尽きた上に、道に迷っちゃって……それで彷徨ううちにあの森に入り込んじゃったんです」


 なんとなくそれっぽい理由をつけて怪しまれないように境遇を説明する慎。細かく考えるといろいろと無理のある設定だったが、慎にはこれ以上思いつかなかった。ダンキンはやや怪しむような仕草を見せたが、厳しい境遇の若者に対する憐憫が勝ったのだろう、納得したように一つ頷くと口を開いた。


「そうか、大変だったな。今日はもう街で休みたいだろう? 協会証ギルドタグを見せてもらえるか? 街に入るために身分確認が必要でな」


「ギルド、タグ?」


「なんだ、まさか協会証を持ってないのか? 協会証を持ってない人間なんて犯罪者か奴隷くらいのもんだぞ?」


 怪訝な表情で慎の顔を覗き込むダンキン。慎はしまったと思う。どうやらこの世界では身分証明のために協会証ギルドタグなるものが使われているらしい。そのタグを慎もディアーナも持っていない。これでは自分たちの身分が証明できず、街に入ることが出来ない。


「あー、えーっと、協会証ですよね! 協会証! どこにやったかなぁ」


 慎は咄嗟に話を合わせた上で自分の体をまさぐり、協会証を探す振りをする。協会証など持っていないのだからどれだけ探そうとも出てくるわけがないのだが、ことここにいたってはダンキンを信用させるための演技が必要だった。脇でディアーナがなにやら騒いでいるが、ロバート達は女神を騙る痛い女の言葉には耳を貸していなかった。


 ひとしきり探し終えたあと、慎は困ったような表情を浮かべた。


「困りました……オウルベアとやらに追われてる最中に紛失してしまったみたいです……再発行とかできますかね?」


「失くしちまったのか? たまにそういうやつもいるから、再発行できないことはないが……金はあるのか?」


「いえ……やっぱり、再発行ってお金かかりますよね?」


「そりゃあなぁ。一番安くて確認もゆるい冒険者協会で再発行するのが無難だろうな。金は協会に借金するしかないだろうな」


 話を合わせているうちになんとか光明が見えてきた慎。とにもかくにも身分証明できるものが無ければこの先なにかと不便だろう。異世界に来ていきなり借金をしなければいけないのは業腹ではあったが、背に腹は変えられなかった。


「再発行は、今からでもできるんですか?」


「この時間はもう冒険者協会は閉まっちまってるな。今日はとりあえず、賞金首かどうかの確認だけして、詰め所で寝てもらうしかないな。明日になったら連れていってやろう」


「本当ですか! ありがとうございます!」


 慎はがばっと、頭を下げる。異世界に飛ばされてオウルベアに追われたときはどうなることかと思ったが、優しい門番兵に出会えたことを感謝するのだった。


 その後は、ダンキンの持ってきた鑑定水晶で賞金首でないことを確認してから、詰め所で寝ることとなった。ちなみに鑑定水晶は魔具と呼ばれる魔法が込められた道具らしく、懸賞金が掛けられた人間の情報が蓄積されており、賞金首がさわると赤く光る上に警告音が鳴るとのことだった。


 詰め所の床で横になる慎とディアーナ。渡された毛布は薄っぺらで暖を取るには気休め程度にしかならず、床は板張りで冷たく固かった。しかし、ダンキンに助けられなければ今頃はオウルベアの腹の中に納まっていただろう。それを考えれば贅沢は言っていられなかった。


 毛布は一枚しかなく、慎とディアーナは背中合わせで寝る格好だ。背中越しにディアーナの体温が伝わってきて少しどぎまぎしてしまうが、


「私は女神なのに……女神が床で雑魚寝って……うぅ……しくしく……」


 という虚しい独り言とすすり泣きが全てを台無しにしていた。慎はもはや考えるのも面倒くさくなり、睡魔に身を任せ深い眠りに落ちていった。

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