第4話
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
しばらくして、また俺の病室に来てくれた桂樹さんを椅子に座るように促す。
「それってさっきのことですか? それだったら、私は受け入れるつもりは」
「いえ、確かにさっきのことではありますが、お金を貸すつもりはないので、安心してください」
「そうなんですか、ではなんです?」
「はい、それは……」
心臓の鼓動が早まり、体温が上がっていくのを感じる。呼吸も浅くなっているようだ。落ち着け、俺。そう言い聞かせながら、息を整えた。……よし、言おう。
俺は、桂樹さんの正面から目を見据えた。
「桂樹さん!」
「はっ、はい、なんでしょう?」
「昨日も言ったと思うんですが、俺は桂樹さんから元気をもらってます。桂樹さんの笑顔があったから、俺はここまで頑張ってこれたんです」
「そんなこと……、桔梗さんなら私がいなくたって」
「違います。桂樹さんがいたから頑張れたんです。そして、俺は、これからもずっと、桂樹さんの笑顔をそばで見たいと思っています」
「……えっ、そ、それって」
俺の意図を察したらしく、桂樹さんはそわそわし始めた。俺の緊張度も最大になっている。
「桂樹皐月さん、俺と結婚してください」
「えっ、えっと……、そ、そんなこと……」
桂樹さんは、手を口に当て、信じられないといった顔をしている。
「だから、娘さんはもう桂樹さんだけのものではありません。俺の娘でもあります。だから、俺にも治療費を払わせてください。お願いします」
桂樹さんに向けて、俺は精一杯頭を下げた。頼む、成功してくれ、と心から願って。
「桔梗さん、顔を上げてください」
桂樹さんの優しい声が聞こえた。そして顔を上げた途端、俺の手が握られる。
「えっ、ちょっと桂樹さん?」
「そんなに熱烈なプロポーズされたら、受け入れるしかありませんね」
ふふ、と桂樹さんは笑った。
「受け入れてくれるんですか?」
「ええ」
「よし、じゃあ早速行きましょう!」
俺は車椅子を引っ張り出し、勢いよく乗り込んだ。
「えっ? えーと、どこに?」
「医療費の振り込みにです。期限は今日までなんですよね? 早くしないと治療が打ち切りになってしまいます」
「あっ、そ、そうですね。ですが、振り込みには、私の口座からじゃないと。病院に登録してあるのがそれなので」
「分かりました。では桂樹さんの口座に振り込みます。口座を教えてもらえますか?」
「えっと、ちょっと待ってくださいね」
桂樹さんはメモ用紙を取り出し、口座を書き記したメモを作り、俺に渡した。
「では、行きましょう」
俺たちは、エレベーターホールに向かった。
一階に降り、ATMに向かう。
「あ、あの」
「どうかしましたか?」
「私先に先生に報告してくるので、振り込みお願いしてもいいですか?」
「はい、分かりました」
「では、また後ほど病室で」
「はい、また」
軽く手を振り、一度桂樹さんと別れた。
振り込みを済ませ、病室へと戻った。ベッドに横になり、天井を見つめる。
俺が、結婚……、結婚か……。
未だに実感がわかない。そうか結婚するのか……。そう思うと、自然と笑みを浮かべてしまう。しかし、浮かれてばかりもいられない。娘の病気を治すために治療費を稼がないといけないのだから。そういえば、娘の名前聞いてなかったな、戻ってきたら、桂樹さん、……いや皐月さんに聞いてみよう。
早く戻ってこないかな、晴れた空を見ながら、俺は彼女の帰りを待った。
一時間が経過したが、彼女は現れない。
どうしたのかな、もしかしたら三階の方の病室にいるのかもしれない。
そう思った俺は、娘のいる病室に向かった。
病室に入り、娘のいたベッドのカーテンを開ける。
「あれ?」
そこに眠っているはずの娘の姿はなかった。
「あれ、間違えたかな」
そう思って、病室番号を確認しに行くが――。
「合ってるな」
確かにこの部屋だ、一体どうしたんだろう。もしかして、容態が急変してしまったのか。
そんなことを考えていると、比較的若い男性の看護師さんが俺の横を通った。
俺はすかさず呼び止める。
「すみません」
「はい、どうされましたか?」
「あの、この奥の部屋の女の子はどうしたんですか?」
「えっ、女の子?」
「はい、心臓が悪い女の子がいたと思うんですけど、なにかあったんですか?」
「えっ、えーと、……ここにはそんな子はいませんよ」
「はっ? いない」
「ええ、違う病院と勘違いされていませんか?」
「そっ、そんなはずは……、さっきまでここに……」
看護師さんは、何を言っているんだコイツは、と言いたそうな顔をしている。どうやら嘘をついているようではないようだ。
「一体全体、どういうことなんだ」
訳がわからない……。
病院前の駐車場に止まった黒い車の助手席に桂樹皐月は乗り込んだ。
「あっ、ママおかえり」
後部座席に乗っていた小春は母親に手を振った。
「ただいま小春」
「お仕事終わった?」
「うん、小春が手伝ってくれたおかげで儲かっちゃったよ」
「寝てただけなのに?」
「それが重要なの。ありがとねー」
桂樹は小春の頭をくしゃくしゃに撫でた。小春はにこにこと笑っている。
「動くから、大人しくしろ」
運転席に乗った男がエンジンをかけた。はーい、と返事をして小春はシートベルトを締める。
病院を出て、しばらくすると、一本道に出た。
「もう事故るのはやめてくれよな。修理代ばかにならねーんだからさ」
タバコを吸いながら男は悪態をついた。
「何度も謝ってるし、ちゃんと出費以上のお金取り返してきたんだからもういいでしょう」
タバコ吸うなら窓開けなさい、と男を小突いた。男は渋々それに応じる。
「それで、この前言ってたターゲットの件は順調そうなの?」
「ああ、粋がったお子様は、頭悪くて助かるよ」と、男はニヤッと笑った。
男の左頬には、大きな傷跡があった。
月桂樹の笑顔 柚月ゆうむ @yuzumoon12
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