cand  ーキャンドー

第1話 おにい

 僕は突然目が覚めた。唸る地響きと奇怪な鳴き声が人の都トキヨに響き渡っている。突発的な出来事から生まれた緊張と恐怖から情報処理機能が混乱状態になっている。動くことも思考することも許されない。直後憤怒な雄叫びと共に戦慄が走る。緊張が破壊され脳が思考を始めると、2秒ほど混乱状態から情報処理を始めるまでに時間が掛かった。脳は本能的に生命危機を感じて熱を発していたが、対照的に体は冷たく震えることで熱を発生させていた。神経による体への伝達と本能的動作の命令が終わり理性の思考を許された時、僕は直ちに喉が切れそうなほど大きな声で叫んだ。


「おにいィィぃぃいいい」


 その声は周囲の耳を貫くような鋭い叫び声、轟轟たる爆音をかき消し自分の聴覚を刺激した。


 何も返事がなく、自分で判断しなければならない状況であることが一層脳に負担を与えた。

        

 摺り足で自分の部屋からリビングに出た。何故か恐怖から足音は立てないようにしていた。利き目ではない左目で、窓から外の様子を伺う。


 その様子は左目だけでは受け止めきれない状況だった。どす黒い血の赤と、家屋が燃える鮮やかな赤、そして憎しみを宿した朱殷色の目。それらが生み出すコントラストは、夕方に山頂から見た景色に似ていた。


 そこにルビーのような赤がその光景を切り裂くように縦に貫く。残光が後を追った。僕は脳を通さずともおにいだと分かった。おにいは純赤の剣を持ち、花のように華麗で刺々しい羽を身にまとっていた。その姿は只々かっこよかった。


 おにいの強さは圧倒的で、舞うような剣さばきで敵を地に跪かせていった。戦いを見ているというより踊りを見ているような気分になった。


 制空権はおにいが維持している状況で、飛ぶことが出来るタツを一人で迎え撃っていた。地上に戦士はいたが、手練れの戦士の多くはオサカの防衛に向かっていた為今にも崩れそうな状況だった。市民はこの状況を理解すらできておらずパニック状態に陥っていた。


 その時、おにいが都全体に声をかぎりに叫んだ。その声は、戦場の騒音を無視するかのように都の隅々まで届いた。


「下を見るな、上を見ろ。俺がいるだろォォ」


 言葉と同時に、おにいの心から無数の光炎が溢れ出し、錦冠菊(にしきかむろぎく)のように散ってゆく。光炎は人々の心に浸透していった。


 光炎は市民に安心を与え、戦士には勇気と希望を与え、僕には憧れを与えた。戦士は剣を強く握りしめ、目を大きく見開き、心を燃やした。


 そして、おにいに応えるように剣と盾をぶつけ合い鈍い音と火花を生み出した。繰り返すほどに音に厚みが増し、重さを加えた。その重厚な音は、人間を感じさせ、鉄の鎧を着た巨人を連想させた。


 地上の戦士たちは怒涛の勢いでタツの戦士を押し戻していった。ただ、上空のおにいだけは違った。おにいが戦っているタツ族は12種族最強と謳われている戦闘種族である。ましてやおにい一人で持ちこたえ続けられるわけがなかった。僕は憧れているだけの自分が悔しくて唇を噛み締める。


 おにいは全身全霊で戦っていた。一瞬気を緩めた瞬間、風を切り裂く早さで向かってきた青い槍を右肩に受けてしまった。


「ぐあああああぁ」


 おにいは絶叫しながら傷口を押さえ、一歩退く。

槍の持ち主は、紺鼠の甲冑を着け、深海のように青く大きい翼を身に纏っていた。1(アインス)タツの青流だった。


 タツの国では3年に1度剣闘争が催され、上位4名に1から4の数字が与えられる。青龍はタツで最も強い戦士だった。


 僕はおにいを助けたい一心で咄嗟に家から出た。その時、青龍の登場でおにいの防衛網が崩れ上空のイヲたちが隕石のように降り注いだ。目の前に一匹のタツが降りてきた。僕は初めての殺気を感じて息を吸うことが出来ない。


 タツは人では持てないであろう大剣を右手で軽々持ち上げ斜めに振り下ろそうとした。僕は顔を肩に埋め反射的に目を瞑る。


 生々しい音がして、暖かい液体が顔の右側あたりを覆った。震えながら目を開けると、おにいが純赤の羽で僕を包み込み、右手で僕を抱きしめていた。大剣はおにいの右羽に食い込み、大量の血が体の右側をつたっていた。

 涙声で震えながら声をあげた。


「おにィィィ」


おにいは痛みなど感じさせず、笑顔で笑った。


「……無事でよかった…」


おにいは片手で僕を強く抱きしめ頭の上で大きく息を吸うと、剣を拾い立ち上がった。反転してタツの方を向くと、怒りを露わにした。


「俺の逆鱗に触れたな。」


 歩みを進めながら羽と皮膚の付け根を剣で焼き、敵を一刀両断した。敵は刃向かうことすら出来なかった。


 僕はおにいに迷惑をかけないように家にすぐさま逃げ込んだ。心配することしか出来なかった。迷惑しかかけれなかった。無力だった。


 青龍は休む暇も与えず追撃を仕掛けてきた。青龍は大剣を片手で振り回し続けた。おにいは、ボロボロな体で、受け流すのが精一杯だった。赤と青の剣が擦れ合い、紫色の火花が生まれていく。


 青龍の登場によって、戦況は決して良いとは言えない状況だった。しかし、戦士の心の炎は、おにいの炎光によって、消えることはなかった。一人の戦士が大声をあげる。


「戦士よ、叫べ!」


 周りの戦士たちが大声で呼応する。


「オウ」


「戦士よ、吠えろ!」


「オウ」


 勇気ある戦士の声は波紋のように戦場に広がってゆく。


「戦士よ、戦え!」


「オウ」


 その声は地鳴りのように響き、鎧の巨人が地に足をつけ、鉄拳を振りかざすようだった。その様子を目の当たりにした敵は圧倒され、たじろぐ。


「戦士よ、止まるな!」


「オウ」


「勇者よ、立て!」


 この掛け声がおにいを再び勇者と自覚させた。心の炎は熱言を吸い取り、豪炎となった。外から心の場所がわかるほど心の炎は大きかった。


 息を吹き返したおにいは、青龍と一進一退の攻防を繰り返した。

 青龍が右から薙ぎ払おうとした時踏み込みが甘いのを見逃さなかった。なぎ払いをしたところを、上腕三頭筋の筋力を最大限に使い左斜め下から切り上げる。


「なんだと…」


 力の合成による剣の反動と相手の踏み込みの甘さから体幹の乱れが起きた。その瞬間を捉え心臓を貫こうとしたが左腕に阻まれて狙えない。瞬時に剣先を調節し左の肩に突き刺す。


「………いてぇな……」


 青龍は肩を上下に揺らしながら傷跡を抑えていた。顔は下に向いているため表情は見えなかったが、その姿は奇怪だった。


 肩の揺れが収まった----途端顔を大きく振り上げる。そこに見た青龍は瞳孔が開き、口元だけ笑っていた。


「楽しいじゃねーか。----」


 右の口角を上げニヤリと笑い、目線だけを左に移す。


 僕は青龍と目が合った。その目は深青で、目を合わせ続けたら奴の目から抜け出せなくなりそうだった。すぐさま目線を逸らしたが重力を感じる重たい目線は止むことがない。数秒後、体が一気に地面に押し付けられる感覚に陥った。不穏な空気をヒシヒシと体全体で感じる。燃え上がる火が強くなった時、窓に映る自分の顔に死相を見た。


「ふっふっふ」


 青龍は鼻で笑いながら青い槍を右手に創造した。肩の柔らかせで槍を背中に大きく巻き込み、鞭のように腕をしならせ手首で一押しした。


 右腕で放たれた槍は、最初に見た早さに比べたら遅かったが、僕に反応できる早さではなかった。瞬きする余裕も、言葉も出ず、飛んでくる槍を見つめるので精一杯だった。


 死の訪れを間近に感じていた時、覗いていた窓に赤い影ができた。その次の瞬間、赤い影に青い一点が加わり抽象画を見ているようだった。綺麗な色合いは一瞬で崩れていき刹那を感じた。


 目線を下に向けると、おにいの鳩尾に槍が刺さっていた。その光景を見て何を考えて良いか分からなかった。。


「……おにぃぃぃいい」


 金切り声でただ名前を叫び、おにいのところに急走する。感情を通さず自然と大粒の涙が頬を流れていく。


「死んじゃ嫌だぁぁ。」


 どうすることも出来ない。何もすることが出来ない。僕はおにいの心臓に手を添えて鼓動を確認することしか出来なかった。


「僕まだ、おにいがら何も教わっでないよ。剣術もなにも教わっでェないよ。 二人で話した自由シリーズ一つも出来てないよ」


 涙顔による口の不自由と、過呼吸によって喋ることもままならない。僕の肌から流れ落ちた大粒の涙が、おにいの左頬をたどって地面に落ちてゆく。


 おにいは力を振り絞り、這いつくばりながら僕たちの家にもたれかかった。

「ティア、お前が生きて、自由シリーズを俺にも見してくれ。お前が俺を忘れなければ、ずっと心に存在し続ける。剣術は教えてやれなくてごめんな。」


 声は弱々しく、虫の息だった。


 おにいは自分に刺さった槍を抜くと、その槍を支えにし壁に体を擦りながら立ち上り、僕を右手で引き寄せた。おにいは僕に体重を預ける形でなんとか立っていた。

「本当にありがとう、ティアに託すよ 。--- 心移転」


おにいは最後の力を振り絞り何かを唱えた。その瞬間おにいの左むねは強烈な光を発して、僕の右の胸に入っていゆく。体に痛みと違和感を覚えたが、、全く気にならなかった。


「おにいぃぃぃぃいいい」


 天に仰ぎ、奇跡を待ったが僕の上に神様はいなかった。


 おにいの体は抜け殻になり、僕の筋力じゃ支えられない。僕はおにいの体と共に地面に誘(いざな)われる。地面とおにいの体に圧迫され、生暖かい血が体に染み込む。この痛みと温もりがなくなったらおにいと会えなくなる気がして、怖かった。周りの騒音は気を使うように静かだった。


 横目で空から誰かが降りてくるのが分かった。青龍が殺しに来たのだろう。足音は着々と近づいてくる。


「ゆう、よく頑張ったね」


 高く透き通る声が聞こえ青流ではないと分かった。初めて見る人種で、おにいの名前を知っている。


 誰かわからないがどうでも良い。

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