3/2成人式 ~2020、僕たちの夏~

しいは

第1話

鳴り響くチャイム、空を舞うサッカーボール、元気よく手を挙げる声、それらすべてが、ふと懐かしく感じた。

「ん・・・」

時刻は午前8時。

じりじりと照りつける太陽と、ミーンミーンと鳴く蝉の声に重いまぶたを開ける。

「はぁ・・・」

スマホに手を伸ばすと、8月11日という日付。

今日は休みなんだが・・・と重い腰をすっとあげる。

目が覚めてしまったからには、起きるほかない。

タオルケットを押し上げ、窓を開ける。

離島で暮らし始めて初めての夏。

都会の喧騒に疲れた俺は、この3月に辞表を出した。

休みはしっかりとれるし、給料もよかった。

周りからは、「もったいない」の声しかなかった。

それでもよかった。

独り身のうちに、自由に動けるうちに、一度、誰も俺を知らない世界で

のんびりと暮らしてみたかったからだ。

実際、給料は半分程度だし、車がないと動けない。

1日2回の船が来ないと、食料の買い出しにも行けない。

それでも、満足だった。

誰も、誰も俺を知らないところで、生きていけたら・・・。


買い置きの卵を焼き、サラダを添えただけの朝ごはんを食べ終えると、俺はカメラを持って外に出た。

目の前でのんびりと毛づくろいをする野良猫に照準を合わせるが、俺に気づくとささっと逃げてしまった。

「まるで、あいつみたいだな・・・」

ぼんやりとつぶやいたその声は、透明な青空へと吸い込まれていった。

この空も、あいつとつながっているのだろうか。


買い出しを済ませ、小さな家に戻るとスマホが軽快な音をたてた。

通知、1件 夏那

その文字に間違いがないことを確かめると、俺は本文を読むためにアプリを開いた。

「葉太、久しぶり!元気かな?」

誰も知らないところに来たかった俺だが、彼女だけは例外だ。

小学校から大学まで、ずっと同じ学校だった彼女。

なんでも話せる貴重な友人で、俺が辞表を出すことも、離島でフリーの写真家として活動することも、真っ先に彼女に伝えた。

「そっか。葉太なら大丈夫だよ!応援してるね!」

と昔と変わらぬ笑顔を浮かべ酒を酌み交わしたのも、もう7か月も前になる。


「ああ、元気だ。急にどうしたんだ?」

「あのね葉太、3/2成人式って覚えてるかな?」


途端に体が震えるのを感じた。

もちろん覚えている。

10歳の1/2成人式の後に、

「30歳になったら、3/2成人式もやろうな!

俺たちの30歳って、2020年なんだぞ!

すげーよな!」

と誰かが言っていたことを。

そして、それが遠い日の約束になったことを。

実際の成人式の後の同窓会でも、その話題が出たことを。

都会の仲間に会うことは怖い。

ただ、夏那のことだ。

無理に誘うことはしないだろう。

「もちろん」

「良かった。覚えてたんだ。」

夏那からのメッセージに、指が止まる。

野良猫のにゃーおと鳴く声が、やけに長く感じた。

「あのね、誰からも連絡がないからさ、私たち2人で、今晩やらない?ほら、葉太も30歳になったでしょ?」


俺は8月5日生まれだ。

8月の旧名、「葉月」から俺の名前は命名された。

一方、夏那は名前のとおり8月生まれだ。

それも、8月4日。

昔から、「同じ8月生まれだけど、私の方がお姉さんなんだからね!」と

威張っていた姿が忘れられない。


「今晩?えらく急だな。あいにく俺はそっちにはいないぞ。」

「わかってるって。ほら、今の時代だし、ビデオチャットでやろうと思って。

お酒とおつまみ、用意しててね。まあ、葉太のことだし、買い置きがあるんだろうけど。」

ずばり、言い当てられて何も返せなくなる。

はあーと一つ、ついたため息は海の向こうへ消えていった。


23時

約束の時間だ。

夏那から教えてもらったビデオ通話ツールをインストールし、友達登録は完了している。

準備は完璧で、俺は画面の前で待機をしていた。

すると、夏那から通話が来た。

「もしもし?」

そっと受話器のマークを押し、返事をする。

「やっほー、葉太!元気にしてた?」

画面の向こうの夏那は、薄茶色の髪の毛を肩の少し上くらいに揃えていた。

化粧は薄目だが、ぱっちりとした二重のおかげで少し派手に見える。

「ああ、夏那こそ・・・」

「あっはつは、葉太、ちゃんと食べてる?ずいぶんと痩せたんじゃない?」

そう言われると、その通りだと思う。

こっちに来てから、飲みに行くことが減った。

そもそもお店の絶対数がすくないというのもあるが、こうしてフリーで活動しているため、人との付き合いも手に入るお金も昔よりもはるかに少ない。

「そうだな。それでも、気楽に過ごせていいさ。」

「まあ、それが一番よね!ささ、せっかくだし早く乾杯しようよ!」

夏那にせかされて、缶ビールを手にする。

「ふふっ、それじゃあ・・・2020年夏、私たちは30歳、3/2成人、おめでとう!」

夏那の明るい声が無機質な機会を通して響き、俺も「おめでとう」と声に出す。

なぜだろう、夏那の姿も、彼女が差し出した缶チューハイも俺の目の前にいるかのような気がした。


「で、その後どうなのー?」

二人きりの3/2成人式が始まってから早1時間、夏那はすっかりほろ酔いになっているようだ。

「・・・それには触れるな」

「はぁいはい、そうだよねー。婚約者に逃げられて、都会から逃げたんだもんねぇ・・・ぐびっっとぉ・・・」

「あのなぁ・・・」


そう、夏那の言う通り。

俺は、結婚間近の婚約者に逃げられた。

理由は簡単だ。

俺が、安定した会社を辞めて、写真家になろうとしていたからだ。

写真に関わる仕事をしているうちに、俺自身が・・・という思いが強くなったのは去年の11月ごろ。

その頃から熱心に写真家としてどう過ごすかを調べたり、計画を立てたりしていた。

そして、辞表を出した1週間後。

家に帰ると、1通の手紙が置いてあった。

「葉太さんは、今の生活や私との生活よりも、自分の夢を選ぶのですね。

葉太さんが、今の仕事についているから、私は安心してあなたを選べました。

その歳で、仕事を変わるなんて信じられません。

もう、あなたの傍にはいられません。」

この話は瞬く間に色々な人に広まった。

俺は、今よりももっと自由のきく仕事について、しっかりと稼ぎながら、休みの日に写真家として活動を進めるつもりだった。

もちろん、彼女にもそのことは伝えていたし、笑顔で「頑張って」と言ってくれていた。

それなのに・・・。


その日から俺は、誰も知らないところで、一人で生活をすると決めた。

そして見つけたのが、この離島だった。

自然豊かなこの島で働きながら、空いた時間で写真を撮る。

まさに、理想に近い生活だった。

一人で来たこと以外は・・・。


酔っているとはいえ、忘れかけていた傷をえぐる夏那に文句を言おうとしたその時だった。

「・・・ママ・・・?」

突然、小さな女の子の声が目の前から聞こえた。

「あ、起きちゃったの?ほらほら、ママはここだからね。」

途端に優しく落ち着いた声色になった夏那。


ママ?

夏那が、ママ?

どういうことだ?

何も聞いていなぞ。

頭が追い付かない。


もう一度目の前を見たが、画面の向こうには誰もいなかった。


「ごめんねー。起きるなんて思ってなくてさ。」

数分後、笑いながら戻ってきた夏那は、さっきまでのことが幻かと思うくらいにいつも通りだった。

「・・・結婚してたのか?」

ためらいがちに聞く。

夏那の口から返ってきたのは、意外な言葉だった。

「・・・してないよ」


「ごめんね。これは、誰にも言ってないんだ。」

夏那の口から語られたのは、意外な事実だった。

4年前、夏那は職場の後輩と関係を持った。

夏那は本気だったが、彼は夏那を浮気相手としか思っていなかったらしい。

そして、妊娠が発覚。

何度も「おろせ」という彼を、夏那は「一人で責任をもって育てる」と言い切り説得したそうだ。

「だってさ、せっかく授かった命だもん。殺すなんて考えられなかったよ。」

その後、夏那は仕事を辞め、派遣で働き始めた。

そして、無事に出産、今に至るというわけだ。

「後悔はないよ。この子が元気に育ってくれてそれが幸せだから。」

ふと、母の顔になった夏那が言う。

ああ、彼女は昔からこんな奴だった。


「なあ、夏那、今度さ、娘さんを連れて遊びに来ないか?」

コトンと空になった缶ビールを机に置きながら、彼女に語りかける。

「あ、いいねそれ。そっちには仕事あるかな。ちょうど今、契約が切れかかってて次の仕事を探そうとしていたところなんだ。」

「仕事?常に人手不足だからな。若い人が来るとみんな喜ぶぞ。」

「えー、もう私たち若くないよ。」

互いを尊重しながら、こんなことを言い合える関係はとても心地が良い。

「じゃあね、おやすみ」

そう言って通話を切った後も、画面越しのぬくもりが続いている。


彼女も、そうであってほしいと、いつからか心の奥で願っていた。

ああ、ずいぶんと飲んでしまったようだ。

ふと窓を開けると、空には満月が浮かんでいた。

「おやすみ、夏那とお嬢さん。」

この小さな声と、俺のほのかな想いが、彼女たちに届きますように。

そしていつか、そのぬくもりに、手が届きますように。

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3/2成人式 ~2020、僕たちの夏~ しいは @ach_shiha

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