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 1―②

 それなりに福福した40過ぎの男が、慌てて足をもつらせるように走るのだから、異常を感じない者などいない。

 ましてやここは城塞である。

 早馬の持つ緊急性が伝染したようなロンドの動きに、多くの者が興味をそそられたがだからと言って「すわ何事!」とはならなかった。

 ある意味、平和である。

 最初にロンドを呼び止めたのは衛兵隊長の「仮面のジルバ」ことジルバ・バルストリートである。100人からなる司令部直属衛兵隊の隊長で、騎士ランクは上Ⅶ位。城の中央司令棟前で複数の部下と談笑しているところだった。

 ロンドの丸々とした体が、転がるように前へ進むのを、面白がるのか、訝しく思うのかは、人それぞれだろう。騎士団、という組織の中で言えば、前者は攻撃部隊、後者は防御部隊で分かれるかもしれない。衛兵隊長のジルバは、後者であった。

「おい!」

 ジルバは顔の下半分、口元を真っ赤なマスクで覆っている。それが、二つ名の「仮面のジルバ」の由来である。そのせいで、涼やかなでしなやかな見かけの割りには、声がくぐもって通りにくい。

 実際、今もロンドはジルバをチラとも見ずに通り過ぎようとした。

 しかし、そこは司令棟。

 無視されるのを嫌う直属の上司の意向を無言で踏まえ、司令部付き衛兵、つまり察しの良さでは城内最精兵の彼らがロンドの行き先をふさいだ。

「おい!見張り塔のロンド。挨拶なしに司令部に入る権限はおまえにはないぜ」

 ジルバは周りの衛兵より一回りは小さい癖に、妙な存在感を漂わせる独特の物腰でゆらりゆらりと近づくと、覗き込むようにロンドの顔を見る。

「たっ…はっ…あっ…」

 ロンドは息も絶え絶え、言葉も切れ切れで、多分城門方面を指したいのだろうが、腕は腰ほども上がらず、といった態。立っているのがやっと、という言葉の具現と化していた。

 ジルバはロンドの吐く草巻き臭い息に眉をしかめると、あからさまに目の前で匂いを払うように手を振る。

「おい、落ち着けよ。まず分かるようにオレに言え。そしたらオレがしかるべきところに伝えてやる」

「でっ…あ…はれ、はん…」

「はん?分かんねえ。おい、誰かこいつに水を飲ませてやれ」

 はっ、と返事をして衛兵が一人その場を離れる。

 入れ替わるようにして一人の男が現れた。

「ジルバ。何事だ?」

 曇天の秋空の下、妙にくっきりと浮かび上がるグレーの鎧姿を見ると、その場にいた全員が略式ながら背筋を伸ばし、敬礼で迎える。

 上ⅩⅤ位。二人いる北方騎士団副団長の一人にして戦術隊長。誰が呼んだか「灰色のグレイ」ことグレイ・ソーシリアンその人が現れた。

 背中中ほどまでの長い髪、細く真っすぐな眉、光沢のない鎧、すべてが灰色である。付け加えるならば、剣の意匠と乗馬もそうで、口の悪い人間は性格もそうだと言う。さすがに肌は肌色だが、それを除けば唯一の例外は瞳の色で、グリーンである。

 全体的に灰色の色彩のせいか、何を考えているのか、城主の次に分かりにくいと評判の男だが、「何かを考えている」と思わせる思慮深い雰囲気は、グレーンの瞳から湧き出るような輝きと知性のなせる業か。

「はっ!オレ、いや、私にもまだ分かりません!」

 普段使わない言葉遣いで話す上司に、その部下たちは敬礼したまま、にやりと口元で微笑ましさを表現する。

「ふむ」

 灰色のグレイはそんな衛兵たちにちらりとだけ目を配ると、右手を下して敬礼を解くようにジェスチャーした。

「ロンド。早馬か?」

 まだ息の荒いロンドは、ジルバ以上の大物を目にして、更に鼻息が荒くなる。しかし、そこはさすがに灰色のグレイ。6年前の北の城奪還作戦以降、城塞城下を含め、北領の治安を維持し続けている男―エン公国で一番の戦術能力だとジルバは思っている。コンテストがあるわけではないのでランキングはジルバ基準だが―だけあって、察しがいい。興奮して上手く話せないロンドに話させるのではなく、イエスノーで答えられるように質問する。

 早馬か、と聞かれたロンドは、衛兵が持ってきた水を飲みながら大きく頷く。

「侵略か?」

 ノー、首を振る。

「事故か?」

 首を傾げ、振る。

「事件か?」

 一瞬の間の後、ぎこちなく縦にイエス。

「北領?」

 力強くノー。

 グレイは唇を覆うように口元に手を当てた後、座り込み、目線の高さをロンドに合わせ、上目でロンドを見やると「公都?」と聞いた。

 ロンドは二回、三回、縦に首を振る。

 グレイは何を考えているのか分からない表情のまま、分かり易く首を右に傾けると溜息をひとつ吐いた。

「分かった。ロンド、着いて来い。団長に報告だ。ジルバ、今の話漏れぬように徹底しろ。それと早馬は確保してそのまま司令部に連れて来てくれ」

 「頼んだぞ」と言ってジルバの肩に手を置くと、颯爽と歩きだす。足をもつれさせるようにして、ロンドがそのあとに続いた。優秀さと察しの良さでなる衛兵達は、秋風のように四方に散った。

 あとには落ち葉がくるくると舞った。



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