人形たちの遺戦

伊森ハル

『夜・人形・消えた遊び』


 人類軍の最前線にほど近い拠点街。

 その一角に設営された酒場は、今夜も盛況だった。

 ここでは誰もが『魔王の打倒』を胸にこころざし、杯を仰いでいる。世界を支配する巨悪の城からはさほど離れていないのだが、場は明るい喧噪に満ちていた。


「だから俺はそこでな、後ろにさっと回って一撃よ。野郎、黒焦げにしてやったぜ」

「正面から受ける技量が無いんだろ。魔術師ってのはいつもそうだ。おれなら正面から斬り伏せてやるね」

「一緒にしないで欲しいところだね。私の防壁魔術なら、巨竜の炎息ブレスだってしのいでみせる」


 目的を一にする故の連帯感が漂ってはいたものの、彼らは互いに競争相手である。己がこれまでにいかなる偉業を打ち立ててきたのかを喧伝するように、武勇伝に花を咲かせていた。


 と、そこで、玄関の扉が開く。ベルの軽い音が響いた。

 中年の男が入ってくる。剣を佩いているところを見ると、どうやら勇士のようだ。


「とうさま、まちたまえ。まちたまえ、とうさま」


 彼を追いかけるように幼い子供が入店した。衆目を集めるのも構わず、彼らは店の奥へと進んでいく。


「らっしゃい」

「食事を二人分、酒と、ミルクか水を一杯ずつ」


 男は子どもと共にカウンターへ腰を下ろし、そう注文する。齢は三十半ばといったところか。

 中年の勇士は珍しい。勇士という職業は、大抵は二十代で死んでしまうし、運良く生き延びたとしても、三十を数えた辺りで前線を退く者が多かった。それが子連れとなれば、なおさらである。

 無論、この時代では悲劇に事欠かない。事情はどうあれ、やむなく子を連れたまま魔物狩りに身を投じる人間も存在はしていた。

 二人が特別に若者たちの目を引いたのは、子どもが魔物のぬいぐるみを抱えていたからだ。ぼろ切れを縫い合わせた質素な作りだが、角があり、両目には赤い石が使われている。明らかに多くの人間が抱く『魔物』の印象を具現化した代物だった。

 注文の品が出てくるよりも先に子どもは飽きたらしく、と椅子から飛び降りた。ぬいぐるみを床に置いて少し距離をとると、腰から木の枝を抜き放った。


「おそろしいまものめ! このわたしがたいじしてやろう!」


 かわいらしい宣告と共に、剣に見立てた木の枝をぬいぐるみへと向ける。


「くらえ! ひっさつ十字ぎり! ずばーん!」


 そんな子の様子を男は一瞥したが、軽く笑うばかりで注意をする素振りが無い。子どもはといえば、幾度も幾度も、飽きもせず『魔物退治』を繰り返していた。

 若者たちはしばらくの間、子の遊びを微笑ましく見守っていたが――やがて、一人がしびれを切らしたように声を上げた。


「……いい加減にしろ」


 忌々しげにつぶやいて、その青年はずかずかと子どもへ近寄っていく。ぬいぐるみを取り上げると、そのまま壁へと叩きつけた。


「ああっ、なにをする、ふとどきものめえ」

「俺ぁな、昨日仲間を亡くしたんだ。魔物との戦いってのぁよ、そんな遊びに使って良いようなもんじゃねぇんだよ」


 抗議の声を上げた子どもを無視して、青年は親の元へと歩み寄った。


「やめておけ、アナン。気が立っているのはわかるけれどね」


 店主が制止するが、アナンと呼ばれた青年は苛立たしげに振り払う。


「うるせえな。……てめえもてめえだ、さっさとやめさせろ。ガキの躾はてめえの義務だろ」


 怒りの矛先を向けられた親はといえば、表情ひとつ変えないまま口を開いた。


「かつて、魔王がいた。今の魔王とは別のな。それは知っているだろう?」

「何を……」

「その魔王が斃れた後に興った祭りの名残なのだ、今のは。子らの遊びへと形は変わったがね」


 先に供された酒に口を付け、男はアナンへと目を向ける。


「あれは勝利の祈願であり、過去の勝利に対する祭礼だ。場に魔物が存在しない故に、平和故に許される児戯だ。今、まさに魔王と人類が存亡を争っている。だからこそ、子がそんな遊びに興じるのを見るのは、悪くないと私は思う。いい歳の大人がやるのであればともかくな」

「ふざけんな」

「私は至って真面目だが」


 挑発じみた切り返しに、アナンは剣へと手をかける。ひりついた場の空気に、周囲の客が息を呑む。

 水を打ったように静まりかえる酒場。その沈黙を破ったのは、一人の伝令であった。


「大変だ! 大変なんだ。魔王が……魔王が……!」


 扉を壊さんばかりの勢いで押し入ってきた彼は、そこまで言って盛大に咳き込む。敵襲かと身構えた勇士たちの前で彼が発したのは、予想外の一言だった。


「魔王が、倒された!」



 ◇◆◇



「酒は良いのか? ガラにもない」

「気分じゃねぇ」


 店主の問いにすげない答えを返して、アナンは肉にかぶりついた。彼の好物だが、どうにも顔つきは晴れない。


「不味そうに食うなよ、私の腕が疑われる」

「るせえな。俺ぁよ、俺ぁ、魔王をこの手でぶっ殺して、あいつのカタキを討ってやりたかったんだ」

「それは果たされたはずだけれどな」

「俺が、っつってんだよ、名前も知らねえ勇者様の手でじゃねえんだ。俺ぁそんなこと、望んじゃいなかったよ」

「私はどちらでもいいさ、世界が平和になったのなら、それは喜ばしいことだ」


 そう。

 世界は平和になった。あまりにもあっさりと。

 腕の立つ男が――立ちすぎる男が、単身で魔王城へと乗り込み、あろうことか魔王を討ってしまったのだ。勇者と認定されたその男は、国からの報賞を受け取ったあと、今も残党狩りに精を出しているらしい。


「この辺りの魔物だって、綺麗さっぱり掃討された。あとは各地の駆除を残すばかりだと聞く。平和、結構なことじゃないか」

「……本当なら、俺だって」


 言いかけたアナンの背後から、陽気な声がかけられる。


「なんだぁアナン! 辛気くせーツラしやがって!」

「……ウォーゲン」


 アナンは彼の名を呼ぶ。かつて戦場で幾度も肩を並べた男、言ってしまえば戦友だ。


「なんだよ。笑いに来たのかよ」

「なわけねーだろ。おめーに面白いもん見せてやろうと思ってよ」

「面白いもん?」

「うちに来いよ。今から出し物をやるんだ」


 彼は魔王の征伐が成されたあと、いち早くこの拠点街に家を構えた人間だ。


「出し物? クソつまんねえ『勇者様の英雄譚』か?」

「来ればわかる。ともかく行くぞ」


 ウォーゲンに押し切られて、アナンは彼の家へと向かった。




 ◇◆◇



「……おいおい。なんだよ、こいつは」


 通された地下室には、他にも数人の『元』勇士たちが集められていた。

 アナンの視線が向く先では、一体の魔物が壁に繋がれていた。


「見りゃわかんだろ」

「いや、そら、わかるけどよ」


 言い返されて、間抜けな質問だったことに気づく。

 緑色の肌に、長い牙、ぎょろりとこちらを見据える大きな赤目。

 いま目の前に囚われているのは、ゴブリンだ。魔王軍の主力たる屈強な歩兵で、魔の尖兵として真っ先に挙げられる魔物の代表格である。

 しかし、アナンが発した言葉の意図は別の所にあった。


「この辺の魔物は、掃討されたはずじゃねえのか」

「殴ってみろ、気分が晴れるぞ」


 質問を無視して、一人の勇士が促してくる。


「なんだ、やらねえのか」


 動けずに固まっていたアナンを見て、勇士はゴブリンの腹を殴りつけた。ギギ、とゴブリンが苦しげに喘ぐ。


「俺にもやらせろ。金を出したのは俺だ」


 ウォーゲンがそれに続く。何度となく殴りつけ、そのたびにゴブリンがうめき声を上げる。

 彼は晴れやかな笑顔で振り返って、アナンと視線を合わせた。


「やろうぜアナン。かたき、討ちたかったんだろ?」

「……おう、いいぜ。ちょうど、むしゃくしゃしてたとこだ」


 魔物をなぶるのが好きなわけではない。単純に、憂さ晴らしがしたかった。


「おらッ!」


 助走をつけて、ゴブリンの腹へと拳を沈める。咳き込む相手に構わず、アナンは続けざまに魔物を蹴りつけた。

 ひゅう、と誰かが口笛を吹く。それを意にも介さず、アナンは家主を振り返った。


「ウォーゲン」

「なんだよ」

「こいつゴブリンじゃねぇだろ」

「やっぱ気づくか。そうだよ、そいつは泥人形(ゴーレム)だ」

泥人形ゴーレムって、魔術師が戦いに使役するヤツか?」

「そうさ。この拠点街に居着いた魔術師に頼んで作って貰ったんだ。いいだろ?」

「……本物っぽいな」

「だろ? ……じゃー、お楽しみの本番だ」


 ウォーゲンはにやりと笑って鍵を取り出す。


「アナン、おめーに一番手は譲ってやるよ」

「あん? 一番手?」

「ただなぶるだけじゃつまんねーだろ。試合だよ、試合」


 言いつつ彼はゴブリンの拘束を解いていく。それに併せて勇士達が周りを取り囲むように移動した。路上の喧嘩にも似た、即席の闘技場が形成される。


「やらねーのか? きっと楽しいぜ? ……それとも、おめーにゃ荷が重すぎたか?」

「へっ、舐めてくれんな、てめぇはよ」


 アナンは笑って剣を抜く。戒めから解き放たれたゴブリンは、足下に投げられた棍棒を拾い上げて、一直線にアナンへと駆けだした。


「試合開始だ!」


 ウォーレンが楽しげに叫ぶ。振り下ろされた棍棒を受け流して、アナンは一歩、踏み込んだ。


「ああ。そんで、終わりだよ」


 流れるような一閃。

 胴を断たれたゴブリンは小さな吐息を漏らして、そのまま崩れ落ちた。


「一瞬じゃねえか! いいぞ、アナン! つまらねーけどな!」

「へっ、そりゃあどうも」


 ウォーレンがはやし立てる。周囲も楽しげに手を叩く。

 自分の武芸を褒められて悪い気はしなかった。

 しかし、どうにも虚無感が拭えない。剣を鞘に収めつつ、アナンは軽くため息をついた。

 動きが鈍い。これまで前線で相手取ってきた魔物たちに比べれば、まるで木偶だった。姿形は本物に比べても遜色ない出来だが、そこには殺意が見て取れない。攻撃に鋭さはなく、万一受け損ねてもせいぜい気絶する程度だろう。


「人形はやっぱ、人形だな。殺しに来てるって感じがしねえ」

「言ってくれるじゃねーか、さすがはアナンだ」

「でも、ま、楽しかったぜ。ありがとよ、ウォーレン」

「おう! ……じゃ、次だ! まだ何匹かいるぜ! 次はどいつが相手になる?」


 上機嫌に場を仕切るウォーレンの姿を見やりつつ、アナンはぼんやりと思索を巡らせていた。

 あのゴブリンには殺意が無い。命のやりとりをしている時の、ひりつくような緊張感が、今の戦いには欠けていた。


「……ああ、そうか。簡単な話じゃねぇか」


 次のゴブリンが斬り殺されるのを眺めながら、アナンは自らの思いつきに笑みを浮かべた。


 ――ならば、もっと手応えのある相手を作ればいい。



 ◇◆◇



 翌日の夜。アナンは街の外れにある森へと分け入っていた。


「ここまで離れりゃ、邪魔は入らねえだろ。……俺ぁ家を持ってねぇからな」


 彼一人ではない。後ろに伴うのは、一体の泥人形(ゴーレム)だ。

 昨日のゴブリンと同じく、ゴブリンに似た姿をしていたが、上背はアナンの倍近くもある。筋骨隆々とした身体は見るからに強靱そうだった。

 街に住む魔術師に頼み込んで作ってもらった異形の怪物だ。

 しかも、ただ肉体が丈夫なだけではない。


「じゃ、始めるか。……『理性を失いルースレスン暴威を振るえアナキリジア』」


 アナンは剣を抜き、そう唱えた。直後、大ゴブリンが頭を抱えてうめき出す。

 魔術師に頼んで、あの泥人形ゴーレムには『殺意』が解放できる魔術を仕込んでいる。本来的には『武器』として扱うための魔法だが、その対象が魔物ではなく人間に向くよう術式を編ませていた。

 大ゴブリンは猛禽のような咆哮をあげて、猛然と地を蹴った。

 棍棒が振るわれる。暴風のごとくに迫り来る死を彼はかわし、いなし、渾身の一撃をみまう。


「……ひゃはッ!」


 確かな手応えと緊張感に、アナンは思わず笑い声を上げていた。

 大ゴブリンが苦悶の表情を浮かべ、反撃を繰り出してくる。そこにまがい物の意志は無い。純粋な殺意が相手の目には宿っていた。

 背筋があわ立つ。しかし不快ではない。汗を飛ばし、息を切らしながら、アナンはゴブリンとの死合いを楽しんでいた。

 熱に浮かされているような思考の鈍化、沸騰するような全身のたかぶり。剣戟を交わしあう内、アナンはいつしか高らかに笑っていた。


「ははっ、ははははははッ!」


 敵討ちなどという言葉で誤魔化していたが、本当はわかっていた。

 自分はただ、挑んでみたかったのだ。

 暴虐の限りを尽くし、破壊の具現と謳われた『魔王』という存在に、自分の力がどれほど通じるのか。一人の勇士として、全身全霊をかけた戦いに身を投じたかったのだ。

 所詮は暴力に心を縛られた荒くれ者の一人だったというわけか。自虐的なわらいは、戦いの昂揚に塗りつぶされて、いつしか脳裏に沈み消えてしまっていた。


「殺し合おうぜ、本気でよぉ!」


 一歩を踏み込む。剣を振りかぶる。全力を込めて刀身をたたき込む。

 剣が肉を割き、骨に食い込む。アナンが腕を引き戻そうとしたところで――彼の持つ剣が大ゴブリンに掴まれた。


「……あぇ?」


 咄嗟に手を離すという選択も取れず、そのまま振り払われる。軽々と放り投げられて、アナンは背中から木へと叩きつけられた。

 背筋が凍りつく。先ほどまでの高揚感は既に失せていた。魔術師から教えられた『殺意を抑制する呪文』を必死で思い出そうとする。しかし、頭が回らなかった。


「……ひはっ」


 自嘲のような声を最後に発して、アナンは頭蓋をたたき割られた。



 ◇◆◇



 拠点街が、火に包まれていた。


「なんだ!? この辺に残党は居ないんじゃ無かったのかよ!」


 慌てた様子でウォーレンが叫ぶ。真夜中に発生した、それも予期せぬ魔物の襲撃だ。まともな迎撃態勢を取れなかった拠点街は阿鼻叫喚の様相を呈していた。


「あれは……! あの馬鹿め。『殺意よ消え去れセーブルース我が意のミルガウィ』」


 何かに気づいた様子の魔術師が呪文を唱えだす。

 しかし、飛来する棍棒によって彼の頭がはじけ飛んだ。

 そこから先は一方的だった。殺意を解放された魔物が――魔物の姿をかたどった泥人形ゴーレムが、規定された行動原理に沿って、一意に殺戮を繰り広げる。

 死体の山を築き上げ、勇士の首を手に咆哮する大ゴブリン。

 その声を聞く者は、既にみな息絶えていた。



 ◇◆◇



 明くる朝、一人の青年が拠点街に足を踏み入れる。


「あー、間に合わなかったか。生き残ってるヤツ、いんのかな……あん?」


 青年は独りごち、視界に一つの影を認める。

 視線の先では、灰と煤にまみれた一匹の大ゴブリンが、死体を貪っていた。


「……なるほどね」


 彼はどうでもよさそうに言って、剣を抜く。迫り来る巨躯に怯むことも無く、彼はあくまで冷静に大ゴブリンの喉元へと剣を突き立てた。

 異形が倒れ、青年は頭をかく。


「この街じゃ、ゴブリンなのか。にしてはデカいけど」


 周囲を見回して、彼はがっくりと肩を落とす。


「次は何だろうな。できれば食えるヤツがいい。生き残りが居たら、もっと良いんだが」


 その青年は、早々に拠点街へと見切りを付け――次の街へと足を向けたのだった。



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人形たちの遺戦 伊森ハル @haru_imori

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