第10話 怠惰の怠惰による怠惰のための世界の再構築

 この数週間の事を改めて俯瞰的に見つめ直してみる。

 僕が病んでいた……?無論、元来ダメ人間であるのは承知しているが、論点はそこではない。僕がヤンデレ化していたかどうかというのが問題なのだ。

 世間一般では多くの場合、好意が強すぎるあまり、精神的に病んだ状態になることをヤンデレと表現する。


 自問自答を繰り返しながらも、ディストピアは音を出して崩れていく。

 頽廃的な「二人だけの世界」という概念は、空想を通り越し、執着そのものだったのだ。

 まさしく理性のみをあの崖から突き落としたのが今へと繋がった。


 顔を洗う為に洗面所へ向かい、久方ぶりに見た僕の顔は確かに酷いものだった。この世に生きてはいなかったというれっきとした事実が提出されたのだ。

 鏡に対し、「お前は誰だ」と言い続けると発狂するとどこかで聞いたが、さながら今の状況は、鏡の中の僕が発狂している様を、僕が黙って見ているといったところだ。


「そうか、これが『病む』というものか」

 昨今においては、誰しもがすぐに使う言葉「病んだ」「病んでいる」。

 往々にして、医療的措置が必要となるケースは稀であり、「尊い」という語と同様に、軽々しく使える言葉だ。

 しかし、僕は確かに病んでいた。

「まずい!」

 僕は短いながらも時間をかけて、現実を再認識した。

 しかし、まいはどうだ。察するに、病み上がりで再開とはいかないだろう。むしろ今こそ決して独りにしてはいけないのかもしれない。自殺は流石にもうしないだろうか。

 それすらも危うい。いわんや、今のまいは自分ではなく、徹を殺しかねない。

『どっちに電話をかける?』

 そんな切迫した選択肢が現れる。脳内では既にブザーが鳴り響き、『第一種戦闘用意!!』という掛け声さえ、聞こえた気がする。


 正攻法を取らざるを得ない。まいの所へ向かいつつ、徹に電話をかける。電話をかけるという作業が久々なのもあいまって、通話にロスがでる。

「もしも、」

「おい!徹!今どこだ!まいは!」

「落ち着けよ、今はルソーだ。アイツはあの後どこかへ走ってったぞ」

「大丈夫だろうが、今のまいの精神状態は危ういかもしれない。気をつけろよ!」

 そう言って、早々と連絡先をまいへと変える。

 でてくれ、頼む、でてくれ!

 無慈悲にも電話はメッセージを催促する。

「まい!僕だ、直樹だ。話したい事がある。家で待っててくれ!

 これだけは聞いてくれ。僕は今でも、まいが好きだ!」


 ピンポーン

 いつだってそうだった。

 ピンポーン

 拒もうとも彼女は。

 ピンポーン

 中野まいは僕を見捨てなかった。

「まい、僕はな!根っからのあまのじゃくなんだよ!たとえ徹にやめておけと言われてもな、それでも僕はまいが好きなんだ!

 頼む、もう一度やり直そう!

 もう誰にも文句は言わせない、誰もが羨む、本当の『二人だけの世界』ってもんを造ってみせようぜ!」

 近隣の家がカーテンを閉じる。すみません。


 ガチャ

 ただ一人、応じるようにドアを開ける。

「直樹さん、本当に、私たちは一緒にいていいんでしょうか?」

 不安な目付きで僕に問いかける。

「駄目だ」

 まいは驚く。世の中いつだって自分の望む反応は得られない。

「僕らは依存を通り越して中毒になってる。だから完全に今まで通りという訳にはいかない」

「ちゅ、中毒……?」

「そうだ。愛しながらも別れようとしてお互いの熱量を確かめ合う、そんな状況が続くようではもはや中毒症だ」

「僕はもっと依存しても良いと言った。だがそれは睡眠薬中毒にならないためのリハビリテーションだ。

 僕といることで害になるのでは、関係は確かに破綻しているも同然だ」

「でも、わかったんだ。人は知らず知らずの内に、それも何の前触れもなく病んでしまうと。

 なぁ、まい。僕を救ってくれないか」

「わ、私がですか!?」

「もしまいにその力がなければ一緒にいても何も得ることはない。それどころか共倒れだ。

 僕はまいの病みを和らげる。その代償に、まいは僕の病みを回復させてくれ」

「はい!」

 涙ながらに、彼女は笑った。


 誕生と破壊を繰り返すのが歴史であり、それを構成する人間の細胞レベルでの性なのだ。

 欠けたものは何かで補えばいい。

 欠けたもの同士で、合わないパズルを完成させようとしたから、サイズの違う歯車を連結させたからこの事態を生んだのだ。

 社会との、現実とのインターバルを経て、僕はそれを再認識した。


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