第7話 かくて人類の怠惰は彼によって赦された

 すべてを涙として流し出した軽々しさと、貧血後ということもあってか、少し疲れたようだ。「泣き疲れた」という語もあるくらいだ。今夜は泊めてやることにした。

 青少年が待望する展開には決してならない。それでも構わない。「こっちの都合はおかまいなしってことね」と思われる訳にはいかない。「女性に嫌われるタイプ」のシャムシエル系男子なんてわざわざ目指すものでもない。

 まいは疲労か、あるいは何か思うところがあるのか、さっきから無言だ。

 妙なフォローをして気まずくなるのは本望ではないので僕も話さなかった。


 相変わらずの古びたアパート。

 しかし今日は聖域としてより格が上がった。神殿や社には巫女がつきもの。清廉潔白を男一人で生み出すには、世界はまだ謎が多すぎる。

「晩ご飯は私が作ります」と言ってきたがさすがに気が引けたので僕が作る事に。うどんだが。

「美味しい~」

「おきに召してなによりです」

 客人として、レディファーストとして先に風呂に入るよう促した。

 シャワーの音を誤魔化すべく、僕は洗い物を始めた。

 ほどなくして彼女はTシャツにショートパンツ?というラフな格好で現れた。童て、いや同棲カップルのようなレールもしっかりと踏んでいる。事実、紆余曲折らしい紆余曲折を経験している訳でもない。後はまいを自立させれば。

 風呂場にヒロインの香りが漂うってラノベだけじゃなかったんだ……


 徹しか使ったことのない客人用布団を礼儀として僕が使うことにした。徹、いろいろ落ち着いたらゆっくり話すわ、すまんな。

「直樹さん?」

「直樹さん、起きてますか?」

 彼女はおもむろにベッドから出て、僕の布団へと潜る。

「お、おい」

「えへへ、睡眠薬の代わりです🎵」

 そう言われると弱い。卑怯な病みワード使いやがって。

「私、直樹さんのこと、もっと、好きになりました」

「ま、まい」

 彼女はもう寝ていた。定番を通り越して、自分を医薬品として商標登録しようかとさえ思った。


 翌朝、となりにまいはいなかった。洗面所かトイレかあるいは散歩?

 テーブルには朝ごはんとメモがあった。


『直樹さんへ

 いきなり帰ってすみません。少し心を整理したかったので。

 朝ごはん、早めに食べてくださいね。

 まい』


「心を整理……」

 まったく、ヤンデレと付き合うと心配事が増えるな。二次元美少女は主人公が病んだ時に現れるものだが、リアルは違う。僕から病んだヒロイン、中野まいを探し出さなければならない。

 だが決めたんだ。何があってもまいを自立させるって。僕だけは彼女の精神の支柱になるって。

 まいには申し訳ないが、朝ごはんに手をつけず、僕は寝癖もそのままに、部屋から飛び出した。


 まいはダメ人間かもしれないが、廃人じゃない。女の子で、しかも彼女だ。なんだかんだと言いつつ、僕が駆けつけるのを待っている。

 自意識過剰?いや、部屋に何故か置き忘れたと思われる海辺への地図が、とりもなおさず彼女へと続く唯一の道しるべなのだ。

 アルバイトをしていない僕にとって、タクシーという魔物は、宝くじやギャンブルで大儲けしたか、下剋上を果たした以外に利用するなんて思いもしなかった。

 この地図のもうひとつ信用に足る点は、その海辺は自殺の名所としても有名だからだ。何が心の整理だ。一切を地球へと還元しようとしているじゃないか。

 さすがはタクシー、高いこともあって速い。

「どこだ、まい……!」

 いくら僕が脆いメンタリティだからといって、自殺を望む人間が選ぶ地点なんて予測出来ない。

 夏だというのに、この海辺だけは閑散とし、海の家なんて一つもない。

 ふと断崖に目をやると、そこにまいがいた。

「まいー!!!」

 波の音と高低さもあって聞こえていないようだ。目の前でいかせる訳には...


 必死で走った。間に合わせなければならないというその一心で。

『メンヘラ女に捕まったが最後、破滅の道をたどるんだな。今までありがとなー直樹』という徹の言葉が頭をよぎった。

 僕のことだ、まいが飛び降りたら、僕も飛び降りるだろうな。

 まいのいる場所までたどり着いたのと同時に、まいが崖の端へと歩き出す。

「待て!まい!」

 彼女は歩みを緩めない。いくらなんでも聞こえてるだろ。

「こうなったら…」

 僕は転けそうになりながらも必死に走る。もう目線はまいにすら向かっていない。その先だ。

「直樹さん!?」

 彼女が無視を貫けなかったのも当然だ。

 僕はまいを抜かしたのだから。

 自殺する素振りを見せてきたからといって、毎度助けていては、「たぶん今回も助けてくれるだろう」と意識的・無意識的を問わず、考えてしまう。それが人間だ。なら、こうするしかないだろう?

 もう二度と繰り返させないためには、彼女の行動がトリガーとなって、誰かが死ぬ。不条理この上ない浮き世で生きていくには、荒療治だろうか必要な事だ。

 人類の罪を償うべく、あまんじて死を受け入れたイエス・キリストのように。


「直樹さん!!!」


「まい!大好きだー!!!」


「やめて!!!」




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