第6話 怠りを修正した寿命

 時が止まった。その言葉が比喩か現実か、それすらもわからないほど頭が真っ白になった。

 周りがざわつき、ようやく事態を把握する。


 まいが倒れた。

 他の誰でもなく、中野まいが。

 さっきまで元気いっぱいに笑っていた、あのまいが。


「おい!まい!大丈夫か!?」

 返事はないが、息はしている。医学知識も医師免許もこういった経験も皆無な僕はただそう叫ぶしかなかった。ほどなくして監視員が走ってきた。


 監視員は適切に処置を施し、医務室へと運んでいった。その間僕は何も出来なかった。ただ呆然とまいを見つめることしか出来なかった。虚空であろうが、脳内であろうが、どうすれば良いかの答えは返ってこなかった。


 結果から言って重病でも、ましてや呪いでもなかった。

 疲労からきたきつめの貧血だった。

 安心したのもつかの間、一つ気にかかった。

「疲労からきた……?」

 熱中症でもなく疲労。考えすぎかもしれないが、どこか腑に落ちない。閑古鳥の鳴くルソーがブラックバイトな訳もなく、他に働いている素振りもない。


「すみません、直樹さん……」

「大丈夫か?」

「はい、ちょっと疲れちゃったみたいです……」

 どうも様子がおかしい。貧血の後だからか?

「プールで疲れたのか?」

 彼女は口を閉ざした。

 しばらくしてもう大丈夫とのことなので医務室をあとにし、帰宅する事にした。


「驚かせちゃいましたね」

「まったくだ」

「意識が遠のく時、直樹さんの声が聞こえましたよ。あんな大声出るんですね」

「まい……」

「どうしたんですか?」

「何か隠してないか?」

 彼女の表情に一瞬影が差した。夕焼けのせいではあるまい。

「私は、ダメ人間だって、言ったじゃないですか」

 やはりそこか。アルバイトでもなく、ましてや夏休みだ。大学の問題でもない。残るはヤンデレの「病み」だ。

「私、眠れないんです。それで、以前は睡眠薬を使ってたんですが、直樹さんと出会ってからは少しずつ眠れるようになったんです。でも、恋人になってから、『私がこんな幸せになっていいの?』って思っちゃって。

 そうしたらまた眠れなくなり始めて。でも、もう薬には頼りたくなかったから。直樹さんに頼るって決めたから……」


 愛の言葉は案外言いやすい。

 でも決心した事を口にするのはそう容易くない。言葉に出して、それが遂行出来なかった場合、負けたことになるから。

 そうやって知らず知らずの内に僕は目標を持つのを辞めた。叶わないなら叶えようとしない。そう思っていた。


 彼女は、中野まいは違うんだ。

「ダメなんかじゃない……」

「えっ?」

 彼女に落伍者の烙印を捺す人間がいようものなら、僕はそいつを許さない。倒れた時、すぐに行動出来なかった腹いせも兼ねて叩き潰してやる。

「頑張ったな」

 涙が溢れた。

「はい……!」

「私、がんばったよ!なのに、なのに!」

「もっと僕に依存しても良いんだぞ」

 泣き続けるまいを僕はハグするしか今は出来ない。依存、本来推奨すべきものではない。たとえそれが恋人であっても。


 それがどうした。僕はまい以上のダメ人間だ。大学というモラトリアムが終われば、僕なんてこの世のどこでだって生きていけない。だからなんだ。常識なんて所詮、偏見の押し売りにすぎない。

 モラトリアムが終わるその時に、後悔してさえいなければ死んだって構わないじゃないか。

 僕に彼女を養う力はない。それで打ちのめされるくらいなら、養わなければ良いのだ。

 こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、人生計画を修正した。ハッピーエンドは、物語が終わってこそハッピーエンドなのだ。


 中野まいは僕の腕の中で闇を吐き出し、涙で洗い清めていた。彼女はきっと克服する。

 その日まで、そう、その日までは、僕は彼女に依存される。

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