零
もし本当に死者の世界が人間に嫌気がさしたのなら。
ぼんやりと考える。
ぼぉぉんやりと考える。
する事はあったが、考えるべき事はなかったから。
僕はぼぉぉんやりと、考えていた。
祭りは終わりがあるから心を沸き立たせるのだ。余韻に浸るのは良いが、長引かせるのは興醒めだ。
死者は死者らしく安らかに。つまりはそういうことだった。
地上を満たしていた死亡経験者はその魂の尽くをあるべきところに返した。
悲鳴もあげず、静かに、ゆっくりと。
その肉体は。
その魂は。
糸の切れた操り人形のように。
回らなくなった発条細工のように。
動きをとめた。
あの奇跡の日からしめて丸三ヶ月。世界人口の七割にまで達していた死者達はお通夜のように静かになっていた。
これだけの期間でよくこれだけの人間が死んだものだ。
そして残された生者達は死を悼む暇もなく、世界規模の混乱の最中自分達も後追いにならぬよう必死に今日を生き抜こうとしている。特に被害が大きいのは食糧難を国民総死亡政策で乗り切ろうとしていた発展途上国や、寒冷地帯や砂漠といった厳しい環境の中にある国々だった。
日本の被害はそれらに比べればまだマシだった。時期が良かったのではというか意見もあった。これがただでさえ自殺者の多い五月に起きていたら被害はもっと甚大なものになっていただろうという意見がまことしやかに噂されていた。平静を保っている人間が聞けば一笑にふすような内容だが、笑ってられる余裕がある者はもういない。
誰もが生きるのに必死だった。
誰もが飢えて野垂れ死なないように、必死に生きようとしていた。
もし本当に天木の言う通り死者の世界が人間に嫌気がさしたのなら。
僕は喪服に袖を通しながら思考を続ける。自分が葬儀に出席するわけではない。
死をなくすだけで満足するだろうか?
なぜ死後の世界でも醜く争い続ける人間の魂を追い出さなかったのか?
ぼんやりと考える。
ぼぉぉんやりと考える。
死者の世界は、きっと楽しんでいたのだ。
人の悪性、どうしようもない汚れを。
彼らは観客だ。道化の演技を手を叩いて腹を抱えて笑う観客。
そして道化は死した人間だった。
死後も幽世で嫌いあい、憎みあい、呪いあい、屠りあい、殺しあう、人間だった。
僕ら大衆が娯楽を享受しては容赦なく飽きて次を求めるのを繰り返すように、死者の世界はどんどん次のエンターテインメントを求めた。
焼き直しはいらない。二番煎じは暇潰しにもならない。
新しい演者が必要だった。
新しい芸人が必要だった。
新しい娯楽を必要としたのだ。
貪欲に強欲に、欲したのだ。
手に入れる為に現世に干渉するのも厭わないほどに。
死への恐怖を奪い、皆が自ら世界のバグともいえる不死に身をやつすように。
時がくれば、そのバグが修正されれば、不死を夢見た人々は夢うつつのままに死の世界へと溺れて沈んでいく。
忘れていた正しい死をその身をもって、その魂をもって知る事になる。
――なんて長々と語ったけれど、こんなのは所詮絵空事で戯言だった。
天木がいれば、こんな空想になんて言葉を返してくれるのだろう。
天木は死んだ。否、正しく死に直した。
"異変"が終わった日、あの部屋を訪れて目に入ったのは、床に崩れ落ちた彼女の姿と天井から外れた照明だった。人一人ぶら下げ続けていた照明器具は遂に耐えきれず壊れたのだ。
倒れ伏した彼女の目は飛び出ていた。着ていたワンピースの裾は濡れてシミが出来ている。
彼女の死に顔は、苦痛に満ちていた。
醜く、汚く、恐ろしく、怨恨に満ち、憎悪に満ち、後悔に満ちた表情をしていた。
生きてきた人間の、死に顔だった。
天木はあの世で自分が殺した新島に出会ったのだろうか。また暴力を振るわれ、いつか刺し殺すのだろうか。
そんな絵空事を空想しながら僕は今日も職場に行く。職場復帰してから二週間が経つが、休みはまるでない。
アパートを出ると道には大量の死体が転がったままになっていた。まだ処理の手が届いていないのだ。
腐臭にはもう慣れ親しんで拒否反応も感じない。
体に積もる倦怠感と疲労を認識する。その重みだけが生を実感させていた。
いつかの天木との対話をふ、と思い出す。
生きる理由は、まだ自分にはわからない。
死なない理由も、わかっていない。
わかる予感もしない。
けれど。
生きるということは変わるということだ。
傷つき、老い、衰えていくということだ。
この予感だって、生きていればいつか変わるかもしれないということだ。
生きていれば。
僕の死に顔は、虚でうろんな空っぽのものではなく、苦痛と悲哀と怨恨と憤怒で満ちた顔になるかもしれないということだ。
生きるということは。
そういうことだ。
だから、僕はとりあえず。
生きている。
ぼぉぉんやりと。
パレードが君を連れていく 茂木英世 @hy11032011
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