四周目

 バイト終わり、夜道を一人で歩く。手には缶ビールと廃棄予定だった弁当。シフトが同じだった年下の子ら二人に飲みに行くかと誘われたが丁重にお断りした。繋がりは必要最低限にしておきたかった。

 こんな世界でもこんな世界なりに日々は回っていくのだ。

 アパートに着くと、自室に鞄を放り込み、すぐに扉を閉める。そのまま階段を登り、自分の真上の部屋に入る。ノックもしない。

 そこでは首を吊った状態の女が延長コードで繋がったスマホでゲームをしていた。それまで使っていたアカウントが動いてるのがフレンドにバレると面倒だからなんだと言って不平不満を盛大に漏らしながら新しくインストールし直していたのが記憶に新しい。

「お、おっつー」

 僕の存在に気づいた天木が声をかけてくる。僕はビニール袋を掲げて返答の代わりとした。

 血が足についたちゃぶ台の上に袋を置き中身を取り出す。缶ビールを二本置くと女の目が輝いた。

「お、ついに私の分も買ってきてくれたのか」

「そんなわけないだろ。死者に酒を飲ます程もったいない事はない」

 不飲酒戒だ。

「なんだそれケチケチケーチ。高ケチ、ケチ垣」

「子供か」

 そう言ってプルタブを開ける。舌を出してくる首吊り女を黙殺してテレビをつける。適当にチャンネルを変えていくと夜のニュースの時間だった。

 取り上げられている話題はどれも世界の変容についてのものばかりだ。

 その一つに死刑囚の扱いの問題があった。

「私と同じ状態にしちゃえば良いじゃん」

 どうやらソーシャルゲームのアプリをもう閉じた天木はテレビの内容に目を向けていた。

「ご飯代とかかかんないし、結構居心地良いし。十三段だっけ? 階段登らせてさー」

「死刑囚になるような人を居心地良くさせちゃ駄目だろ。罰が必要な人達なんだから」

「あ、そっか」

 天木は軽く答える。大した主張があったわけでもないらしい。

 あと十三階段は都市伝説だ。

 某国議会ではこれまで迂闊に試せなかったリスキーな臨床試験の実験台にするべきとの案も上がったがこれは世界的に批判されていた。

 曰く非人道的だの倫理観の欠如だの。

 明言はしないがそんな討論を聞いてなんとなくおかしな話だと感じた。

 おかしいと言えば、そもそも大の大人達が不死だなんだと大真面目に唱えているこの現状が、おかしさの最たるものなのだけれど。

 

 ニュースは既に次の話題に変わっていた。

 取り上げられている内容は、つい先日動画投稿者二人組がアップした動画が今話題になっていた。

 元々過激な動画を投稿していたその投稿者ら二人組は、片方をミンチにした。

 夥しい量の血に浸された肉屑ははミキサーから出された後グネグネと動き、しばらくすると赤と桃色のマーブル模様の一つの肉塊に再構成された。

 肉塊は何かに気づいたようにビクンと震え、また形を構成し直した。極大の腫瘍のような肉塊の表面の一部分が膨張し、突起物となる。肉の棒はそのままズルズルと伸びてゆき、撒き散らされた鮮血に先を浸してから地面を舐めるように動いた。

 動きを止めた後の地面をカメラが映した時、そこには幼稚な筆跡で英文が記されていた。


 ”きぶんは さいこう”と。

 

 即座に動画は削除されたが、野次馬根性旺盛で倒置した慈善感情を持った数名がコピーした後に拡散、それを見た者がまた同じ事を繰り返し、気づけばその動画投稿者らはその日世界で一番有名な人間と肉塊になっていた。

 

 テレビ画面から眼を離した僕の視線が天木に向けられる。

「なぁ、これって君も同じこと出来るのか?」

「うん? あぁそうだな。元の肉体が何かしらの形で残っていれば、その形や数に関わらず動かせる、と思う。私もやった事ないから、たぶんだけど」

 そこで天木が僕の視線に気づいた。顔が露骨に嫌な表情を浮かべる。

「何見てる。良いか、絶対に試そうとするなよ」

 僕は曖昧な笑顔で応える。雲行きが怪しい。

「というか前から疑問だったんだけど」

 僕は暗雲から逃れるように話題の舵を切る。

「お前らって――つまりさっきの肉塊のような、間違いなく死んでる状態でも生きてるような奴らって、どういう原理で動いてるんだ?」

 世界中の科学機関が総力を挙げて調べ上げている事柄をこんなアパートの一室で取り上げてどうするんだと言い終わってから後悔したが、意外にもこの話題は天木の興味を惹いてくれたらしい。

「んーとねぇ」

 しばらく悩み、それから適した言葉を見つけたように天木は目を開けた。

「”魂”だけで動けるようになった、って感じかな。うん、たぶん正しくは違うのかもだけど、これが私的には一番しっくりくる表現」

「”魂”だけで? 」

「生きてる間は心臓の鼓動やら血の流れ、神経の速度とか、なんていうのかな、生きてる時しか動かないものが邪魔で”魂”の力で体を動かせなかったけど、一度死んでそういうのが全部止まってから”魂”が体に戻ってきたお蔭で、”魂”から直接、何の壁も干渉も無く体を動かせるようになった……、で良いのかな、表現としては」

 いや僕に聞かれてもな。

 しかし。

「ふぅん」

 一度死んで、と天木は言った。

 死に、生の軛から解放されることで肉体的な制約を取っ払う。けれど普通の人間、普通の状態なら、そのまま命は失われる。

 けれど今の世界は普通じゃない。生の軛から抜け出して肉体の限界をなくし、その上でもう一度生き返る。

 この解釈が正しいとすれば、厳密に言えば人は死ねなくなったのではなく。

 死を越えられるようになった、というべきか。

 「だから首が切られてようが首を吊ってようが、息をせずに酸素を吸わなくても頭は働くし、声を出せる。まず”魂”があって、その輪郭に肉とか皮がピッタリ張り付いている、感じ? 一度死んで魂優先の体にすれば、輪郭と状態を強く保てば老化も腐敗もしない」

 心底こんな四畳半の部屋でする話じゃないよな、と思いながら僕は話を続ける。

「痛みや苦しみは感じないのか?」

「感じないよ、感じようと思ってないから。痛みを感じる部分とかにわざわざ魂を繋がなきゃそこは動かないんだよ」

 イメージとして近いのは操り人形か? 天木の言う”魂”が糸で、体と感覚が傀儡。

 "魂"を繋いだ部分は動かせるし、任意で感覚を得る事も出来る。逆に言えばどれだけグチャグチャになった部分でも、そこに"魂"を繋いで感じようとしなければ何も感じない、という事か。

 しかもこの糸はマリオネットのように腕や足といった大まかに分けられた部分にではなく、筋繊維の一本一本、さらには細胞一つ一つにまで細分化して繋げられる。だから老化や腐敗も防げているのだろう。

 どうにも天木の表現が曖昧すぎて解釈が大味だが、天木も自分の感覚を無理矢理言葉に変換して出力してくれているのだから、贅沢は言えなかった。

「自分の体が完全に自分のものって感じれるんだよ。あーあ、今高校の時の体育の身体能力検査受けれたら、結構凄い数字出ると思うんだけどなぁ」

 これまで数多の科学者哲学家思想家が生涯をかけて求めてそれでも辿り着けなかった不老不死の身体を得て、嘆くのがそれだった。

 けれど、まぁ。

 それくらいが人間の身の丈には合った行いなのかもしれない。

 

 しかし、"魂"、ねぇ。

「まさか日常会話でそんな言葉を使う日が来るとはね」

 缶ビールを啜る。最後の一口だった。

「あ、なんだ馬鹿にしてんのかー」

「してないよ、ていうかもう出来ないだろう。こんな世の中じゃ」

 不死身の人間が横行してる世界で、何を今さら。

 僕は嘆息まじりにシニカルに笑う。

「なぁ、じゃあなんかあの世とかと交信出来たりしないのか」

「出来ないよ。ってか思うに、私らはさ、もう締め出されちゃったんだと思うんだよね」

 あの世から。

 入国厳禁。

 ブラックリスト入り。

「締め出された?」

「この状態になってする事もない、っていうか出来る事もないから生まれて初めてってくらいぼぉぉんやり考えてたんだよ色々。なんでこんな事になったんだろなー、とか。あ、こんな事ってのは死ねなくなった事ね。あいつ殺す事になったのは単に私もあいつも馬鹿だっただけだから」

 いやその注釈は返答しづらい。

「それでさ、私も死んであの世に行ったとして、もしアイツと出会ったら、たぶん今度はアイツが私を腹いせで殺そうとするだろうし、私だってもう一回アイツを殺す機会があるならたぶんそうするよ」

「…………」

 軽薄に、純粋に、天木は殺意を口にした。

「そんなもんだよ、皆きっと。こんな男女の関係なんてちっぽけで、それこそ戦争とかだって続けてるんじゃない? けどそれってあの世側からしたら凄い迷惑でしょ」

 現世で死んだ人間が、幽世に集って。

 そしてそこでも人間は、そこに相手となる人間がいるならば。

 嫌いあい、憎みあい、呪いあい、屠りあい、殺しあった。

 何千年も、何万年も、人の歴史が始まった頃からずっと。

 あの世はそれを見てきたのだ。見続けてきたのだ。人間の、憎悪と絶望の連鎖を。

 もううんざりだ、と。

 人類総出演の壮大なスナッフフィルムを見せられ続けて、絶叫した世界に人類は追い払われたのだ。

 荒唐無稽な誇大妄想だけれど、何となくそれを馬鹿話と笑う事は出来なかった。

 それは天木が実際に一度死んだ人間で、自分がそうではないからだろうか。

 それとも、自分が心のどこかで彼女と同じような事を夢想していたからだろうか。

 胸中の迷いを態度に出さないように、弁当の残りをかっ喰らってビールで流し込む。

「嫌われ者だな、人間は」

「人間が人間を嫌ってるんだからしょうがないでしょ」

 そりゃごもっとも。

「なあ」

「んー?」

「お前、僕の部屋に来ないか」

 天木は突然の僕の申し出を受けて、キョトンとした顔で僕を見てそれから爆笑した。惜しみなく、躊躇なく。

「なに、なになに誘ってみたの? 勇気出して? 一大決心して? わ、やらしースケベだ」

「違うよ、違う、そんなわけないだろ。何かするとかそんな考えは一切ない」

「本当は?」

「黙れ」

 僕は面倒になって強制的に断ち切ろうとするが、この状況ではむしろそんな言動は逆効果であることに言い終わってから気づいた。余計にニヤニヤを増した天木の顔を歯噛みしながら睨みつける。

「わざわざ僕が毎回ここまで来るのが面倒だから提案しただけだ。もう忘れろ、気にもするな」

「んー、ふふ、いや嘘、ごめんごめんからかって。そうだなぁ。うん、けどごめん、断るよ」

 私はここで首を吊り続ける。

 そう断言した天木の顔は、笑っていた。

 これ以上ないくらいに。

 悲しげな笑顔を浮かべていた。

「なんかさ、こうなってからずっと、どんどん希薄になってっちゃうんだよ。記憶とか感情とか、そーゆー私らしいものじゃなくて、もっとアバウトで深いところにあるものが。薄くなって、軽くなって。だから一度この縄から外れちゃったら、今まで何とかここに抑えてたものがどっかに飛んでっちゃう気がしてさ」

 天木は、優しく微笑みながらそう言った。

「ごめんね、こんなフワフワした話で」

「……今更だろ」

 僕はもう中身のない缶ビールをあおる。空の代わりに飲み干したのは、後悔だった。

 こんな顔をさせたくて言ったつもりじゃなかったとか。

 もっと別の言い方なら、もっと別の答えもありえたんじゃないかとか。

 そんな考えを、脳裏に浮かぶ無様な自分の姿ごと、嚥下する。

「ふふ」

 天木はそんな僕に気づかないように、無邪気に笑っている。

「高垣はさぁ、なんで死なないの?」

 なんで死なないのか、か。

 凄い質問だな。

 凄すぎて気も紛れた。

「……死ぬ理由がないから?」

「けどそれなら生きる理由も特にはないでしょ」

 間髪入れず返される。僕の答えは予想されていたようだった。

「んー…」

 僕は悩む、ふりをする。

「んー…………、駄目だ眠くなった、寝る」

「あ、ごまかした」





 そんな戯言をぬかしあった日から、また時間は経って。

 いまだ不死の科学的根拠は実証されていない。

 けれどそれよりも早く、不死に関する情報は民衆の間で流布されていた。

 それは、実際に死を越えた人間らが体感した、不死による恩恵についての情報だった。

 今や世界中の人間が次々と自殺して蘇る。痛みも苦痛も老化もない体を求めて。

 流行りの死に方は安楽死だそうだ。

 死んだ時の体の状態をそのまま"魂"が覚える為、死後はどんな形でも存在さえしていれば動けるけど、再生は出来ない。だから欠損のない綺麗な体で死後の生活を営めるよう、世間では眠るように死ねるという触れ込みの薬が大量に出回り出していた。

 日を追うごとに人は死に、世界の過半数が死亡経験者となるまで時間はさほどかからなかった。

 それからもなお一度死に、不死性を得ようとするものは後を絶たない。

 世界は自然の摂理から外れた者達が主となって運営されるようになり、命の価値は、否、生きている事の価値は暴落した。

 暴力的なほどに。暴虐的なほどに。

 生きている事の意味は奪われた。

 死の不明瞭さと恐怖は奪われた。

 人は死に、そのままの体で動き、泣き、笑う。

 その体に苦痛はない。その体に老いは来ない。その体に病魔は訪れない。

 生と隣り合わせの制約と苦難は失われた今。


 とても。


 とても。


 人は幸せだ。


 その幸せに包まれたままに。

 全ての不死者はある日突然、正しく死に直した。

 タイムラグがようやく追いついたように。

 バグがようやく修正されたように。

 死を超えて活動していた人間は、一人の例外もなく死の再来に抗えなかった。

 世界人口の七割が一瞬にして失われ、世界は崩壊した。

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