【おまけのおまけ】洋海ちゃんの野望




 真新しいエプロンをぴしりと着け、肩までの髪は後ろで一本にまとめる。

 ぴょんと飛び出した迷子の毛束もしっかりとピンで留めて――。

 ダサい……が、いいのだ。どうせ誰も見ていない。

 念入りにしつこいくらい手洗いをして。


「いざ。戦闘開始っ」


 溶かしたバターと生クリームを火にかけて、刻んだチョコレートを投入。まずはガナッシュ作りだ。

 焦らずゆっくり、愛情たっぷり込めて溶かし、混ぜていく。


「むふふ」


 思いのほかキレイに溶けて、まろやかになめらかになってきた。

 バットに流し込んで粗熱がとれたら冷蔵庫へ。

 ふむふむ、一時間程度……と。

 レシピを再確認がてらホッと息をついて一通り片したら、今度はコーティング用チョコレートの準備へと入る。


 それにしても運がよかった。

 バレンタインの前日に風邪で寝込んでしまうなんて最低!最悪!もう終わったああああ!と絶望したが。

 夜までにはなんとかマシなレベルまで熱が下がり、こうして台所にも立てている。

 きっと日頃の行いがいいおかげに違いない。見たか、哲くんめ。

 この分だと余裕で綺麗に仕上げられて、凝った可愛いラッピングまでできそう。問題なく明日中に渡せる。


 ニマニマしながらも細かく温度調節に気を配り、湯せんから外したボウルを今度は氷水へ。

 温度が上がり過ぎたらやり直しになってしまう。

 テンパリングは気を抜けない。


 およ。

 いつの間にかすっかり時間が経過してしまっていた。妄想が過ぎたようだ。

 冷蔵庫を開けると、イイ感じに固まったチョコレートが自己主張している。 

 楽しい時間があっという間に過ぎるというのは本当だ。


 冷やし固めたガナッシュを丁寧にひとつひとつ切り分けて……。


 さあ、コーティングだ。

 ここからがさらに楽しい時間なのだ。

 

 と、その前に……


 哲くんには日頃の恨みと感謝を込めてワサビ入りガナッシュを進呈しよう。ふふふ。

 5ミリくらいだろうか……えいやっ、と慎重にチューブから絞り出そうとし――――あっヤバい、1センチ以上出ちゃったか。

 ま、いっか。


 路代センセーはお酒好きだから、オレンジと桃のリキュールをたっぷりめにしてあげよう。

 あ、ナッツとドライフルーツも多めにトッピング。


 睦月は……あ、しまった。

 本命の柾貴さん共々どんな味が好きか聞くの忘れた! あたしとしたことが、なんという失態!

 うーん、どうしようか。今からじゃもう遅いしバレたらサプライズの意味がなくなってしまう。

 そもそも甘いモノ好きじゃない、とかだといけないから……無難にビターベースにしておこうかな。トッピングもほどほどにして……と。


 あれっ。

 コーティング用のが固まってきちゃった。ニタニタのんびりしすぎたか。

 もう一度湯せんの準備だ。大丈夫、あわてないあわてない。 


「問題は渡すときなのよねー……」


 かき混ぜる手は止めないまま、うーん……と天井を仰ぐ。


 都合よく実家に顔を出すかわからないから、路代センセーのだけ学校に持ってこうかな。

 あとは…………

 うん、やっぱ学校でもみくちゃにされたら大変だから、いったん取りに帰ってからまとめて大谷家に持ってこう。(←もちろん約束してない)

 哲くんはともかく睦月なんてあちこちからたっくさんもらいそうだしね。

 

 そしてそして、大谷家に到着して――――待てよ……お稽古中だったらどうしよう?

 いや、そこはひるまず道場に直行よ! 女は度胸!

 ちょっと驚いた顔をしたカッコイイ柾貴さんが出てきたら、チョコ渡しながらこう言うの。


 ――『あ……あのっ、もうバレバレだと思うんですけど、初めて会ったときからずっと柾貴さんのこと……』


 いやあああああああ、言えるかな? 言えるかな? ガンバレ、あたし!

 んでもって、柾貴さんは相変わらず優しい笑顔をしてて、


 ――『ありがとう。ずっと可愛らしいお嬢さんだと思っていたよ』


 とか、嬉しいこと言ってくれちゃったりして……

 うきゃあああああああ! 素敵すぎる! 鼻血出そう。

 んでもって、んでもって!

 モブとかもいつの間にか後ろに控えてて、その前で睦月がこう言うの。


 ――『ずっと素っ気なくしててごめん。なんか……照れくさくてさ。「母さん」って呼んでいいかな?』


 ……なんて。うっっきゃーーーーーー!!

 やだわ母さんだなんて。「ママ」って呼んでいいのよ?


「なあんちゃって、うきゃーーー! いやーーー! 恥ずかしーーー!」


 興奮しすぎて顔がめちゃめちゃ火照ってきた。顔どころか全身熱い。

 ぐるぐるぐるぐる。

 ん?

 チョコのかき混ぜすぎで視界まで回るなんてことある?


「あ、あれ……」


 こころなしか頭も……なんだか、ずっしり重く――


 え、やだ。まさか。

 また熱が上がってきた?

 ぶり返しとかやめてやめてやめて。

 ぐるぐるぐるぐる。

 間に合わなくなっちゃうじゃん!

 バレンタインさえ終わったらおとなしく何日でも寝込むからああああ。お願い、今は勘弁してええええええ!






「ぐるぐる……うぅーん……むにゃむにゃ」


「ほう……俺にはワサビ入りなのか。洋海コイツめ」


 口の端を引きつらせ、冷え○タの上からから洋海の額にグリグリと拳を押し当てる哲哉。学校帰りなため、もちろん制服姿だ。

 持ってきた課題プリント類一式を机に置いて横に戻ってきた睦月も、同じく洋海の顔を見下ろしながら微妙な笑みを浮かべている。


「病人相手にそれ、いいのか? うなされてんじゃん。まあ……警戒すんのは来年以降でいいんじゃね? ワサビ。今年はさすがにもうムリそうだし」


「コイツなら執念で熱下げるかと思ったんだけどな。さすがに当日になっても無理だったか」

「張り切ってたっぽいしちょっと可哀想な気もするけど…………『ママ』はねえだろ、洋海おまえ


 どちらからともなくもれた苦笑。


「しっかし、すげーハッキリした寝言」

「計画ダダ洩れになるほどにな……」

「計画っつーか、野望?」



「哲ちゃーん、と綺麗なお友達くーん。洋海の部屋そんなトコにいたら感染っちゃうわよ。こっちいらっしゃい。お茶いれたからー」


 階下から響く母親の声が退室の合図となった。


「はいはーい」

「えー……オレすぐ帰るっつったじゃん」

「いーからいーから」


 そっとドアが閉じられて二人分の足音が遠ざかっていく。


 学校帰りにわざわざありがとうねえ。さ、どうぞ座って。

 あ、いえあの……お構いなく。

 おばちゃん、このチョコうまっ!



 にぎわう遠い声に起こされることなく、野望を抱いた少女はさらに深く安らいだ眠りへと落ちていった。








 

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Steel Eyes @Sato-I

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