3話

秋晴れの空が、茜色に染まる頃。


舞子は、カウンターの奥にある小窓の磨りガラスが風の音に揺れるのを感じながら、

華奢な装飾が施されたティーカップを愛おしそうに磨き上げた。


ーーー今日は、なんて穏やかな日だろう。


店内はこじんまりとしていて、カウンターやテーブル席もそれほど多くない。

しかし、置かれているもの全てに『愛が溢れていた』のだ。


『上善寺さんのティーカップは本当に素敵ものばかりなんですね』

『ほほ、舞子さん。君にとっての素敵とは、どういうものが基準なのかね』


舞子はカップを磨く手を止め、上善寺の微笑みを見つめた。


『素敵だと感じるものに、理由なんてあるのでしょうか・・・』

上善寺は少し驚いたように目を見開き、ゆっくりと頷いた。


『そう、素敵なものを素敵と感じることのできる心が、素敵なんだと思いますよ』


舞子は、顔と首のあたりが熱くなるのを感じた。


『上善寺さん、、そういうば、牛乳が足りなくなりそうなので・・・買い出しに行ってきます!』



短く切りそろえたボブカットと、小さな銀色のピアスが揺れる。



丈が少し短めのブラウンのサロンエプロンを慌てて脱ぎ畳むと、買い物かごを持って裏口へと向かった。



舞子が出て行ったの見届けた上善寺は、戸棚の奥に手を伸ばした。


綺麗に並べられた食器の奥の、さらに奥。


白い薔薇の模様が施された、ティーカップを取り出した。



『舞子さん』




ーー言いかけて、彼女の横顔が脳裏を過ぎる。




上善寺は、取り出したティーカップに施された白い薔薇を愛おしそうに親指で撫でた。


まるでその薔薇は、朝露を纏ったかのように瑞々しく、装飾あるにもかかわらず、その澄んだ空気に漂う芳香を感じるようだった。



上善寺はふと思い出したように、銀製のポットに新鮮な水をくみ、火にかけた。


そして、背後にずらりと並んだ茶缶から一つ取り出す。


缶を開けると、金色のスプーンで二杯半掬い、

温めたポットの中に入れるとお湯を注いだ。



ティーコジーをかける時、舞子に初めて出会ったときに言われた『帽子みたいでかわいい、』という言葉を思い出して口元が緩んだ。



砂時計から、ゆっくりゆっくり、砂が落ちてゆく。


上善寺には、それが永遠に感じられた。



砂時計が落ち切る寸前になって、上善寺は小さな茶杯でテイスティングをする。


はっとしたように茶杯を見つめると、ティーコジーを外して茶葉を引き上げた。



そして、『白い薔薇』の装飾が施されたティーカップに、茶を注ぐ。



薔薇の秋摘み。ロージー・オータムナル



秋に摘まれたダージリン紅茶は、甘く、円熟したような穏やかな味わいだ。

そして、『薔薇の秋摘み』と呼ばれる所以は、香りだけでなく、まるで薔薇のような水色をしているからだ。



ひと口、茶を含み空気と共に口の中で転がす。


穏やかな甘み、芳ばしい香りが鼻から抜ける。



またひと口、ひと口と茶を味わっていると、裏口のほうから音がする。



ーーーー舞子が帰ってくる音だと、すぐにわかった。



『ただいま戻りました、牛乳がいつもの店になくて少し遠回りしちゃいました』


買い物かごから牛乳を取り出しながら、舞子は香りに気付く。



『わぁ、なんですか?このお茶!すごく綺麗な色!』


『ほほ、これはダージリンの秋摘みですよ』


『へぇ、秋摘みって聞いたことはあったけど……。この店に置いてないのかと思ってました!』


舞子は自分の知らない茶がまだ店にあったことに、少々不満げに上善寺を見つめた。


『ほほ、これは私の秘蔵のお茶でね』


『秘蔵の?……たしかに、季節的にオータムナルって早いですよね。もしかして、去年の?』


上善寺は、微笑みながら茶杯を舞子の前に差し出す。


『味わってみると良い』


『はい、ありがとうございます…!』


テイスティングに使っている茶杯は、直径4cmほどの小さな茶杯だ。


舞子はそれを、両手で大事そうに受け取った。


すっと鼻の近くに寄せると、花と果実が混ざったような甘い香りがする。


『……、うん、……はぁ、すっごく柔らかくてまろやかですね…!美味しい。私、これ好きです。』


嬉しそうに上善寺に伝えると、彼も同じく白薔薇のティーカップで茶を啜る。



『人生は、茶に似ていると思う。』


息を吐くように、上善寺は呟いた。



春には、『春摘み《ファーストフラッシュ》』と呼ばれ、若々しく爽やかな香り。


夏には、ダージリンは『夏摘み《セカンドフラッシュ》』と呼ばれる最盛期を迎える。


そして、雨季を越して、秋摘み《オータムナル》を迎える。



『やはり、春摘みの若々しさや、夏摘みの生命力を感じる風味に比べたら、秋摘みはいくらか落ち着いてしまっていると感じるだろう。

市場の価格も、やはりそれに価値を見出す人は少ないせいか安く値付けられてしまう…』


『こんなに美味しいのに、、。お茶って、あくまでも嗜好品じゃないですか。

だからこそ、自分の好みを見つけるってすごく大事なんだなぁって思うんです』


『ほほ、舞子さんはまだまだ春摘みのような若々しさがある。そういう私は、秋摘み。もうすぐ、この人生は終わりのようだな…』


舞子は、自虐的に自分の年齢を笑う上善寺のカップに、オータムナルを注ぎ足した。



『ほら、見てください。』



二人とも、カップの美しい水色を見つめた。



『上善寺さんの人生、薔薇色ですよ!』



目を見開き、舞子を見つめた。

そして、いつものように目を細めて微笑む。



『舞子さんには敵いませんね、』



そう言って、しばらく談笑した二人は、再び茶を飲み干すのだった。



ーーーー


『舞子さん、』


閉店作業をしながら、上善寺が穏やかな口調で告げる。


正直なところ、舞子は、店に戻ってきた時から胸騒ぎがしていた。


先ほどのダージリン、そして、上善寺さんの大切な『白い薔薇』のティーカップも。



いつもは穏やかな上善寺の声が、少しだけ憂いを帯びていた。



『ーーーー私は、旅に出る決意をした。しばらく、海外に行くことにするよ』


『えっ…、、海外…ですか。。どうして、突然…』


舞子は戸惑いを隠しきれず、上善寺に詰め寄る。

唇を噛みしめ、上善寺が大切にしている物、そして、店内をゆっくりと見回した。


ティーカップのコレクションはもちろん、銀製のポットも、小さく輝く黄金のティースプーンも。


その様子を察したように、包み込むような声で上善寺が告げる。


『舞子さん、もうここは君の店だ。』


『そんな…、、私はまだまだ自信がありません…。もっと教わりたいこともたくさんあります…。』


呼吸が熱くなるのを感じ、舞子は深く呼吸をした。

小さく震える睫毛に、じわりと涙が滲む。




『舞子さん、』




上善寺は、舞子の震える肩にそっと手を添えた。


涙が滲んで、上善寺の顔がよく見えない。





『ーー人生は、薔薇色なんだと教えてくれてありがとう。』



上善寺の言葉に、胸の奥からこみ上げてくるものが抑えきれなかった。


それでも舞子は、動揺しながらも笑顔を作ってみせた。



上善寺はにっこり微笑むと、黒いサロンエプロンを外し丁寧に畳むとトランクに仕舞い込んだ。



『心配しないで。きっと、明日になればわかるよ』



上善寺は、それだけ言い残して店を出て行った。



ーーーー翌日。


上善寺が言葉が脳を反芻して、よく眠れなかった。

舞子の足取りは重く、やっとの思いで店の前まで着いた。


ドアに手をかけるも、上善寺がいないこの胸の穴は早々簡単には埋まりそうもない。


しかし、ポストの中に手紙のようなものが入っているのがちらりと見えた瞬間、舞妓は血相を変えて手紙を取り出した。


手紙の差出人は書いていなかったが


『舞子さんへ』


とだけ記された文字には見覚えがあった?ら達筆ながらも穏やかな文字。


こみ上げてくる気持ちを抑えながらも、その場で手紙の封を開封する。


『舞子さん


今日、私の孫が修行から帰ってくる。不器用な子だけど、迎え入れてほしい』


手紙はそれだけだった。

いくら探そうと、それ以外に特筆されたことはなかった。


修行?孫…?


迎え入れる……???



ーーー情報が少なすぎる!



『すみませーん、』



後ろから突然、若い女の子2人組に声をかけられる。


栗色の髪の毛をゆるく束ね、パステルカラーの服装のいかにも今時な子たち。


『この辺で、タピオカのお店ってありますー?インスタで有名な……』


まただ。半年前に近くにできたタピオカ屋のことだ。


最近、この辺りを歩いているだけで何度も道案内をさせられて少しうんざりしていたところだった。


『そこのまっすぐ行って、50m先を左に曲がって右手です』


舞子が懇切丁寧に道案内をすると、女の子たちはスマホの地図アプリで再確認するように頷いた。


『ありがとうございましたぁ〜!』


さて、私もそろそろ店の開店準備をしないと。


『ちょっと、そこのアンタ』


低くちょっとガラの悪そうな男の声。


『アンタ……?


…って、ひぃ…っ!!』


振り返ると、男は想像以上に近い距離で、条件反射で小さく悲鳴を上げる。


ゆるくパーマのかかった金髪に、黒縁のサングラス。年齢は20台前半くらいだろうか。すらりとしているせいか、身長は高く見える。黒いロングコートに、先の尖った黒い革靴。

全身よく見ると、ハイブランドで身を包んでいる。



見るからに、ヤバい。



『たたた、タピオカは、右でっ、50m…!!』


怯えたように首を左右に振りながら呪文のようにそれだけぶつぶつ呟いた。


『あァン?タピオカ?』


男はさらに舞子に詰め寄る。



(ちっ、近い……!!怖い…!!)



『俺、七瀬って人をさがしてんだけど、もしかして、アンタ?』


自分の苗字を初対面の人間に呼ばれ面食らったが、それがとても重要な意味を含んでいることに麻衣子は気付く。


『あなたもしかして、上善寺さんの……』


ーーー舞子の理想像が音を立てて崩れていった。


ショックを隠せない舞子とは裏腹に、余裕の笑みを浮かべる。



ーーー似ても似つかない。


絶望していると、さらに男は舞子に詰め寄り、耳元で囁いた。




『この店、俺にちょーだい。』




(つづく)

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