真奈海、ひとりぼっちの京都駅
美歌がいない朝
美希が新幹線で京都に到着したのは、昨日の十九時を少し過ぎた頃だった。今朝になっても美歌は目を覚まさず、ずっと病院で眠ったまま。意識不明の状態が続いている。
昨日、修学旅行中だった美歌の体調が急変して、救急車で病院に運ばれた。場所が京都タワーだっただけに、救急車が停車した京都駅前は何事かと一時期騒然としていたけど、その騒ぎは今朝になるとさらに大きくなっていた。
『BLUE WINGS』のアイドル歌手
結論は昨晩のうちに出ていた。
美希から事情を聞いた文香さんの方針は、『春日瑠海の判断に任せる』とのことだった。夜の二十一時頃、僕らはホテルのロビーに集まり、美希からその伝言を受け取った。それを聞いた真奈海は一度目を閉じ、少しだけ小さな息を吐くと、何かを決心するかのように『わたしは一人でもライブをやる』と言った。そして糸佳に少しだけ何か相談したかと思うと、すぐさまホテルの外へと出ていったんだ。恐らく真奈海は、ライブに備えて練習をしに行ったのだと思う。……いや、あるいはひょっとすると、ただ一人になりたかっただけなのかもしれない。ホテルを飛び出す真奈海の後ろ姿はいつもより緊張感があって、震えていたようにも感じていた。
美希が京都まですぐに駆けつけたのは、ある程度この自体を想定していたかららしい。確かにおよそ一ヶ月前、美歌に手術を行い、その日のうちに僕にそれを伝えていたのも事実だった。あの時から美希は、いつかはこの状況が訪れることを悟っていたんだそうだ。
しばらくは美歌が目を覚まさないだろうということも。
一歩間違うと、もう二度と目を覚まさないかもしれないということも。
美希は最悪のケースも想定して手術を行ったのだと、昨日その事実を伝えてきた。
でも、『今のお姉ちゃんだったら大丈夫』だって、そんな風にも言っていた。
僕は結局ほとんど眠ることもできなかった。意識が朦朧とする中、気づくと朝五時半頃にホテルの部屋を飛び出していた。ロビーに置いてあったテレビでは芸能ニュースの伝えている最中で、『BLUE WINGSの未来、意識不明の重体』と、幻の箱庭の中で騒いでいる。僕は混乱する頭を掻き分けて、息を切らせ無心で早朝の京都の街を走った。
辿り着いた岡崎公園には、先客として真奈海と糸佳の姿があった。真奈海は黙々と一人でダンスの練習をしていて、糸佳は立ったままそれを見届けている。僕は話しかけることもせず自販機でお茶を買い、近くにあったベンチに腰掛けると、僕の横に糸佳が座ったんだ。
「お兄ちゃん。……大丈夫ですか?」
朝の小さな弱々しい声。糸佳は昔から朝だろうと五月蝿いくらいにその甲高い声を強く耳に響かせてくる。だけど今朝はそれとは真逆の、僕の方が心配になってしまうくらいの声だった。
「ああ。大丈夫だ……僕は」
「そうですか……」
糸佳は僕の横には座ったものの、僕と顔を合わせようとはしなかった。お互いに一人練習を続ける真奈海を見つめ、それで会話が成立していた。僕らの前で空高く跳ねる舞姫、真奈海。恐らく僕の視線にも気づいているのだろうけど、やはり話しかけてくることはない。
「イトカは……ちょっと大丈夫じゃありません……」
「……そっか」
まるで糸佳さえも消えてしまうんじゃないかって、そんな声にも聞こえた。
「だって……」
「…………」
「なんであんなにいつも精一杯な美歌ちゃんが、こんな風に苦しまなくちゃいけないんですか?」
「……ああ」
「両親も亡くして、妹の美希さんとも別々に暮らしてて……それなのに……」
「…………」
糸佳の声を包み込むまだ日の出前の冷たい空気が、僕の身体を急激に冷やしてくる。
「なんで美歌ちゃんはいつも幸せになることが許されないんですか!?」
そして糸佳は、そんな悲鳴を吐露していたんだ。
「なぁ、糸佳……?」
「なんですかお兄ちゃん……?」
――つい一昨日、僕を『優一くん』と呼んできた強気の糸佳はどこへ行ったのだろう?
「美歌って、本当に幸せじゃなかったのかな?」
「え……?」
僕は糸佳のその悲鳴には、少し疑問を持ったんだ。漠然とした疑問で、何一つ確証はない。
だけど、美歌はそうじゃなかったんじゃないかって。美歌は確かに他の人より苦労している面が多いかもしれないけど、でもそれを乗り越えるだけの力をちゃんと持ってたんじゃないかって。僕は昨日京都タワーで美歌の話を聞きながら、それを再確認していたんだ。
だからこそ美希も、美歌に対してそんな危険な手術をしたんじゃないかって――
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