真奈海の思い出の歌

 京都駅大階段の四階に位置する室町小路広場。土曜日の朝十一時とやや早めの時間ではあるけど、事務所が準備した警備スタッフの慌ただしさを見ると、随分と人が集まっていることがわかる。そもそも人の姿が大階段全体に広がっていて、一番上の階段に座る人には舞台の何が見えるのだろう?と思わないこともない。今日『BLUE WINGS』のライブがあることは一ヶ月くらい前には周知されていていた。だからだろう。特に昨日の騒動とは関係なく、いつもどおりの女子中高生のファンが目立つ。……それにしても『BLUE WINGS』って、どうしてこうも男性ファンの姿が目立たないのだろうか?


 ライブはちょうど十一時に始まった。

 まず、糸佳が用意したインストゥルメンタルが無人のステージから流れ始める。徐々に観客のざわめきが曲と共に小さくなり、その緊張がピークに達したところで、春日瑠海がステージに貼られたカーテンの後側から一人飛び出した。『瑠海〜!!』……という歓声が大階段に広がり始める。それに大きく手を振り、笑顔で返す真奈海。いつもどおり。

 ここに美歌がいないという一点を除けば、いつもどおりの『BLUE WINGS』ライブだ。


 続けて糸佳はすぐに一曲目のイントロを流し始めた。曲は『BLUE WINGS』デビュー曲でもある『Fortune』。メンバーの変動はあれど、まだ活動を始めて一年にも満たない『BLUE WINGS』の代表曲ともなりつつある。作曲こそいつものITOではあるけど、作詞はAkkieではなく、KURUHIROという謎の覆面作詞家が担当している。その正体は誰ということもなく、『BLUE WINGS』の初代メンバーである胡桃さんと千尋さんの両名をもじったものだ。



 どんなときだって きみに笑顔を返せてしまうけど

 きみといるときだって 楽しいばかりとは限らない

 だけどそんなのへっちゃらで ぼくはちゃんと受けとめてみせるよ

 きみがどこかで笑っていれば オナジソラノシタ 絶対届くはずだから



 そういえばこの曲―― 僕は糸佳から聞いていたこの曲の完成秘話を思い返していた。

 『Fortune』は元々糸佳が、千尋さんと胡桃さんのために書いたものだったらしい。ところが真奈海の女優休業宣言があり、春日瑠海はアイドル一筋へとステージの場所を変えていく。その際糸佳は三人で歌えるようにアレンジを変更し、千尋さんと胡桃さんはそんな春日瑠海への応援歌としてその詞を書いたと言っていた。

 ところが夏になると、その千尋さんと胡桃さんは『BLUE WINGS』を卒業する。この曲を三人で歌ったのは、海辺で行われた二人の卒業ライブで歌ったのが最後だった。後で真奈海に聞いた話だと、『これからはこの曲を一人で歌うんだ』と覚悟しながら歌っていたらしい。『BLUE WINGS』のデビュー曲が独唱用にアレンジされるなんてわたしは聴きたくない! そんな風に真奈海は笑いながら冗談混ざりに話していたっけ。

 だけど真奈海はソロ活動を行うことをなんとか回避した。千尋さんと胡桃さんの代わりに、美歌が『BLUE WINGS』へ加入する。それからのライブはと言うと、真奈海と美歌の歌唱力に合わせて糸佳が再アレンジしたものが歌われていた。美歌の力強いボイスに、真奈海のうっとりするようなハーモニーが加わる。その対称的な美声を持つ二人が新しい『BLUE WINGS』の魅力となって、やや先行し始めていた茜と胡桃の『White Magicians』を猛追していたんだ。


 そこへ訪れた突然の落とし穴。

 そんな真奈海が大好きな曲を、今日は初めて一人で歌っている。

 真奈海のことだから初めて自分が歌うパートであっても歌詞を忘れるなんてありえない。


 それでも今日のこの曲は、どこかいつもと違う風を京都駅の大空に吹かせていたんだ。

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