再びの経験
「さっきね。そんな大切な子のこと、一瞬忘れてた」
「忘れてた……?」
だけどその彼女を何故かあたしは失い掛けている。だってここ数日、あの子は姿を現さないし、あたしの記憶からも消えてしまうほどだ。そんなことありえない話だと思うのだけど……。
「自分でも信じられないけど、さっき管理人さんにAIのあたしのことを話しかけられた時のこと」
「え? ああ……」
管理人さんは何について納得したのか、その声から判別するのは難しかった。もっともあたしだって事情が上手く飲み込めていない話ではあるけど。
「こんな大切な思い出なのに……なんで一瞬でも失いかけたんだろって」
「そういえば確か美歌って……」
管理人さんは言葉の続きを出すことはせずに、そのまま飲み込んだようだった。だけど飲み込んだ言葉の続きはあたしにはちゃんと伝わってしまっていた。なぜならあたしも、そのことを思い出していたから。
あたしが一度はこの世界から消えていなくなったこと。
何もかもが消えて、その代わりにAIのあたしが存在していた……という過去の話。
「こんな経験、あたしはするべきだったのかな……?」
一度あたしは消えたはずなのに、もう一度蘇った。蘇ってしまった。
だけど、もう一度消える可能性というのは、本当にゼロなのだろうか。
あたしはまたあの時と同じように、消えてしまうことはないのだろうか。
「美歌…………?」
管理人さんの声が余韻とともに、あたしの耳元で響いてきた。その声を脳の中で受け止めるべきなのか、あたしの中で拒んでいるようにも感じられる。あたしの全てを拒否してしまいそうなこの感覚は、黄信号から赤信号へ変化しつつあることを伝えようとする。
だけど、もしそれがその通りであるとするならば――
これが本当に最後の、ラストチャンスなのかもしれない。
「ねぇ管理人さん……」
「なんだ……?」
管理人さんの声色には少し緊張が走っていた。もっともあたしの方も、やっとの思いでその小さな声を出している。そんな声を聞かされたらいくら真奈海に脅されてばかりの管理人さんだって、少しくらいは躊躇してくれるよね……。
「あの時……ほとんど事故に近かったけど、管理人さんの唇が優しかった……」
それは学園祭の最終日。後夜祭の時間。
「何を言って……」
「あたしはあの瞬間、もう一人のあたしと入れ替わっていたんだよ……?」
反発しようとする管理人さんを拒むように、あたしはその物語を続ける。
「だから、あたしはやめようと思えば、すぐにやめることができた……」
「…………」
管理人さんは黙っている。顔は見えないけど、その呼吸の音があたしの右耳に伝わってきて、そして胸の奥まで切なさを運んできてくれた。
「なんであの時、あたしはキスの続きをやめなかったんだと思う?」
それだけではなくて管理人さんの心臓の音が大きくなるのも、あたしには伝わってきていた。あたしの言葉でドキドキしてくれてるのかな。だとすると、本当に嬉しいな……。
「あたしは、管理人さんのことが好きです」
だからあたしも、正直に言ったんだ。
いつも優しい管理人さん。あたしは反発してばかりだったけど、本当はそんな管理人さんが大好きでした。この想いに気づかせてくれたのは、もう一人のあたしだったかもしれない。そんな彼女に報いたい気持ちもあるし、あたしがあたしである以上、その辺りはしっかり伝えなくちゃって。
だけど……
「だから管理人さんは、もっと真奈海を大切にしてあげてね」
――管理人さんが選んだのはあたしじゃないこともちゃんと気づいている。
「美歌……?」
「これはあたしからの最後のお願いだから」
もう一度管理人さんの声を遮って、あたしの思いの丈を管理人さんに伝えるんだ。
「真奈海のこと、しっかり守ってあげなきゃダメだからね」
最後の力を振り絞って、意識が薄れていく前に……
「っておい。美歌!」
管理人さんの怒鳴る声が耳元に響く。周囲にいた人たち……糸佳ちゃんや美都子、そして白根さんもあたしの異変に気づいたようだった。だけど今度こそその管理人さんの声はあたしの脳の中までは届かなくて、徐々に小さく薄れていった。
あたしはもう出せなくなった声の代わりに、唇を小さく動かした。
『さ・よ・な・ら』
伝わったかどうかなんて全くわからない。
そのままあたしは意識を失っていったんだ。
管理人さんの高く鳴り響く心臓の鼓動だけを感じながら、そのまま――
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