海とライブと事件
真奈海がついた嘘
神奈川県にある海水浴場。夏休み最後の週末ということもあり、真っ直ぐ伸びた海岸は大勢の客で賑わっていた。夏の強い日差しが燦燦と砂浜を照らし、裸足で歩くと足の裏が一瞬で火傷しそうだ。水平線は日光を反射して、青くきらきらと輝いている。そんないかにも夏らしい視界の前に、一滴の汗がぽたりと落ちた。
「お兄ちゃん、大丈夫ですか?」
ペットボトルの冷たい緑茶を持って、僕の前に現れたのは糸佳だ。ついさっきまでクーラーボックスに入っていたらしく、受け取るとその冷たさが僕の手にじんわりと伝わってくる。
「ああ。大丈夫だ。糸佳はもう準備終わったのか?」
「もうちょっとです! 最後の仕掛けがなんかこう、うまくいかなくてですね……」
「仕掛け……?」
「あ~……え~っと、ほら。例の打上花火ですよ!!」
「は? そんなの、台本にあったっけ?」
「ありましたですよ~! お兄ちゃん、ちゃんと台本に目を通しましたか?」
「いや、通したけど……」
茜から受け取った台本に、打上花火なんていう単語、本当に書いてあっただろうか? もう一度記憶の糸を辿ってみたけど、やはりそんなものが出てくることはなかった。糸佳のやつ、何かを勘違いしているのだろうか。
「ライブまであと三時間後ですよ~! お兄ちゃんもちんたら準備してないで……」
「それは糸佳も同じだろ? 今日は解散ライブなんだからしっかりやらないとな」
「ですです! 真奈海ちゃんを今日こそぎゃふんと言わせるんですから!」
「ぎゃふんって……その相手は真奈海じゃなくて、観客じゃないのか?」
「何言ってるんですか! 解散ライブだからこそ真奈海ちゃんをぎゃふんと言わすんですよ!」
「お、おぅ……」
「普段調子ぶっこきまくりの真奈海ちゃんを、今日こそは目に物見せて……」
「……糸佳? お前は一体何に燃えてるんだ???」
真奈海に対する糸佳のライバル意識は昔からそうだけど、今日は特に熱が入っているようだ。確かに本番の舞台に立つ役者を華々しく彩るのは、糸佳の音響であったり、僕の動画配信演出であったり、そんな裏方のお仕事であるのは間違えないだろう。とはいえ、糸佳の言うようにその役者をぎゃふんと言わすとか、若干何か表現が間違っていると思うのは気のせいだろうか。そもそも相手はあの百戦錬磨の春日瑠海だぞ? 本番中に取り乱すなんてことは、そう簡単には起こせないだろう。
とはいうものの、今日はその春日瑠海擁する『BLUE WINGS』の解散ライブだ。解散の理由は、メンバーである千尋さんが学業に専念するため芸能活動を休業すること、そして胡桃さんは蓼科茜とアイドルユニット『White Magicians』を組み、当初の予定をはるかに越える成功を収めていること、この二点だった。そこに春日瑠海の意向はどこにもなく……真奈海本人としても、かなり不本意な形の解散であることは間違えないだろう。
『あんなの、わたしじゃない!!』
なぜなら真奈海は、デートしたあの日、帰りの電車の中でこう零していたんだ。
「ライブに次の曲のタイトルを言い間違えるなんて、あんなのわたしじゃない!」
「真奈海? それは真奈海にとって些細な話じゃなかったのか?」
「そんなわけないじゃん! 悔しいに決まってるよ! 本当に信じられない!!」
「だったらお前、なぜあの時……」
「…………」
真奈海はあの日――前回のライブが行われた日、みんなの前で嘘をついてたんだ。
本番中に、春日瑠海らしからぬミス。前回のライブで二曲目を歌う直前に、三曲目のタイトルをコールしてしまったんだ。あの後真奈海は『誰も気づいていない些細なミス』って確かにそう言ってた。でもそれは嘘。恐らくはあの時自分を責めていた、千尋さん、文香さん、そして美歌を庇っての発言だったようで……。
「だって、みんなわたしのことを応援してる。それなのに……」
真奈海はそれに応えることができなかった。それが悔しくて仕方なかったようだ。
他人を庇う余裕なんて、真奈海にはどこにもなかったはずなのに。それでも真奈海は嘘をついて、自分自身を一人で傷つけてた。独り舞台の上に立った真奈海に、僕らは声をかけることもできず――
だからこそ、今日こそ真奈海は……。
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