美歌の決意
その日、真奈海とチロルハイムに戻ってきたのは、夕方のことだった。
帰りの電車の中で、真奈海はいつもの笑顔を取り戻して、その無邪気な顔は僕をひたすら困らせていた。どうして真奈海はいつもそんな風に笑っていられるのか。僕は何もわからないまま、気が付くと最寄り駅に到着していたんだ。
「今日はありがとう。楽しかった。また一緒にデートしよ?」
喫茶店『チロル』の入口の前で真奈海はそれだけを言い残すと、先にドアを開けて中に入っていく。にこりとした笑顔を見せたきり、その後は振り返りもせず、まるで何かを覆い隠すように『チロル』へ入っていったんだ。
後を追いかけるように『チロル』へ入ると、既に真奈海の姿はなかった。
「あ、おかえり~」
『チロル』のカウンターで、のんびりコーヒーを飲みながら店番をしていたのは美歌だ。そういえば糸佳と茜は、今日はライブのお仕事だと言っていた。胡桃さんと茜の『White Magicians』の方はデビュー以来順調そのもので、休日にもなるとどこかでライブをしているようだ。音響担当として糸佳もそれに同行する。
だから美歌が『チロル』の店番をする日も、次第に増えていた。AIの方の美歌が店番できるとは僕には到底思えないけど、ただ店番しているときの美歌はどういうわけか、いつもガサツな方になってたんだ。
「ちょっと? 管理人さん、またあたしに失礼なことを考えてたでしょ?」
「え、いや……そんなことないけど……」
す、鋭い……。ガサツのくせに、エスパー属性までついているのだろうか?
「そんなことよりどうして店番の時は、いつもAIの方じゃないんだ?」
と、とりあえず話題を変えて話を逸らそう。
「ん~? あの子、あたしと違って自分から入れ替わることができるみたいだし、そしたら単に喫茶店の店番というのがめんどくさいだけじゃないかな~?」
「なんだそりゃ……」
「ほんと、ずるいよね」
美歌は笑いながらそう返してくる。こっちの美歌にしてみたら自由に入れ替わることができないことが悩みの一つになってるようだけど、AIの美歌の方はそんなことお構いなしということらしい。それを思うとますますガサツ系の美歌の方が不憫に思えてくるんだ。
「あ~、管理人さんまたあたしに対して失礼なこと考えてたでしょ?」
「な、なんでそうなる!?」
失礼も何も、ガサツには変わりない。
「そんなことよりさ。真奈海とデート、ちゃんと楽しめたわけ?」
「あ、あぁ~…………」
とりあえず僕は、美歌の『そんなことより』という言葉に救われた。……いや、実際は全く救われていないわけだけど、むしろそっちの話題の方が……。
「さっき真奈海、笑顔でチロルハイムの方へ向かったけど……」
「う、うん……」
「真奈海、顔は笑ってたけど、何も言わずにあたしの前を通り過ぎたんだけど……?」
「あ~…………うん」
「管理人さん、また真奈海と喧嘩でもした?」
その真奈海の態度が、どうして僕と喧嘩したことに結び付くのだろうか?
というか、『また』ってどういう意味だ???
「喧嘩にもならなかったよ……」
だけど……僕は深い溜息をついた後、美歌にそう答えたんだ。
「あ、そ……」
「…………」
それに対し、美歌は冷淡な態度で反応した。まるで何もかも最初からわかっていたとでもいうような、そんな反応。……って、それはさすがに冷たすぎないだろうか?
「あ~、そういえばさっき文香さんから電話あって、『BLUE WINGS』の解散ライブの日程が決まったってさ」
「解散って……また随分とあっさりしてるんだな」
その話の切り替え具合がさらに僕の胸をちくりと刺してくる。AIの方の美歌も全く容赦ないけど、ガサツ系な美歌もほどほどに容赦がない。
「あたしにはわからないけど、そういうもんなのかな……」
「でも『BLUE WINGS』の解散はメンバーの脱退が理由で、そんなに人気がなかったわけでもないし……」
「そうなんだよね……」
それならもっと大々的に企画した解散ライブでもいいと思うんだ。恐らく美歌も僕と同じ感想なのだろう。ただ、そもそも今年四月にできたばかりのアイドルグループが解散となると、いくら春日瑠海とは言え、それ以上の企画ができなかったのかもしれない。
とはいうもの、その状況の中のどこに、春日瑠海の落ち度があったというのだろうか。
「日程は二週間後。八月最後の週末らしいよ?」
「って、本当に急だな。今から新曲を作るわけではないんだろうけど」
「あ~、新曲も歌うらしいよ?」
「なに!?」
「今日中に糸佳ちゃんが曲を仕上げるらしいから、真奈海と確認してほしいってさ」
「しかもまだ曲の完成すらしてないのかよ!?」
なんだか無茶苦茶な話だ。そんな解散ライブ、本当に成立するのだろうか?
「……でね。文香さんからあたしにも頼まれごとがあったんだけど……」
「は? 美歌にも???」
「まぁ~、あたしの回答は一旦保留にしてあるんだけどね」
「てか、文香さんに何を頼まれたんだ???」
「……でも、さっきの真奈美の様子を見て、あたしの回答も決まったよ」
「…………」
美歌は、僕の質問をあっさり無視した挙句……
「管理人さんがあまりにも頼りないから、あたしがしっかり応えなきゃだよね!」
「ちょっと待て。一体何をどう応えるつもりだ!??」
僕をからかうように小さく笑いながら、そう言い切ったんだ。
それは何かを決心したかのようで――
……一体僕は、何をしたというのだろう?
それはそれで、不安要素だけが僕の胸を蒼く染め上げたようだった。
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