アイドルとしての蓼科茜と春日瑠海

「優一先輩? なにを一人で深刻そうな顔してるんですか?」


 僕が動画配信機材のチェックをしていると、次に話しかけてきたのは茜だった。


「なんだ茜か……って、なんでお前今日は出番ないのにここにいるんだ?」

「そんなの、私が今日の台本書いたからに決まってるじゃないですか!」


 ジャージ姿の茜は、海水浴場に設置されたライブ会場には当然似つかわしくなく、およそ場違いのようにも感じられた。そもそも台本のチェックくらいだったら、もう少し夏っぽい可愛らしい服を着た方が茜らしさが出ていいんじゃないか。これではいつでもすぐに衣装に着替えられるような仕事服と、ほとんど相違ないと思うんだ。

 いやいや、だけど不自然なのはそれだけじゃない。


「ちょっと待てよ……。茜が台本書いても、いつも会場に現れることなんかないよな?」

「は? 優一先輩、それって私がいつも仕事サボってるとでも言うんですか?」

「いやそういう意味じゃなくてだな……」


 ぷんぷん顔のツインテールは僕を睨んでくるが、なんだか話が微妙にずれている。


「優一先輩、私がここにいるの、そんなに邪魔なんですか?」

「別に邪魔ってわけじゃないけど……茜はせっかくのオフなんだから……」

「ひど~い。私たち付き合ってるのに、全然構ってくれない挙句に邪魔者扱いしてくれて!!」

「待て待て。どうしてそういう話になる!? てか誰と誰が付き合ってるんだ!?」

「どうせ私なんか、三下アイドル春日瑠海の当て馬でしかないんですよね!?」

「お、おい……今何か口走ったように聞こえたけど、それ今日だけはやめてくれる!?」


 確かに、アイドルとしては春日瑠海より蓼科茜の方が成功しているかもしれない。茜は日頃のやや小生意気な性格をおよそ隠して、妹系アイドルとしてそれ相応の評価を得ている。器用と言えば器用なのかもしれないが、それは言い換えると、アイドル春日瑠海にだけは絶対負けたくないという本心の裏返しであることは、事務所関係者は皆気づいていた。

 それにしても、ガチンコ小悪魔系アイドルを目指そうとした春日瑠海とは正反対だ。それまでの女優春日瑠海という凝り固まった殻を壊したくて、その路線を進んだところまでよかったけど、今では完全に行き詰りつつあった。何が悪かったかと言えば、その路線はやや飽きられつつあること。行き場を失いつつあるアイドル春日瑠海は、しばらくソロでアイドルを続けることになるらしい。そうすると、路線変更もせざるを得ないのだろう。


 『BLUE WINGS』解散ライブの日程が告知されたのが、今からおよそ二週間前。女優春日瑠海の主演映画公開初日の、翌々日。言い方を少し変えると、僕と真奈海がデートをした翌日のことだ。

 映画の初日舞台挨拶の様子は、大きくマスコミにも取り上げられた。テレビの中で淡々と仕事をこなす女優春日瑠海はやはりいつも通りで、これが最後の舞台挨拶とはとても信じ難いものだった。だけど、その翌々日、今度は『BLUE WINGS』解散がマスコミで報じられる。ところがこちらは本当に小さな記事。スポーツ新聞の芸能欄を見ても、やっとその記事を見つけることができる程度だった。


 やはり世間一般の春日瑠海は、まだ女優であって、アイドルではない。

 それが証明された三日間だったんだ。


 今日の解散ライブだって、女優春日瑠海のこれまでの功績を考えたら実にちっぽけなものだった。解散ライブの告知こそされたものの、今日のライブはそもそもチケットが不要で、近くにいれば誰でもそのライブを楽しむことができる。だとすると本来ならこの海水浴場だって、もっとお祭り騒ぎになってもおかしくはなかった。でも今周囲を見渡す限り、そのような予兆は何一つ感じられない。至って普通の、いつも通りの海水浴場だ。


 この解散ライブが終わると、真奈海は一人で、アイドル春日瑠海を続けることになる。

 ――でもそんなことって……本当に、一人で大丈夫なんだろうか?


「ユーイチ? 何一人で深刻そうな顔してるのよ~?」


 さっきと同じ言葉……でもさっきとは違う甲高い声が、僕の耳に入ってくる。

 それにしても、誰のせいで深刻そうな顔してると思ってるのだろう……?


「そういえばさっき糸佳が、真奈海をぎゃふんと言わしてやるとか燃えてたぞ?」

「ん? ……あ~、茜の台本にあった、打上花火のことかな?」

「え、本当にそんなの台本に書いてあったっけ?」


 昨晩茜から台本を渡されてその場で読んだときには、打上花火の『う』の字すら目に入らなかった気もしたけど、どうやら真奈海が言うのだから本当にやるらしい。それにしても真昼間に打上花火とか、本当にどうする気なのだか……。


「ふふっ。受けて立ってやろうじゃない」


 だけど真奈海はいつもの強がりで――


「だからユーイチ。今日もしっかり頼んだよ?」

「……お、おう」


 僕はただそう答えるので、いつも精一杯なんだ。

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