歩く時限爆弾とともに

 今の真奈美は、いつもの真奈海とはほんのばかし違う。

 春日瑠海としての仕事が全然ないとか、そういう話ではなくて、もっと根本的に何かがくるくると狂い始めている。そのことには真奈海本人も当然気づいているらしい。

 だから今日のデートだって――


「そんなことより、本当に今日は大丈夫なのか?」

「なんのことよ~?」


 真奈海はやや上目遣いで僕を見ると、気の抜けた声で返してきた。


「今日観る映画って、昨日が公開初日だったばかりだろ?」

「うん。だから昨日は久しぶりにお仕事だったの。楽しかったな~」

「…………」


 真奈海のやつ、何をもって『楽しかった』と言ったのだろうか?

 今日のデートは、真奈海と映画を観に行くことがメインだった。それもただの映画じゃない。春日瑠海、つまりは真奈海本人が主演の映画だ。女優春日瑠海としては、本当にこれで最後になるかもしれない。そのせいもあって、注目度も話題性も十分高い映画だ。

 その映画は昨日が公開初日。真奈海は春日瑠海として舞台挨拶を数回こなし、昨晩チロルハイムに帰ってきたのはもう夜中になってからだった。


「そもそもなんで自分が主演の映画を観たいんだよ?」

「別にぃ~。わたしが観たいというわけではないし」

「それは一体どういう意味だ?」

「わたしはユーイチにこの映画を観てもらいたいの。それだけだよ~」

「は……?」


 真奈海は意地悪そうな顔して、こんなことを言ってくる。口先を少しだけ尖らせ、その様子はどこか幼い子供の駄々っ子のようにも感じられた。世間の人が知る春日瑠海とは程遠い顔だ。春日瑠海だったら大人顔負けの色気を使って、観客を魅了するに違いない。だけどここにいる真奈海はそれとは完全な真逆。

 その顔を一言で表すなら、甘えという言葉になる気がする。


「お前その顔……それを僕に向けるのはやめてくれないか?」

「え、なんでよ~?」


 だけど僕はこれまでもずっと、その顔を好きになることはなかった――


「だってお前、その顔をテレビでしたことはないだろ?」

「ん~? そうだっけ???」


 真奈海のやつ、それは無自覚でやってるのだろうか。だとすると、なぜ僕にはそんな顔を見せてくるのだろう。

 ――そう。この顔は僕にしか見せようとしない、いかにもわざとらしい真奈海なんだ。


「ね、そんなことよりさ。あの店で、わたしの服を選んでよ?」

「は? 僕が選ぶのか!??」


 真奈海はそんな話をしたくないと言わんばかりに、僕をそう誘ってきた。駅の改札を出ると目の前に映画館があって、その先にショッピングモールがあった。その中でも一番手前の店を指さすと、真奈海は僕の右手をつかんできて、ぐいぐいと引っ張ってきたんだ。


「そう。ユーイチがわたしの服を選ぶの。ユーイチ好みの可愛い服をよろしくね!」

「それ責任重大! てゆか、お前そもそもそんな服をどこで着るんだよ?」

「今日みたいにユーイチとデートする日に決まってるじゃん!」

「待て待て。それって、ちょっと地味だけど可愛らしい服って、難易度高いな!」

「いいじゃん多少目立ったって。そんなことよりユーイチをイチコロできるやつを……」

「目立っちゃダメだろ! てゆか自分を殺す服を選べってどんな状況だよ!??」


 今日の真奈美は完全にねじが緩んでいる。非常に危険な状態だ。

 僕はもう一度周囲を確認した。真奈海が春日瑠海だと気づかれないか、細心の周囲を払いながらショッピングモールに向かって歩いている。もし万一、今こんな状態の真奈美が春日瑠海だってバレてしまえば、真奈美の言動的にもかなり危険な状況に追い込まれることは容易に想像がつく。まるで時限爆弾と一緒に歩いている感じだ。


 ひとまず映画館は目の前を素通りした。映画のチケットは既にネットで予約済みだ。注目度の高い公開二日目の映画とあってか、僕が予約した時にはほとんどいい席は埋まっていて、辛うじて空いていた隣り合った二席を、何とか確保したんだった。

 つまり、映画もほぼ満席だ。皆、真奈海の演技を観に来ている。そんな状態でここにいるのが春日瑠海だって、本当に気づかれずに済むのだろうか。確かに真奈海は、変装のプロでもあるのだけど――


 だって、こんな状態の真奈美、ほっとけないに決まってるじゃんか!

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