本音と裏返し

「ほら、二人とも! 喧嘩してないで引っ越しの荷物運ぶの手伝ってよ!」


 真奈海さんと茜さんの睨み合いが続く喫茶店『チロル』。あたしはこの状況、どうすることもできなかったけど、そこへ仲裁に入ってきたのは管理人さんだった。ここチロルハイムは女子寮ということもあって、管理人さんは唯一の男手。これで何往復目だろうか? 喫茶店『チロル』と茜さんの新しい部屋二〇三号室の間を何度も行き来していて、その息は既に上がりまくっている。


「出たわね! 元凶さん?」

「げ、元凶!??」

「だってそうじゃないですか! 春日瑠海をこんな腑抜けにしてしまったのは、管理人さん、あなたですよね?」

「…………」


 が、そんな管理人さんに対しても、茜さんは真奈海さんに対するそれと同様に挑発的な態度をとった。そもそも管理人さんが誰の荷物を運んでいるのか、もはや忘れてしまっているのだろうか。それにも関わらず、管理人さんはそんな茜さんに対して、早速根負けしてしまう。ここまでくると、情けないの一言だ。


「茜ちゃん? わたしに対しては別に構わないけど、ユーイチここでは管理人なのよ?」

「何が言いたいんですか、先輩?」


 そんな管理人さんに、真奈海さんは助け舟を出した。


「だからユーイチにそんな態度をとったら……」

「ふ~ん。先輩、管理人さんのこと、しっかりかばうんですね?」

「え……?」

「ほんと。男に現抜かしたアイドルとか、ありえなくないですか~?」

「…………」


 が、あたしから見ても、真奈海さんのそれはらしくなかった。案の定、茜さんにあっさりと返されてしまう。こうなると完全に茜さんの無双モードだ。それにしても茜さんって、かなり頭の回転が速そうな女の子だね。


「まったく、私の大好きな春日瑠海はどこへ行ったのよ?」


 ただ、茜さんは小さく笑みを零したかと思うと、声はやや恨み節になっていた。


「だってそうでしょ? テレビの中であんなに輝いてた春日瑠海が今はどこにもいなくて、ここにいるのは完全に腑抜けたただのニートアイドルじゃん!」

「…………」


 しかもその顔は、やや涙ぐんでいて……


「だから先輩。アイドルなんてとっととやめて、女優春日瑠海に戻ってください!」


 ……そして、茜さんの暴走は止まらず、そんな暴言を吐いたんだ。


「テレビという虚像の中にも、女子寮という現実の中にも、私の知ってる春日瑠海がどこにもいないのよ?」

「…………」

「こんなの、まるで私の知ってる世界じゃない!!」

「……おい、いいかげんにしろよ!!」


 そこへようやく、管理人さんの怒声が飛んだ。


「確かに、今の真奈美は、少し頼りない姿になってるかもしれない」

「少しじゃないもんかなりだもん!!」

「でもさ、今までそんな真奈海にみんな勇気づけられてきたんじゃないのか?」

「っ…………」

「だったらさ、今は真奈海の休息時間を温かく見守ってやるのが、ファンというものじゃないのか?」

「…………」


 管理人さんの指摘はごもっともだった。茜さんのそれを圧倒して見せる程度には。

 だけど、それをここで言ってしまったら……


「茜ちゃんだって、真奈海のことが本当は大好きなんだろ?」

「そうだよ! 大好きで仕方ないもん!! だから許せないんだもん!!」

「だけどさ。真奈海だって、一人の女の子なんだよ? 他の人よりは少しだけ強い女の子かもしれないけど、それでも真奈海は……」

「…………」


 茜さんの大きな瞳には、ぽたぽたと大粒の涙が溢れていた。茜さんの強気な態度は、大好きな春日瑠海の裏返しであって、それはなんともやるせないものだったのかもしれない。


「お願い。……お願いだからもうやめてよ!!」


 ただし、管理人さんも茜さんも、もっと大切なものを見落としていた。

 この話のやり取りを看過することができないであろう、一人の女の子のことを。


 ――真奈海さんはそんな風に励まされたところで、全く嬉しくないんだよね……。

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