新人歌手、蓼科茜

 午後二十時。一度ブザーがなると、会場の照明がぱっと消えた。

 そして、しんと静寂が訪れたところで、それを打ち消すように音楽が流れ始める。


 七夕ライブの一曲目。音楽に合わせて、舞台の右側でスタンバイしていた胡桃さんにスポットライトが照らされ、次に左側でスタンバイしていた茜さんが照らされる。その瞬間、会場では大きな歓声が響いたけど、どちらかというと茜さんの時のほうがその歓声は大きかったように思う。


 蓼科茜たてしなあかねと、高坂胡桃たかさかくるみの二人組ユニット、『White Magiciansほわいとまじしゃんず』。

 そのデビュー曲は『Innocence Loveいのせんすらぶ』。糸佳ちゃんの十八番とも言えるパワフルなサウンドが加味された、バラードポップスだ。親しみやすい音楽に、茜さんと胡桃さんの迫力ある歌がミックスされた感じ。


 正直言うと、糸佳ちゃんの曲は誰もが歌いやすいというものではない。カラオケなどで糸佳ちゃんの曲を安易に選んでしまうと、その曲の迫力に競り負けてしまうことが多い。どちらかというと歌い手泣かせと言っていいかもしれない。そういう意味では、もう一人のあたしである未来が書いた曲のほうが、断然歌いやすい曲が多いのも事実だ。

 そんな歌い手を選ぶ糸佳ちゃんの曲の中でも、特にこの『Innocence Love』は難易度が高そうだ。ところが、そんな曲をいともあっさり歌いこなす茜さんは、なるほど抜群の歌唱力を誇っている。胡桃さんだって『BLUE WINGS』の三人の中では一番歌唱力があるはずなんだけど、そんな胡桃さんに迫る力強い歌声が会場に響き渡る。これまで茜さんが歌手デビューしていなかったのが嘘のようだ。


「茜、さすがね……」

「えっ?」


 あたしが茜さんの歌声に夢中になっていると、隣で文香さんが言葉を零した。


「あの子、瑠美が絡むととんでもない力を出すのよ」

「え、真奈海さん???」


 唐突に春日瑠美の名前を出す。だけどなんとなく、わからないこともない。


「そう。茜はこれまで、女優一筋でやってきた。歌なんて見向きもせずにね」

「そういえば茜さん、VTuberデビューもしてませんでしたよね?」

「ええそうよ。だって、茜が歌手をやると言いだしたの、五月になってからだもの」

「え? そしたら……歌を始めてからまだ二ヶ月!??」


 事務所の歌手デビューの登竜門とも言われる、管理人さんと糸佳ちゃんのVTuber動画チャンネル。『BLUE WINGS』の千尋さんと胡桃さんも、その動画チャンネルがデビューのきっかけだ。というより、実際事務所のほとんどの歌手は、そのチャンネルがきっかけとなってデビューを掴んでいる。

 ここ最近でその唯一の例外は、春日瑠海だった。確かに瑠美の場合はその抜群の知名度をCDデビュー前から誇っていたので、VTuberなどという登竜門は不要だっただろう。まぁ結局は、最初から中の人丸出しのVTuberデビューまでしてしまったんだけどね。

 そして、そこに新しい一ページを加えたのが、茜さんということらしい。それにしてもたった二ヶ月でデビューとか、衝撃的な事実だ。


「でもその二ヶ月だって、茜は『そんなに時間要らない!』とか言い出すのよ?」

「え?」

「まぁ瑠美が一ヶ月でデビューしてたからね。言いたいことはわかるけど」

「ああ〜、なるほど……」


 茜さんは異様なほど、春日瑠海をライバル視している。その瑠美が一ヶ月でデビューして、自分は二ヶ月かかったことに、本人は納得いかないのかもしれない。……いやいや、どちらも信じがたい話に違いないだけど。


「ただスケジュールの都合で二ヶ月かかったけど、むしろそれで正解だったわね」

「え、そうなんですか?」

「だってあの子、今の春日瑠海に全然負けてないじゃない。いやむしろ……」


 文香さんは言葉を途中で遮ってはいたけど、あたしにはその続きがなんとなくわかってしまった。つまり、歌唱力だけなら春日瑠海を上回っている。もちろん瑠海さんと茜さんでは目指しているベクトルが違うかもしれない。だから比較する方が間違っている可能性だってある。


 澄み切った歌声で、ドラマのワンシーンを切り取って魅せてくれる春日瑠海。

 力強いパワフルな歌声で、それだけで聴いてる人を振り向かせる蓼科茜。


 その対象的な歌声は、本当の意味でライバルと呼ぶのに等しいかもしれない。


「ふふっ。面白くなりそうね……」

「そう……なんですかね?」

「もちろん、未来さんにも期待してるわよ? いろんな意味でね」

「は、はぁ〜……」


 文香さんは不敵に笑って、それだけ言い残して去っていった。

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