大人の事情とデビューライブ

「ったく、なんで勝手に未来みくちゃんをVTuberデビューさせちゃうのよ!?」


 その日は六月も間もなく下旬になろうとしていた時のこと。夕方十七時を過ぎると、糸佳ちゃんの母文香さんが、チロルハイムに訪れた。そもそもの目的は、今度CDデビューするアイドルのデビュー曲について、糸佳ちゃんと打ち合わせすることだった気がする。


「す、すみません。あたしが勝手に……」

「いや。美歌は悪くない。悪いのはプロデューサーである僕の方だ」


 文香さんが切り出したお話とは、先月末のVTuberライブの一件についてだ。文香さんは喫茶店『チロル』に足を踏み入れ、その場にいたあたしや管理人さん、そして糸佳ちゃんと真奈海さんを見つけると、開口一番その話題を口に出した。

 管理人さんは自らがプロデューサーと名乗り出て、あたしをかばってくれる。管理人さんはあくまであたしの我儘を聞いてくれただけなのに、本当にそういうのって、ずるい……


「僕はてっきり真奈海が文香さんに話していると思ったから……」


 ……と思いきや、管理人さんはそのボールをよいしょとばかり、真奈海さんへと放り投げた。あのね管理人さん。少しでも感動してしまったあたしの気持ちを、今すぐ返してくれるかな?


「いいえ。このお話はお兄ちゃんも真奈海ちゃんも関係ないです!」

「糸佳ちゃんの言う通り! あの動画チャンネルはわたしがオーナー権限を持っているんだから、社長にそれを言われる覚えはないんですよ〜?」


 そして糸佳ちゃんと真奈海さんはというとこんな具合だ。恐らく管理人さんよりよっぽどかっこよく見えてしまったのは、あたしだけではないだろう。あたしは思わずふぅと溜息をついた。

 あたしと同時に、文香さんも小さく溜息をついていたわけだけど。


「あのね糸佳、真奈海ちゃん? 私は別にあのチャンネルで、部外者である未来ちゃんを勝手に登場させたことを怒ってるわけじゃないのよ?」


 文香さんは糸佳ちゃんと真奈海さんをなだめるように、言葉を紡いだ。


「そもそも美歌さんは部外者じゃありません!!」


 糸佳ちゃんは文香さんのその言葉にも反発していた。真奈海さんの方は何かを悟ったのだろうか、黙ったまま文香さんの言葉を聞いている。


「そうよね。あなたたちにとって、美歌さんは既にチロルハイムの一員だもんね。そんなこと、わたしにだってわかってるわよ。でもね糸佳、大人の事情というのはもう少し別の場所にあるのよ」


 大人の事情……? それが文香さんの指摘している箇所ということだろうか。

 ちなみに糸佳ちゃんはまだ首を横に傾げたままだ。


「文香さん。そしたら美歌さんがあの動画チャンネルにこれからも出演し続けることについては、賛成ということなんですね?」


 と、管理人さんが口を開く。その瞬間、真奈海さんが思わず小さく笑ったのをあたしは見逃さなかった。あの笑みは、真奈海さんが何かを企んでいるときの顔。


「さすが優一くん。糸佳よりは察しが早いようね。ま、そんな優一くんよりも、もう少しひねくれた女子高生がこのチロルハイムにいるようだけど……」


 ちなみにあたしにはまだ何のことかわかっていない。……というのは少し嘘で、少なくとも嫌な予感だけは勘付いていた。ただ、それであたしがひねくれてると呼ばれるには、やや無理がある。

 つまり、文香さんも真奈海さんの表情の変化に気づいたみたいだ。


「社長? そしたらデビューライブはいつ行うつもりですか?」


 そして真奈海ちゃんは、あたしたちより少し斜め上の質問を文香さんにしていた。不敵な笑みを浮かべながら。その顔は、いつもテレビで観ているどの春日瑠海よりも計算的で、正直少し怖い。

 てか、デビューライブって……誰の!??


「そうね〜。できれば……今度の七夕ライブがいいかな?」

「それって、あと三週間もないじゃないですか!?」

「でも、むしろ遅い方よ。話題が旬なうちに手を打っておかないと」

「だって社長。まだダンスレッスンも……」

「そこは真奈海ちゃんに任せるわ。もちろん協力してくれるわよね?」

「あ、それはもちろん大丈夫ですけど」

「あとは曲ね。そっちは糸佳に……」

「曲なら大丈夫。わたしが未来ちゃんから新曲を預かってるから」

「なら、その方がイメージにも合うだろうし、問題もなさそうね!」


 淡々と真奈海さんと文香さんの話が進み、おおよその段取りが決まったようだ。

 段取り……っていうか、何の段取りなのかわからないけど、どこかの歌手のデビューライブを七夕に企画するって話だろう。確か今日は糸佳ちゃんとその打ち合わせに来たはずだし、きっとそうに違いない。

 ……と、実際はそう思いたいだけだ。そんなCDデビュー間近の歌手だったら、三週間でダンスレッスンみたいな話が出てくるのは少し妙だし、そもそも話の流れが合っていない。

 つまり、それってまさか――


「あれあれ? 母さん。誰のデビューライブの話をしてたんですか?」


 と、糸佳ちゃんがようやくその話の本筋を切り出した。

 すると文香さんと真奈海さんは、ある一人の女子高生に視線を向ける。それに気づいた管理人さんも、同じようにその女子高生の方へと視線を向けてきた。


「ちょ、ちょっと待って! あたしがライブデビュー!? 正気ですか!??」


 ――そう、その視線の先にいる女子高生というのは、つまりあたしだ。

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