六月二十八日、その夜の意味

「じゃ〜美歌さん、どんな曲がいいですかね?」

「え、曲!??」


 ここで突然話が本題に入ったらしく、糸佳ちゃんは円な瞳をぱちくりさせながら、そんなことを聞いてくる。あまりの唐突ぶりにあたしの頭の方がなかなか追いつかなかったけど、ひょっとしてここまでの前振りは、実はここに繋がっていたのかと、ようやく頭を切り替えることができたんだ。


「はいです。お兄ちゃんをギャフンと言わせる曲です!!」

「あ〜……歌でギャフンと言わせるのね?」

「ですです! イトカが曲を作って、美歌さんが歌うんですよ!」


 ついさっきまでお仕置きと言っていた気もするけど、それがお仕置きの正体だったというわけか。なんだかその発想が可愛らしく、糸佳ちゃんらしいと言えばその通りだった。……でも、ともすると、あたしはひたすら管理人さんに対する悪口を並び立てて、そんなラップ調の曲でも歌えばいいってことかな。

 ……うん、多分その発想が間違いだってことには気づいているけど。


「でも、その曲を作ってどうするつもりなの?」

「もちろん、六月二十八日に歌うに決まってるじゃないですか!」

「六月二十八日!??」


 ――それって、何の日だ?

 管理人さんの誕生日だっけ? それとも糸佳ちゃんの誕生日だったか?

 ……いや、どっちも違った気がする。管理人さんの誕生日は確か二十七日だし、糸佳ちゃんは三十日だ。つまりどっちでもない。だとするとこの二十八日という日にちは、どこから出てきたのだか……?


「はいです。イトカとお兄ちゃんの、真ん中バースデーです!」

「真ん中バースデー!?」


 ……あ〜そういえばその言葉、久しぶりに聞いたな〜。たしか恋人同士が、二人の誕生日のちょうど真ん中の日を選んで互いに祝うとか、そんな話だった気がする。まぁ糸佳ちゃんと管理人さんは恋人同士ではなく、兄妹という関係になるわけだけど――


「ですです! イトカの両親とお兄ちゃんの両親が『誕生日が近いのにパーティーを別々にやるとか手間がかかる』とかなんとか言ったらしく、小学生の頃から毎年真ん中バースデーをやってるんですよ!」

「てことは、管理人さんが『お兄ちゃん』になる前から?」

「もちろんです!! 元々お兄ちゃんとイトカは隣人さんでしたから」


 隣人――というよりそれは、幼馴染ってことだよね?


 だけどなぜかあたしは、それを糸佳ちゃんに指摘することはできなかった。『隣人』と呼ぶ糸佳ちゃんの言葉の中に、実はもっと大きな意味が潜んでいるんじゃないかって、そんな邪推をしてしまったから。これ以上紐を解いてはいけない、そんな気持ちが糸佳ちゃんの顔から浮かび上がっていたんだ。


「毎年、お兄ちゃんとの真ん中バースデーは、二十八日の夜に行っているんです! 正確には二で割り切れちゃうから真ん中にはならないんですけど、その時間くらいにやれば丁度真ん中くらいになるんじゃないかって、そんな理由ですね!」

「なるほど……」


 だから二十八日なのか。しかもその日の夜であることに意味があるってことが、何となく理解ができた。そういえば糸佳ちゃんの母親の文香さんは芸能事務所の社長をやっているせいか、そういうきめ細かいことを決めるのは得意そうだもんね。


「だから美歌さん。このことはお兄ちゃんには黙っててくださいね?」

「……あ、うん。管理人さんをギャフンと言わせる曲だもんね!」

「ですです! 絶対ヒミツですからね!!」


 ギャフンと言わせるって、こういう意味だったんだね。

 その純粋すぎる糸佳ちゃんの顔に、あたしは思わず笑みが溢れてしまった。どうやら管理人さんの悪口を並び立てるというあたしの目論見は達成できなそうだけど、それでもあたしが管理人さんにお世話になってるのも事実だし、だから糸佳ちゃんに協力してあげたい、そんな風にあたしも思ったんだ。

 どんな曲になるのか、今はまだ想像つかないけど、糸佳ちゃんとなら何か楽しそうな曲ができるかもしれない。あたしはそれを歌いきってやるんだ。


「あ、そうです! そしたら今度の週末、イトカと鎌倉へ行きませんか?」

「鎌倉??」

「はい。お兄ちゃんとの思い出の地です。曲のイメージをつくりたくて……」

「てことは取材ってことだね? うん、いいよ!」

「そしたら決まりです! 鎌倉、楽しみです!!」


 管理人さんとの思い出の地か……

 糸佳ちゃん、楽しそうだな〜。


 それはいつの思い出なのかわからないけど、曲のイメージ作りのために取材するなんて、よほどその地に思い入れがあるのだろう。それとも、何かそこに大切なエピソードでもあったのだろうか?


 ――あたしの邪推が働いてしまったのは、それを考えていたときだったんだ。


「ねぇ糸佳ちゃん。その真ん中バースデーって、毎年真奈海さんも参加してるの?」


 あたしがそう聞くと、その刹那、糸佳ちゃんの顔は少しすくんでしまった。

 まるでその瞬間だけ、時間が止まってしまったかのようで――


「はいです。毎年真奈海ちゃんも参加してますよ?」


 ――ただ、糸佳ちゃんはすぐに、あたしにそう微笑み返してきたんだ。

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