糸佳の秘密の計画
美希が持ってきた薬
あたしの名前は、霧ヶ峰美歌。
苗字が結構長かったりするので、みんなあたしのことは下の名前で呼ぶことが多い。例えば、同じ寮に住む女子高生女優の春日真奈海さんや、クラスメイトの大山糸佳ちゃんからは『美歌さん』って呼ばれたりしてる。けどなぜか管理人さんこと大山優一だけは、たまに『美歌』って呼び捨てにしてくるんだ。その辺りどうにも釈然としないけど、ひとまず許容することにしている。そんなことを一々気にするのも、なんだか馬鹿馬鹿しいしね。
「お姉ちゃん、何ニヤニヤしてるのよ?」
「別ににやけたつもりはないけど……そんなににやけてた?」
「また管理人さんのこと考えてたんでしょ?」
「な。そ、そんなこと、あるわけないでしょ!」
「ふふっ。どうだか……」
そろそろ梅雨を迎えようとしている六月初め。場所は平日夕方の喫茶店『チロル』。ここは、あたしが暮らす寮『チロルハイム』の食堂にもなっている場所だ。普段は全然客が来なくて大丈夫かなと思うほどだけど、先月中旬くらいからあたしのことを『お姉ちゃん』と呼ぶ人物が、客としてこんな風に現れるようになったんだ。あたしの双子の妹、美希。もっともつい一昨日までは、客としてではなく居候として、あたしの隣の部屋で寝泊まりしてたわけだけど。
今日はいつも店番をしている糸佳ちゃんの代わりに、あたしが美希へコーヒを淹れていた。美希がお気に入りのキリマンジャロコーヒー。酸味が強くてあたしはやや苦手だけど、美希は糸佳ちゃんにこのキリマンジャロコーヒーを薦められてから、すっかり虜になってしまったらしい。
ちなみにあたしはオーソドックスな味わいのブラジルコーヒー。なお、あたしの分のコーヒー代は、どういうわけか家賃に含まれてるらしい。それにしてもこの店、毎月どれだけの赤字を出しているのだろうか?
美希はここの最寄り駅から電車で三十分くらいの場所に住んでいる。昨年両親を交通事故で失ってから、家族は美希と二人だけになってしまったけど、いろいろあって別々の生活を送っているんだ。まだ多少のわだかまりもあったりするので、それくらいが丁度よいのかもしれない。
「そういう美希だって、男子高校生と二人で暮らしてるんじゃなかったっけ? 最近彼とはどうなのよ?」
「べ、別に。そんなの、お姉ちゃんには関係ないでしょ!」
「あ、照れた……」
美希は顔を真っ赤にしている。本当にわかりやすい女の子だ。
両親を失った交通事故で、あたしも一時的にだけど植物状態となってしまった。その後いろいろあった挙句、あたしは父の友人である武川さんの家に預けられ、美希は父の共同研究者だった男子高校生の家で暮らすことになったんだ。あたしはまだその男子高校生に会ったことはないけど、武川さんの話によると、見た目はオタク、ただし非常に将来有望な男子高校生らしい。……まぁ、そりゃそうだ。植物状態だったあたしの脳を強制的に復活させてしまうとんでもないものを、父と一緒に開発していたわけだから、男子高校生といっても普通の高校生ではないのだろう。
「ところでお姉ちゃん。あたしにそんな風に逆らっていいのかな?」
「ん? なんのこと?」
「これ、なんだと思う?」
すると美希は悪戯な笑みを浮かべながら、鞄の中からポーチを取り出し、一つのカプセル剤を手にした。一般的なカプセル剤なら左右を白と青などで色分けされてたりするものだけど、これは特にそういうものではなく、カプセルの中は真っ白。いかにも実験室で試作されてましたといわんばかりの、明らかにいい加減なカプセル剤だ。
それはもう見るからに、とてつもなく嫌な予感しかない。
「……なによそれ?」
「お姉ちゃん用に作ったとっておきのカプセル剤だよ? 飲んでみる?」
「そんなものあたしが……って、ちょっ、美希! 何するの!?」
急に美希はあたしの右肩を掴んでくる。かと思った瞬間、あたしのぽっかり空いていた口の中に、美希は意表をついてそのカプセル剤をえいっと放り投げてきたんだ。
「大丈夫だよお姉ちゃん。死にやしないから……」
「死にやしないからって、そういう問題じゃ…………うっ」
か、身体が、熱い!!
……などという、某漫画に出てくるような症状が出るわけでもなく、気がつくとその薬はあたしの口の中で溶けてしまっていた。あっという間にざらざらとした粒状のものは跡形もなく、あたしの体内へと吸収されてしまったようだ。その間、味があったわけでもなければ、何かが起こる気配もない。
一体美希は、あたしにどういう薬を飲ませたんだろう?
――あれ? 声が出ない。
「お久しぶりお姉ちゃん。元気してた?」
「はい、お久しぶりです。美希さんこそ、お元気でしたか?」
気がつくと、あたしではないあたしが、美希と会話をしていた。
……と、これだけだと何言ってるのかさっぱりわからないと思うので少しだけ説明を加えると、要するにあたしは二重人格だ。しかもただの二重人格ではない。今、美希と話をしているのもうひとりのあたし。
その正体は、『AI』なんだ。
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