複雑なチロルハイム会議議事録

 美希がチロルハイム203号室に居候を始めて、最初の月曜日の夕食後。喫茶店『チロル』では、チロルハイム会議が開かれていた。文字通りチロルハイムの全住民が集まってあれこれ議論をする場で、僕が管理人をする前、糸佳の母文香、僕の父龍太がチロルハイムに住んでた頃からごく稀に開かれる。チロルハイムの最高決定機関だ。

 ただここ最近は真奈海の女優休業宣言というごたごた騒ぎのせいで、すっかり開かれなくなっていた。まぁもっとも真奈海が帰ってくるのが遅いから、開こうにも開けないと言ったほうが正解なんだけどな。


 今日は居候女子こと美希も出席している。が、土曜日のショッピングモールでの威勢の良さはどこへ消えたのだろう? どういうわけだか緊張してしゅんとなってしまっているのだ。


「美希。どうしたのよ? 元気なさそうだけど……」


 それは双子の姉である美歌も当然気がつくレベルで……


「だ、だってお姉ちゃん? むしろどうして平然としていられるのよ……?」

「ん〜……?」


 美希は美歌の目の前に座ってる人物に、ちらちらと視線を向けている。どうやらその人物を前にして、正気でいられなくなってるようだ。僕と同様、美歌も最初こそ気づいていなかったようだが、しばらくすると美希の態度の理由にふと気づいたようだった。

 そう。美希の視線の先にいる人物、春日瑠海は、この週末ほぼ仕事続きでチロルハイムにいなかったんだ。こうして美希と面と向かって顔を合わせるのも先程の夕食の時間がほぼ初めてだったようで、確かにその時も緊張のせいか、美希はひたすら黙々とご飯を食べ続けていた気がする。


「そっか〜。たしか美希って、昔から春日瑠美の大ファンだったもんね!」

「お姉ちゃんの意地悪っ!! それ、そんな大きな声で言わないでよ!!」

「サインでもしてもらったら? 折角の機会だし」

「そんなこと……………………お願いしていいの?」


 美希は小さな声でそれを聞いていた。美歌の方はそれを意地悪そうに見守るだけで、勝手にすればいいじゃんとでも言いたそうだ。

 それにしてもこの姉妹、本当に仲がいいのか悪いのか。……てか美希って、実はふつーにミーハーなのか?


「美歌さんの妹さんの、美希さんだっけ? 春日瑠海です。よろしくね!」


 その会話に割って入るように、真奈海はいつもの春日瑠海のような会釈をした。ただしそれは、非常に真奈海らしくはあるのだけど、とにかくわざとらしい。普段チロルハイムでは、あれだけ『瑠美』って名乗ることを嫌ってくせに、だ。

 なお、僕の隣りに座る糸佳に至っては、白々しい顔で真奈海を見ている。糸佳と真奈海は普段仲良しなくせに、たまにお互いこんな調子になるから不気味なんだよな。もっと言うと、女子って怖い。


「きゃ〜。瑠美さんに声かけられちゃったよ……。お姉ちゃん、どうしよ?」

「美希、落ち着きなさい。そんな騒ぐほどのことじゃないから」

「美希さん、ありがとう。これからも応援よろしくね!」

「……おい真奈海。そろそろその辺りにしておけ。それよりそろそろ今日の本題!」


 僕の声に相槌を打つように、糸佳もわざとらしい咳払いをしていた。まぁ真奈海らしいといえばその通りだけど、ここでその作り笑いはさすがに大人気ないんだよな。

 もっとも美希の方は完全にテンパっていて、僕の言葉の意味がわからないどころか、恐らく耳にすら入ってきていないようだけど。


「なによユーイチ。つまんな〜い!! 人がせっかくスマイル営業してるのにぃ〜」

「大丈夫。真奈海はそんなのなくても、真奈海であることに変わりはないから!」

「え、そうなの!? ……それ、ユーイチに言われると、わたし嬉しい!!」


 真奈海は急に僕の方へ、ごく普通の女子高生のような可愛らしいしゅんとした顔を振り撒いてくる。その顔はさすがにずるいから即刻やめてほしいのだけど……。


「どうしてだよ!?」

「だって…………ユーイチはわたしの口からそれを言わせるつもりなんだ?」

「それ、本当にどういう意味だ……?」

「ごっほん!!」


 と、ここで糸佳がもう一度大きく咳払いをした。その前の咳払いは真奈海一人に当てられた咳払いだった気もしたけど、今度は僕までそれに巻き込まれた気がする。てか糸佳はいつも何が不満なんだよ?


「お兄ちゃん! そろそろ本題に入ってください!!」

「ああ、すまん。……って僕も半分被害者だと思うのだが」

「うるさいですそんなことないです全部お兄ちゃんが悪いです!!」

「なんでだよ!?」


 糸佳は全然話が進まないことに逆ギレ状態のようだ。

 ってか、全て僕のせいにされてもだな……。


「お兄ちゃんのいつもの優柔不断さが原因ですよ? もう少し自覚してください!」

「あのなぁ〜……僕が優柔不断なのは素直に認めるけど……」

「そうですよ! 話がややこしくなるのは全部お兄ちゃんのせいなんですから!」

「…………」

「あの〜……そろそろ議題に入らせてもらっていいかな〜?」


 糸佳の謎な癇癪に僕が頭を悩ませていたところ、ようやくそこへ横槍を入れてくれたのは美歌だった。ちょうどくるりと一周回ってきたと言うか、そもそも今日の議題は美歌の悩みについてだった。

 美歌の悩み――美希がチロルハイムに居候しているとか今更そういう話でもなく、胸が小さいとかもっと今更な……いや、なんでもない。


「えっと〜、たしか歌詞が書けない……という話でしたでしょうか?」

「そう、そんな話。最初曲を初めて聞いた時には書くものがこれってはっきりあったんだけど、そこから徐々にずれていって、どうまとめたらいいかな〜って……」


 糸佳の質問に、美歌はそう答えた。美歌の言う通り、今日のチロルハイム会議の議題は、ここにいるチロルハイムメンバーでVTuberをプロデュースする件について。GWの最終日に決まった、あの話のことだ。

 曲は今ここにいない方の美歌、つまりAIで動く美歌が作曲したもので、それに今ここにいる一人称『あたし』の美歌が歌詞を作り、真奈海と一緒にそれを歌い上げる。編曲は『BLUE WINGS』デビュー曲を全て一人で手がけたという名作曲家『ITO』こと、糸佳が担当。VTuberのデザインは僕が担当だ。

 進捗はそれぞれがパラレルで動けるので、各自予定通り粛々と進んでいる。


 ところが……だ。およそ完成されていたと思われた詞を、美歌は昨日突如『やっぱり納得がいかない!』と言い出したんだ。何かが抜けている……と。


「美歌さんは自分で書いた詞が納得できなくなっちゃったんだ?」

「はい、そうです。ちょっと、もやもやすることが……」


 真奈海の優しい笑顔に、美歌は少し俯きながら肯定している。


「そういうこと、あるもんね。わたしも自分の演技を後で思い返して、本当にこれでよかったのかな?って思う時あるし」

「真奈海さんも? こういうのって誰でもあるものなんですか?」

「わたしはあると思ってる。特に、自分の大好きなものが絡むとね」

「大好きなもの?」


 真奈海はそこへほんの僅かばかりの微笑を加えてきた。

 それは美歌を誘導するかのようで……僕には何かがくっと引っかかったけど。


「わたしは、今の美歌さんの気持ちで、詞を改めて作ってみるべきだと思うよ」


 その時真奈海は、一瞬僕の方を見た気がした。

 すぐに逸らしたから気のせいかもしれないけど、ただ、何かを――

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