とてもわかりにくい姉妹喧嘩
「あのあの〜……美歌さんが『AI』って、それはどういうことなんですか!?」
ふと訪れた沈黙があった後、糸佳はそれを破るように口を挟んだ。
美歌はもう一人の自分――一人称『私』の美歌のことを、『AI』だと言った。
なるほど。あの性格からして言われてみるとたしかに辻褄が合いそうなことも多く……いやいや、SFの世界じゃあるまいし、突然そんなことを言われてもすぐに合点がいくという話でもない。
「あたしと美希の父親は、そういう研究が専門の科学者だったってだけのことよ」
「いや仮にそうだとして、その研究分野ってそこまで達してるものなのか?」
「ううん、全然。今回のあたしのケースがたまたまこんな結果になっただけ……」
僕の疑問に、美歌はそう答えた。たまたまと美歌は言うけど、それは一体どういうことなのか。そもそも美歌の『ケース』って一体なんのことだ!?
――なんで美歌はこんな研究の被験者になっているのだろう?
「事故後のお姉ちゃんの容態が、奇跡的に父の研究内容と合致してたということ」
「事故後の容態!?」
そこに説明を加えてきたのは、美希の方だ。
事故って、まさか……。
「事故直後、お姉ちゃんの脳の一部が全く動かない状態だったの」
「それって……脳死ってことか?」
「正確には違うわ。脳幹には問題なかったから、その時のお姉ちゃんでも呼吸などは問題なくできた。だからそれは、脳死とは言わない。世間一般的に言われてる言葉を使うと、植物状態だったというのが正しいわね」
脳死と植物状態って違うのか……。そんなことを思いながら僕は美希の説明を聞いていた。理解しろと言われてもなかなか難しい話が続いているけど。
「だったら、どこが……」
「お姉ちゃんの大脳の一部が障害を受けたらしくて、所謂『エピソード記憶』と呼ばれるものが全てと、『意味記憶』の大部分が消失してしまったの」
「『エピソード記憶』と『意味記憶』?」
「そう。だからあたしは、父が研究していた意味記憶を補完するためのAIを、お姉ちゃんの脳に設置した。それがあれば、最低限度の生活ができると思ったから……」
「それってつまり……」
「そうして生まれたのが、もう一人の『あたし』ってことね」
美希の説明を補足するかのように、美歌はそう付け加えたんだ。
「だけど、エピソード記憶を失ったあたしは、当然今のあたしではいられなくなった。……そりゃそうだよね。エピソード記憶というのは所謂、あたしがあたしであるための記憶とか思い出とか、そういう記憶のことだもん」
僕は頭をフル回転させて、ようやく話が見えてきたような気がする。
要するに事故というのが起きて、美歌は自分の記憶や思い出を失った。それでもなお最低限度の生活するために必要な意味記憶を、美希はAIを設置して蘇らせたということか。いや、正確にはもともと美歌が持っていた意味記憶とは別物で、美歌の苦手な数学が急にできるようになったり、左利きが右利きになったり……。
てか、AIならそりゃ数学で百点とっても何もおかしくはないわな。
だとしたら、ここにいる美歌は――
「でも……だったらなんで今、お姉ちゃんがここにいるのよ!?」
美希の疑問は当然のものだった。一度失われたものが復活した?
「そんなのあたしが知るわけないでしょ! 美希の方が知ってるんじゃないの?」
「あたしだって知らないわよ!!」
……それは、どちらも逆ギレのようにも思え、話は一向に進みそうにない。
まぁ至極当然のことかもしれないけど。
「それに、あたしも美希に怒ってることがあるんだけど……」
「なに? AIを使ったことを怒ってるとでも言うの?」
「そんなのどうでもいい! むしろその後のこと!!」
「なによそれ……」
「さっきも言ったけど、なんでもう一人のあたしをいつまでも受け入れないの?」
確かに、美歌はさっきからこれを繰り返し言っている気がする。
美歌にしてみるとその辺りがどうしても納得いかないようだ。
「そんなの、無理だよ!! だってあたしはお姉ちゃんが大好きだもん!」
「そんな理由で!? ふざけないでよ!」
「だったらあたしからも言わせてよ?」
「……なによ?」
「お姉ちゃん、なんであたしから逃げてばかりなの?」
それについては、何となく僕でも理由はわかった。それは美歌なりの、お姉ちゃんとしての気持ちの問題でもあったから。美歌には美歌なりの考えがあるのを前から聞かされていたから。
ただし美希の質問に対し、美歌は答えにくいのか、黙ったままだ。
「まぁ〜そろそろ姉妹喧嘩はやめて……」
「「管理人さんは黙ってて!!」」
僕は助け舟を出したつもりだったのに、まさか姉妹両方から拒否られるとは……。
「そうですか。お姉ちゃんが逃げ回っているのは、ひょっとして……」
「な、なによ……」
が、少し間があった後、美希は何かを悟ったようだ。一体何を悟ったのか知らないけど、何故か美希の視線の先は僕の方にあり、その目は薄っすらと笑っていた。
……何やら非常に嫌な予感がする。
「お姉ちゃん。管理人さんのことが好きなんですね?」
「「……はい?」」
僕と美歌が同時に疑問の声を上げる。待て待て。話が飛躍しすぎてないか?
「お姉ちゃんは管理人さんに恋をして、この寮から出られなくなった。違います?」
「なわけないでしょ!!」
美歌は強く否定する。
……いや、そこまで強い口調だとそれはそれでむしろ傷つくんですけど。
「お姉ちゃん女子校だったですもんね。こんな優しそうな男子が近くにいたら……」
「このナンパ野郎がそんな優しい男子に見えるって言うの!??」
……おい美歌。人が黙っていることをいいことに、何言ってくれてるんだ?
「だったら……明日、あたしは管理人さんと二人でデートします!」
「っ……!??」
「もちろん、お姉ちゃんは文句ないですよね?」
美歌と美希は二人で、僕の顔をじっと睨んでくる。
……だからなんだっていうのだろう!?
「ええもちろんないわよ。どうぞお好きにしな!!」
そう美歌が言い放った直後、美歌と糸佳の非常に冷たい視線が僕に飛んできた。
……えっと〜、美歌はともかく、糸佳にも僕は何かしたか?
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