不釣り合いなショッピングモールで

 電車で揺られること、十五分ほど。駅の北口に出て橋を渡り、小さな商店街を抜けていくと、そこにやや大きめのショッピングモールが見えてきた。駅前というわけでもないこの場所は、どちらかというと車で来る客のほうが多そうだ。目の前の行き来激しい道路が、そのことを物語っている。


「あたしね。この店、落ち着いてて大好きなの」


 僕は美希に言われるがまま、この場所まで連れてこられたという格好だ。美希が家族四人で暮らしていた頃はこの辺りに住んでいたらしく、頻繁にこのショッピングモールにも来ていたんだとか。


「だって、こんな場所にこんな大きな店があるんだよ? なんか意外な感じで、楽しくなるよね。人だってそんなに多くないし」

「ここってそんなに楽しくなるような場所か?」

「だって、ここに来れば何時間でもいられる。映画館だってあるんだから!」


 美希の笑顔に釣られるように、僕も思わずふっと笑ってしまった。

 確かに駅からここにたどり着くまでは、ひたすら見晴らしの良い川の景色に、風情のあると言えば聞こえはいいが、どこか寂しい匂いのする商店街。その先に華やかな大型ショッピングモールがあり、映画館も常設されていると言われれば、その不釣り合い加減が実に妙だ。


「お姉ちゃんもこの場所大好きだったんだから」

「へぇ〜。美歌もねぇ〜……」


 ただそれはなんだかわかる気がした。一人称『あたし』の美歌はいかにも姉らしい大人びた性格をしているかと思いきや、突如子供っぽい甘い顔を見せる時がある。そのギャップこそがなんとも言えない美歌の可愛らしい姿でもあるのだが……と、そんなこと言ったらまた『ナンパ野郎』などと言ってくるかな。


「ふふふっ……」


 すると美希はそんな僕を見て、悪戯な顔で小さく笑ってきた。


「な、なんだよ?」

「今、お姉ちゃんのこと考えてたでしょ?」

「はい?」

「お姉ちゃん美人だもんね〜。管理人さんが好きになってもおかしくないよ」


 う〜ん……どちらかというとそれとは真逆のことを考えていた気もするが、それは言わないでおこう。


「そういう美希は、なんでそんなにお姉ちゃんが好きなんだよ?」

「ん〜……、管理人さんと同じで、優しいから?」

「はい!??」


 ごめんもはや何を言ってるのかさっぱりわからん。


「お姉ちゃんも優しいけど、管理人さんも見るからに優しそうだもんね」

「そのお姉ちゃんには『ナンパ野郎』としか言われたことないけどな」

「でも管理人さん、そんなお姉ちゃんの話をいつも黙って聞いてくれてるでしょ?」

「え?」

「お姉ちゃんもきっと管理人さんのそういうところが好きなんだと思うよ?」


 そんなこと言われたところで、あまり思い当たる節がない。あるとすれば、真奈海にも似たようなことを言われたことがあるくらいか。いや、真奈海が言ってたのは、僕が『優しくない』って話だったような気もする。だとすると全然話が噛み合ってないし、真奈海と美希の言ってることは正反対ってことになる。

 だったら一体なんだってんだろうねぇ、僕ってやつは。


「でもお姉ちゃんの恋路も大変そうだね……」

「だからそんなんじゃないっつーの」

「糸佳さんに……それともう一人、有名な女優さんも住んでるとか言ってたし」

「あ〜、そういえば昨日は会ってないんだっけ?」


 真奈海が昨日レッスンを終えて終電に乗って帰宅したのは、深夜の一時過ぎだった。その時間ともなるともう美希は寝ていたようだし、今朝も美希が起きる前に真奈海はライブの準備で出掛けてしまったんだ。だから美希と真奈海はまだ会っていない。


「風の噂では、その女優さんの愛の告白を管理人さんが断ったってことだし」

「ちょっと待てそれは一体誰に聞いた!??」


 美歌だろうか。昨晩あの後、寝る前に二人でそんな話をしてたのかもしれない。


「でも……。有名な女優さんって、一体誰なんですか?」

「って、その話は聞いてないのかよ!?」


 明らかに順序が狂いまくってるだろ……。


「確か糸佳さんの母親の事務所って、結構大きなところでしたよね?」

「ああ。まぁ、そこそこにな」

「昨日事務所のホームページを見たら、春日瑠海が一番有名な女優さんだったけど、まさかそんな有名人があんな辺鄙な場所に住んでるとも思えないし……」

「ははは…………」


 もはや苦笑いを浮かべるしかない。最寄り駅まで徒歩二十分という辺鄙な場所ってのは素直に認めるし、それが理由で両親が出ていったのも事実だ。

 ほんと真奈海のやつ、なんでチロルハイムなんかに住んでるんだ!?


「ま、それは会ってからのお楽しみってことだな」

「そうさせてもらうよ」


 美希は小さく笑った。本当に楽しそうだ。不思議なくらいに。


「でもね。昨日は本当に楽しかったし、嬉しかったんだよ?」

「え。なんのことだ……?」

「お姉ちゃんのこと」


 ショッピングモールの大きな通路で、美希はくるっと身体をひねらせ、僕の方にその笑顔を振り撒いた。美希の背後は吹き抜けになっていて、その開放感がぐっと僕を包み込んでくる。


「あんな風にお姉ちゃんと話ができる日なんて、もう二度と来ないと思ってたから」


 美希の瞳はきらきら輝いて、その光は天井のシャンデリアの灯りに匹敵している。


「でも、昨日はどっちかと言うと喧嘩してなかったっけ?」

「だってあたしは、あのお姉ちゃんが好きなんだもん!」


 それはなんだかおかしな話だけど、何となく僕にも理解できた。

 美希が求めていた姉というのは、まさに昨日の美歌のことだったのかもしれない。


「でもそんな風にお姉ちゃんがいられたのも、管理人さんのおかげじゃないかな?」

「はい?」


 だけどやっぱり僕にも理解できないことはあったりして――


「あんな風にお姉ちゃんを笑わせてくれて、本当にありがとうね!」


 それでも僕は


「こちらこそ……」


 ――そう答えるのが、今の僕の精一杯の気持ちだった。

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