アイドル、春日瑠海

 今日のライブの曲は、いずれも『BLUE WINGS』デビューシングルに収録される三曲。

 うち、最初の一曲目は、CDだと三曲目に収録される『Stairs』という曲で、現在真奈海や千尋、そして胡桃が出演している学園ドラマの主題歌のカバー曲だ。オリジナルは、同じ事務所の男女混合ダンスボーカルグループが歌っている。学園ドラマに相応しい、勢いのあるアップテンポな曲調で定評があり、糸佳の自信作でもあった。今回この曲がライブの一曲目に選ばれたのは、ドラマ主題歌という知名度にあやかるためでもある。

 ライブ二曲目として歌っている『Ambitious』は、CDでも二曲目として収録予定だ。この曲は『BLUE WINGS』オリジナル楽曲。と言っても、元々はVTuber『栗坂くみ』が歌っていた曲だ。大方の察しの通り、そのVTuberの正体は、高坂胡桃。ところが、文香が『ひっくり返すとミクっぽくていい感じじゃん!』と命名された『栗坂くみ』という名前ではあるが、本人は『あたしはくみじゃない!』という理由で、あまりその名前が気に入っていないのだとか。


 二曲目が歌い終わると、『BLUE WINGS』の三人にも少しだけ疲れが見える。


「さすがに二曲続けてって疲れるわね……」

「あたしたち、これまでモーションキャプチャーを付けてただけだもんね〜」

「こらくるみ。それ絶対言っちゃダメなやつ!!」


 ライブを聴いている観客のほとんどは、『何のことだ?』という顔を浮かべた人たちばかりだったが、ごく稀に、にやっと笑う人もいた。恐らくそれは、千尋と胡桃が歌っているVTuberのことを知ってる人なのだろう。

 ……てか相変わらず、誰得のMC台本だよ!??


「それより、なんでルミだけけろっとしているのよ!?」


 千尋の言う通り、三人の中で一番けろっとした表情を見せているのは、春日瑠海だった。そういえば四月に入ってから毎朝ジョギングしていたのを覚えている。始めたのは丁度文香からあの話を聞かされたタイミングと重なるため、ひょっとするとその頃から今日のライブを見越していたということか。


「え、アイドルだから……?」

「ルミはアイドルというより、女優でしょ〜が!!」

「そうよ。ルミは何を寝ぼけたこと言ってるのよ?」


 胡桃と千尋がツッコミを入れるのと同時に、瑠美は小さく微笑んだ。その微笑みは瑠美にとって何を意味するところなのか、スタッフである僕もまだわからない箇所もあるけど――

 そして、瑠美はもう一度、小さく小さく息を吸った。


「……今日は、皆さんにお話したいことがあります」


 スポットライトの光が千尋と胡桃から外れ、瑠美の方へと集中する。

 一層明るく照らされた瑠美は、さらにもう一度、今度は大きく息を吸った。


「わたし、春日瑠海は、女優を休業します!」


 その瞬間、重苦しい沈黙がライブ会場をすっぽりと包みこんだ。

 ほとんどの人がその言葉の意味をまだ理解できてないようで、ただ少しずつ、ほんの少しずつ、その沈黙がどよめきへと変わっていく。そのどよめきをかき消すように、瑠美はMCを続けていく。


「今放送されてる連続ドラマが終了次第、女優は休業となります……」


 連続ドラマが終わるのは夏。ただ、収録はそれよりもう少し早く終わるだろう。


「だからこれからは、アイドル春日瑠海として、一生懸命頑張ります!」


 春日瑠美の瞳は、キラリと輝いている――


「わたし、アイドルとしてはもっともっと勉強しなくちゃだけど、それでも精一杯頑張るつもりです! だからこれからも声援のほど、よろしくお願いします!!!」


 春日瑠海は、深々と頭を下げた。


 その、春日瑠海の身勝手な想いは、ライブ会場にどれほど伝わったのだろう?

 会場の方は、突然の休業宣言に言葉を失っている人がほとんどだった。

 よく見ると、ほんの少しだけ涙ぐんでいる若い女性の姿もある。


 誰よりも愛された女優、春日瑠海の、そんな休業宣言であったから――


「……あ〜あ、言っちゃった……」


 頭を下げたままの瑠美が小さな声で、そんなことをぼそっと呟く。

 それと同時にスポットライトが分散し、改めて千尋と胡桃にも照らされた。


「よく頑張ったね、ルミ……」


 下を向いたままの瑠美に、千尋がそっと肩を二回叩いた。


「大丈夫。だって、あなたは小生意気でへこたれない、春日瑠海だもん」

「うん大丈夫だよ。きっとみんなも応援してくれる。そうだよね、ここにいるみんな〜!」


 そして胡桃が瑠海を励ましながら、観客を煽った。

 その反応は、最初こそ小さな拍手であったが、徐々に歓声へと変わっていった。

 あっという間に巨大なエールへと変わり、春日瑠海をすっと立ち上がらせたんだ。


「っしゃ〜! それじゃ〜ラストの曲行くよ〜!!」

「ラストの曲は『Fortune』。聴いてください!!」


 千尋はそれと同時に右手をすっと差し出した。それに胡桃と瑠海も合わせる。


「「「レディ〜、ゴー!!」」」


 掛け声の後、一旦ライトが落ち、次にライトが当たったとき、既に三人はポジションについていた。そして間もなく、イントロが流れ始め、三人はそれに合わせてダンスを披露し始める。1サビはやや落ち着いたスローなテンポで、うっとり聞かすメロディーだった。


 ラストの曲『Fortune』は糸佳が今月作曲したばかりの完全オリジナル楽曲。CDには一曲目に収録される予定の曲だ。

 元々千尋と胡桃の二人に歌ってほしいと言っていた糸佳だったが、急遽瑠海を含めた三人で歌えるように組み直した。曲が完成し、糸佳が瑠美にその曲を聞かせると、瑠美は子供のような顔で喜んでいたのを今でも鮮明に覚えている。


 作詞は、千尋と胡桃が瑠美に内緒で書いたもの。

 それは本当に瑠美も知らなかったらしく、後で胡桃から聴いた話だと、瑠美が初めて歌詞を読んだ時は泣きそうな顔になっていたという。


 なぜならそれは千尋と胡桃が用意した、瑠美への応援歌になっていたから――

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