春日瑠海の決意

「だから文香さん。さっきの提案のわたしの答えは……」


 あの時、真奈海は僕に強い眼差しをぶつけてきた。

 文香に質問に対する回答は、明らかに僕の方へと向いていたんだ。


「わたしは、女優を休業して、歌手になる!!」


 ――真奈海は、そう僕に宣言した。


 それは確かに僕と真奈海の間で起きた、今から一ヶ月ほど前のあの出来事とリンクしていることは明白だった。あの時真奈海は、『わたしは魔法使いになりたい』と言った。でも、『なれなかった』とも言っていた。その『なれなかった』理由というのは、あの日の僕の態度のせいだ。

 僕はあの日、真奈海に対して曖昧な態度を取った。今でもなんであんな態度を取ってしまったのか、僕自身不明なままだった。真奈海のおそらく真剣だったであろう告白に、僕は向き合おうとさえしなかったのだ。


 本当にどうして……

 真奈海の言葉が信じられなかったのだろうか?

 それとも、ただ怖かったのだろうか?


 僕は耳を塞ぎ、それによって真奈海は傷ついた。

 僕なんかのせいで――なんで僕のせいで真奈海は傷つく必要があったのか。


「でも真奈海ちゃん。あなた、そんなに歌は上手くなかったわよね?」

「今、練習してる。だから、歌わせてください!」

「練習してるって……練習すればすぐになれるとか、そう簡単なもんじゃないのよ?」

「わかってる! でも、一生懸命練習するから!!」

「それに真奈海ちゃんには十分すぎるほどの演技力があるから、そっちを伸ばした方が……」

「もう女優は嫌なの! やりたくないの!!」


 まるで今の真奈海は、駄々をこねるだけの小さな子供のようだ。

 ただそれは、甘えなのか決意なのかと聞かれると、明らかに後者だ。真奈海は子供の頃から子役として、女優として、演技ばかりをずっと学んできた。そして、その結果もしっかりと掴んできた。もし仮に中途半端な歌唱力で歌手として挫折してしまったら、それは女優としてもイメージダウンにつながりかねないし、これまで得てきた結果も、全て失いかねない。


 だが文香は、小さくふっと溜息をついた。

 まるで真奈海がそう答えるのを知っていたかのように――


「……わかったわ。でも真奈海。やるからにはしっかりやりなさい!」

「覚悟なら出来てる。……ううん。もう何も失うものなんてないから!」


 真奈海はそう決意を語った。

 失うものなんて何もない――そんなの嘘だ。嘘に決まってる。

 なんで真奈海はそんなこと言うのか、僕には到底理解すらできなかったけど。


 ……いや、僕はただ理解をしたくなかっただけかもしれない――


 ☆ ☆ ☆


「みなさ〜ん、こんにちわ〜!! 春日瑠海で〜す!!!」


 一曲目を歌い終わると、いつもテレビの中から聞こえてくる春日瑠海の声が、今日は目の前のライブ会場から聞こえてくる。それはいつもと同じで、いつもと違うシチュエーション。その違和感を覚えるのは当然のことで、こんな風にドラマや劇場以外の場所で春日瑠海に出逢えることは、未だ嘗てなかったことだからだ。


 ただ、本当にそれだけだろうか。この違和感の意味というのは……。


「てかルミ。あなたいつの間にそんなに歌、練習してたのよ?」

「そうだよ〜! 歌でまであたしとちひろのお株を奪うとか、ちょっとずるくな〜い?」


 千尋と胡桃が瑠海を茶化すようなMCが続く。

 ちなみに内情をバラすと、この後はアドリブパートだ。……正直、これほどヒヤヒヤするアドリブパート突入は、今まで僕は見たことがない。


「だったら、ちひろもくるみももっと演技の勉強しようよ〜。皆さん、少しバラしちゃいますけど、先日放映された連続ドラマ、わたしの出演時間は計算するのも大変だったのに、ちひろとくるみは、たったの三秒ですよ! 三秒!!!」

「……ちょっ!」

「……ルミ、あんたね〜!!!」


 挑発的な態度を取る、春日瑠海。唐突の暴露話にステージは爆笑の渦に包まれた。

 瑠美が出演している学園ドラマには、確かに千尋も胡桃も出演している。だがそれは瑠美の言うように、出演時間がほんの僅かのいわゆるちょい役だ。それをわざわざこの場で暴露しなくても……。

 ……このMC、絶対あかんやつじゃないか?


「でも、こんな生意気なわたしにいつも歌を教えてくれたの、ちひろとくるみだったじゃないですか。だからこんなところで『お株』とか、そんなこと言わないでくださいよ〜」

「……くっ。ほんと生意気よね〜、ルミって」

「わたしは生意気かもしれないけど、二人にはちゃんと感謝してますから〜!」

「それなら今度は〜、ルミがあたしたちに演技を教えてくれる番ってことだよね?」

「えっ……そういうことになるの……かな???」


 瑠海はすっとぼけた態度を取る。でも多分、胡桃に言われなくても、瑠美なら二人にそういう情報交換をすることも辞さないだろう。


「ま、ルミの小生意気なところはいつも通りよ。でも次の曲は負けないからね!」

「次の曲は〜『Ambitious』! みんな、準備はいい? レディ〜……」

「「「ゴー!!」」」


 三人のまとまった掛け声で、次の曲のイントロが流れ始めた。

 イントロに合わせて三人は息ピッタリのダンスを始める。そういえば瑠海はいつの間にか歌だけでなく、ダンスの練習もしていたことになる。いつも一緒に暮らしているはずの僕の目にもつかない場所で。


 ただ、なんとなくだけどさっき感じていた違和感の正体もわかってきた気がした。

 MCを見ていて、何となく感じていたことが確信へと変わったんだ。


 これは恐らく、チロルハイムに住む僕だから気づくこと。

 その変化はここにいる観客には、気づくことができないかもしれない。


 僕が感じたこと。それは、ここにいるのは春日瑠海じゃない。

 真奈海がステージの上に立っているんだ――

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