あたしと私

「ごめんね。あんたには今日一番迷惑かけちゃったよね……」


 それは、美歌の歓迎パーティーが終わり、僕が一人『チロル』に残って食器の後片付けをしているときのこと。ふと声の方へ振り向くと、そこには美歌の姿があった。


「別に……。それよりお前、ちゃんとそうやって素直に謝ることもできるんだな」

「なによ。馬鹿にしてるの?」

「別にそんなことはないけど……」


 人のこと散々『ナンパ野郎』呼ばわりした挙句、糸佳に誤解させたままずっとしらばっくれてたようにも見える。でも大した問題じゃないから、元々謝られるほどのことでもないのだけど。


「それに春日さんのことだって、元はと言えばあたしがしょうもないことで落ち込んだばかりに……」

「それはさすがに考えすぎ。あれは真奈海が勝手に地雷踏んで自爆しただけだろ」


 そもそも真奈海が落ち込む理由を作ったのはむしろ自分だ。それを美歌に謝られる要素なんてどこにもない。真奈海のやつ、美歌を励まそうと頑張ったつもりが、自分で仕込んだ罠に自ら嵌り、結果勝手に落ち込んでいただけのこと。もちろん僕にも責任はあるけど、今日の一件に関しては真奈海の自爆以外の何だというのだろう。

 あの後の真奈海はというと、いつもの真奈海らしい笑顔を取り戻そうとしていたけど、結局最後までそれは叶わなかった。口数はいつもより減ったまま、食事した後の今は自分の部屋に籠もっているようだ。糸佳も積極的に真奈海に話しかけることができずに、やりきれないような顔をしていた。

 そして僕は――


「それより、ひとつ聞いていいか?」

「なによ? 改まっちゃって」


 だが僕は、真奈海ではなく美歌に対しても、一つ確認しておきたいことがあった。


「お前って……二重人格なのか?」


 これって聞いていいのだろうか。だが、僕なりにどうしてもすっきりさせておきたかった。

 ところが美歌は小さな笑みを浮かべながら、特に何も躊躇もなく、その回答をしてきた。


「やっぱしバレちゃってたか……。さすが管理人さんだね」


 まるでそれは開き直っているかのようにも思えてくる。


「別に管理人とか関係ないだろ。そもそも利き手が変わってるのにも気づいたし」


 スプーンを右手で持ったり左手で持ったり……あれは確かに見間違えではなかったんだ。


「ま、正確には一般的に言われてるような二重人格……解離性同一性障害とは別物なんだけどね。似たようなものと言えば似てるし、違うと言えば違うかな」

「どう違うんだよ?」

「ストレスとか、そういうのとは原因が全く別ってこと」

「? ……じゃあ、何がそうさせたんだ?」

「話すと長〜いお話になるけど、それでも聞きたい?」


 悪戯な笑みを浮かべながら、美歌は挑発的にそんなことを言ってくる。


「話したくないんならそれでもいいけどな」

「じゃあ止めとくよ。そもそも信じてもらえるかも怪しい話だしね」


 そう話す美歌の態度から考えても、確かにストレスなどと言った理由で二重人格になったとはとても考えにくい。なんとなくだけど、美歌はストレスとか無縁そうな気がして、そういう意味だと真奈海の方がよっぽどストレスを抱えているようにも見える。ただ美歌の言う『信じてもらえないかもしれない』というその理由は、何となく複雑そうで、それを受け止めきれるのか、僕には自信がなかった。だとすると、今は聞かないほうがいいのかもしれない。


「でもさ。無理にもう一人の自分の性格に合わせる必要もないんじゃない?」


 今の美歌は何度か『あたし』と言おうとして、『私』と言い換えていた。それもかなり無理して。しかも、丁寧な言葉遣いをしようとするのも、どちらかというともう一人の美歌に合わせようとしているように見えたんだ。


「それも仕方ないよ。もう一人の『私』はあたしと違って、器用な子じゃないし」

「そうなのか?」

「どっちかというと、右も左もわからないような常識知らずの子だよ? あたしがフォローするしかないじゃん」

「なんか、めんどくさそうだな」

「ほんと。なんでこんなことになったのだか……」


 美歌は苦笑を浮かべている。さすがにそれには僕も同情してしまった。


「あ、もうすぐもう一人の『私』が目を覚ます頃だから、そろそろ行くね」

「それさえも自分の意志じゃないのか!?」

「うん。あたしはあたしの意思でここにはいられないから」

「…………」


 自分の意志で自分がここにはいられなくなってしまう……?

 そんなことって――何か尖った刃物のようなものが、僕の胸を突き刺してくる。

 

「あ、あとさ。さっき、春日さんに地下のスタジオ見させてもらったんだけど、あそこってあたしも使っていいかな? 機材とか充実してそうだったし」


 立ち去ろうとした美歌がふと思い出したように、そう聞いてきた。


「別に構わないよ。そういうの、興味あるの?」

「ううん。あたしじゃなくてもう一人の『私』がね。あの子、きっと喜ぶだろうな」


 そう言うと、今度こそ美歌はその場から立ち去った。


 ふと僕は考えた。次に美歌に会う時、どっちの子に会うのだろう?と。

 美歌は、自分の意志でいられるわけではないって言っていた。だとすると、もう二度とさっきの『あたし』と呼んでいたあの子には会えないかもしれない……その可能性だって、ゼロではないんじゃないだろうか。


 あの子……美歌は、どんな気持ちで、いつも笑っているのだろう――?

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