口にしみる激辛カレー

「せっかくなんで、皆で改めて自己紹介をしませんか?」


 糸佳特製激辛カレーはなんだかんだと美歌にも受け入れてもらえたらしく、お皿から半分くらいカレーが消えたところで糸佳がこう切り出した。それにしても最初のドタバタ劇はなんだったのだろう? 美歌は左手でスプーンを持ち、その激辛カレーを淡々と食べ続けている。


「じゃあまず、イトカから紹介しますね」

「ど、どうぞ」


 美歌は少し緊張した面持ちでそれに答えた。なんだかその表情は意外にも感じられる。


「大山糸佳です。高校二年生……というか、美歌さんと同じクラスでしたよね。ここチロルハイムの管理人やってるお兄ちゃんの妹です。イトカは趣味で、作曲とかもやってます。今度イトカの曲、聴いてみてください」


 そこまで話すと糸佳はペコリと頭を垂れて、会釈を行う。


「こんな感じかな? 次はお兄ちゃん」

「あ、うん。大山優一です。一応昨日からここの管理人ってことになってます。最近は動画とか作るのが趣味です。よろしく」


 と、糸佳に習い、僕もここで会釈を行う。


「え、ユーイチ。それだけ? ……ま、いっか。次、わたしね」


 どこか不服そうな真奈海が僕をきゅっと睨んできた気もしたが、とりあえず無視。


「春日真奈海です。こう見えても皆さんと同じ、高校二年生です。てか隣のクラスだよね〜! 春日瑠海って名前でたまにテレビに出てたりもします。好きな食べ物は、焼きそばとお好み焼きです。よろしくね〜!!」


 さすがは女優と言ったところか、笑顔で話す真奈海はこういう自己紹介にも慣れている感じはある。ただ『たまに』という表現がかなり謙遜な気もするが……。


「じゃあ〜、最後は美歌さん、言ってみよ〜」


 そう真奈海に誘われて、最後に美歌が自己紹介を始めた。


「あ、あた……私は霧ヶ峰美歌です。先程もお伝えしましたが霧ヶ峰だと長いので、美歌って呼んでください。私が得意なのは、歌を歌うことくらいでしょうか……」


 やや自信なさげに、丁寧な口調でそう話す美歌。


「昨日公園で歌ってた歌、かなりうまかったような気もしたけど?」

「あ、あれは……私なんて全然です。糸佳さんは作曲、ナンパ野郎……じゃなかった、管理人さんは動画作成、真奈海さんは知らない人のいない大女優さんだし……なんかここ、すごい人ばっかだなって……」


 何かその話の中に聞き捨てならない単語が混ざっていた気もしたけど、とりあえず聞かなかったことにする。ただ小さく話す美歌の言葉の中には、笑顔と不安の両方が入り交ざっているように感じ取れた。


「でも私だって女優業を休業する予定だし、全然ふつーの女子高生だよ〜」


 と、ここで真奈海がやや重くなりかけていた雰囲気をぶち壊すように、爆弾発言をぶち込んでくる。ただし、それはむしろ頭が痛い。


「え、真奈海さん。女優休業するんですか?」


 目の色を変えるように美歌は驚きの反応を見せる。国民的知名度を誇る女優の休業宣言をこんな形でされてしまったら当然の反応だ。てか、文香に聞いていなかったら僕や糸佳も同じ反応をしただろう。


「そ。だから現在絶賛事務所と大喧嘩中〜」

「……そ、それって、大丈夫なんでしょうか?」

「真奈海ちゃん。お母さん困り果ててたから、喧嘩はやめてくださいです……」


 少なくともあの文香の様子、糸佳の言うようにかなり手を焼いているようだった。


「だって、わたしが女優やってても、全然喜んでくれない人もいるし〜……」


 ちらっと真奈海の冷たい視線を感じる。それに釣られるかのように、糸佳と美歌も僕の方を見てきた。……へ? 何だこの状況……。


「ぼ、僕のせいだっていうのかよ!?」


 すると真奈海は一瞬下を向いた。小さく溜め息をついたような気もする。ここまでくると、演技なのか本音を零しているだけなのか、大女優様の表情を読み解くのは限りなく不可能に近い。


「わたしね、女優やってる自分が嫌いになってきたんだ。なんか自分が自分じゃなくなるみたいで。……そりゃそうだよね、そういう職業だもん。だからお休みいただきたいな〜って」

「真奈海ちゃん……」


 糸佳が心配そうに見つめる。ずっと小さい頃から真奈海を見てきた糸佳は、その真奈海の不安を何となくでも理解できるのかもしれない。糸佳は真奈海の大女優になるまでの過程を、全部見てきた数少ない人物だから。


「自分自身を探し当てることすらできないんだもん。こんな女優、消えて当然だよね」

「おい、真奈海……」

「ふふっ、わたしなんか……女優どころか、人間も失格……かな?」


 文香に言われてはいたが、ここまで落ち込んでる真奈海も本当に珍しかった。いつも明るく振る舞って、見ている皆を元気にする。それが真奈海、そして女優春日瑠海のモットーだったから。

 その原因が僕にあるのだとすると、僕は――


「甘ったれたこと言わないでよ!!」


 が、低めの女性の声がそこに響いた。唐突の声に僕と糸佳はあっけらかんとなる。


「テレビ出まくってる女優が何をしみったれたこと言ってるのよ? あんなに一生懸命やってる人が人間失格なんて、絶対ありえない! だって、春日さん。ちゃんと生きてるじゃん!! 生き生きとテレビの中で輝いてるじゃん!! そんな人が『消える』とか、ふざけんじゃないってゆうのよ!!」


 その声は、美歌の声だった。その顔はどういうわけか、やや涙目にもなっている。

 突き刺さるような美歌の言葉に少しだけ沈黙があった後、真奈海は……


「……ご、ごめ〜ん! そうだよね。美歌さんの言うとおりだ〜……」


 真奈海は、笑顔を返した。……いや、恐らく作り笑いだ。

 ただ、真奈海の表情からは、その笑顔に対する後悔の念が感じられる。


「…………」

「あた……私こそ、ごめん。急に変なこと言って。……最初に私を励まそうとしてくれたの、真奈海さんだったのにね。何も知らないくせに、勝手なこと言ってごめん……」

「ううん。美歌さんの言う通りなのはほんとだから……」


 真奈海は小さく微笑んだ。今度は、誰にでもなく、自分のために――

 今度こそ作り笑いなどではなく、むしろ今できる限りの笑みという気がした。


 その時僕は、糸佳の特製激辛カレーが口の中で激しく攻撃してくるのがわかった。

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