春の日の転校生、霧ヶ峰美歌

 青川大学付属坂見原中学高等学校。私立大学付属の中高一貫校。ただその学校名があまりにも長いので、地元では『青中』とか『青高』などと呼ばれている。

 チロルハイムから歩いて十分ほど。妹でもあり、クラスメイトでもある糸佳と世間話などをしながら歩いていると、あっという間に辿り着いてしまう。今日も『今晩の歓迎パーティー、料理は何にしますか?』と糸佳が聞いてきたので、それについてあれこれ話をするつもりだったのに、結局決まる前に青高へ到着してしまった。とはいえ、今日の夕食当番は糸佳だから昨晩のようなことは起きないだろう。だから安心して糸佳に任せることにした。


 糸佳と教室にたどり着くと、いつもより少し騒がしいことに気づいた。

 四月上旬。ようやくこのクラスにも慣れてきたはずなのに、今朝は全然落ち着きがない。


 するとクラスメイトの崎山透が僕の顔に気づき、早速近づいてくる。


「おい優一。聞いたか? 今日来る転校生、めっちゃ美人らしいぞ?」

「美人? ふ〜ん…………」


 透とは一年の頃から同じクラス。話が合うせいか、何となく一緒にいる友人という感じだ。


「ま、お前にはあんなに可愛い妹が同じクラスにいるし、今更興味もわかないか」

「別に糸佳とはそんなんじゃね〜よ……」


 というかその美人な転校生というのは、大方龍太が言ってた202号室の新住人のことだと想像がついていた。ただチロルハイムには糸佳だけではなく、国民的清純派女優の春日瑠海までいる。普段からそんな生活に慣れ親しんでいるせいか、僕のその辺りの感覚が完全に麻痺していても何も不思議ではないだろう。実際のところは、皆が想像するようなそんな生易しい生活とも思えないのだけど。

 チロルハイムはまさに秘密の花園。紛い的にも兄妹という関係である僕と糸佳が同じ家で暮らしている。ここまではもちろんクラス内でも周知の事実だ。ただし、まさか真奈海まで同じひとつ屋根の下で暮らしている事実までは、教師以外誰も知るはずもなく、想像だにしていないだろう。


「いいな〜優一。そんな可愛い女子とひとつ屋根の下なんて……」

「別にいい事だらけじゃね〜よ。昨日だって大変な目に遭ったばかりだ」

「大変な目って、なんだよ?」

「直径約二十センチのお好み焼きを一人二枚食べさせられた」

「まさか〜! あんな少食そうな子がそんな大量に作るわけね〜だろ」

「十分ありうるだろ? あいつ、手加減という言葉をまじで知らないんだぞ?」

「そうか〜? 手加減どころか大人しい以外のイメージが全然ないんだが……」

「そんな大人しい女だったら、あんな有名人になってね〜よ!」

「有名人……? お前、誰のこと言ってるんだ?」


 あ……。透との話が噛み合っていないことに今更気がついた。僕が真奈海とチロルハイムで同居していることは、当然友人である透でさえ知らないのだ。


「……いや、なんでもない。とにかくいいことばかりじゃね〜よ」


 僕がうまく誤魔化そうとするのと同時に、救いのチャイムが鳴った。教室中の生徒が一斉に席に着き始める。それに合わせて僕も自分の席へと逃亡することができた。


 それから間もなくして、担任の教師が教室に入ってきた。大方の予想通り、転入生と思われる女子高生も一緒だ。その瞬間、教室がざわついたようにも感じたが、日直の『起立』という声と共にそのざわつきはかき消された。


 ――あれ? あの女の子……???


 挨拶の後、転校生の女子は左手でチョークを持ち、黒板に自分の名前をすらすらと書いていく。そして、黒く長い髪をさっと揺らして振り返ると、今度はその小さな口を動かし、自己紹介を始めた。


「あ、あた……私、霧ヶ峰美歌と言います。よ、よろしくお願いします……」


 なるほど。噂通りの美人系……というより、僕はこの女子に見覚えがある。

 が、その記憶と同時に、奇妙な違和感が記憶の底から沸々と湧いてきたんだ……。

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