202号室の霧ヶ峰さん
転校生の女子は、空いていた僕の左斜め前の席に座った。一番窓側の席。
これまでクラス名簿にその名前はなかったものの、クラスが決まった始業式の日には僕のクラスに所属することが確定していたらしく、席もこれまでずっと空席のまま、存在だけはしていたんだ。
あの日と同じように、開いた窓から注ぎ込んでくる風に、その黒く長い髪を靡かせている。その春の風を気持ちよく感じているかのようで、強い風が吹くたびそっと自然に右手でその髪を抑えていた。ただし午後にもなると風はより強くなったのだろうか、今度は鬱陶しそうにぎゅっと左手で抑えていた。
六時間目にもなると彼女の左横の窓はいつの間にかぴしゃっと閉められていて、それはそれでなんとも潔さを感じたほどだったけれど。
そうこうしているうちに、あっという間に一日が終わり、放課後となった。すると案の定とも言うべきか、帰宅しようとした僕のところに転校生が近づいてきた。
「あ、あの……大山くん……でしたよね?」
「あ、はい。202号室の、霧ヶ峰さんですね?」
「そ、そうです……。よろしくお願いします……」
霧ヶ峰さんはおしとやかそうな態度を見せながら、僕に挨拶をしてきた。
その声のキーは高い。……うん、たぶん……?
少し何か違和感も感じるが、その正体はまだよくわかってない。気のせいか?
「てか、昨日も会いましたよね?」
「会いましたっけ?」
「公園で。霧ヶ峰さん、歌を歌っていたと思うのですが……」
「……私、歌を? ん〜…………?」
あれ? 僕の勘違いだったのだろうか? ……と思ったその時だった。
「あ〜、思い出した! 君、あの時のナンパ野郎!!」
「……………………は?」
その声が急に低い声になったと思いきや、突然大声で不条理なことを言われた気がする。僕もまだ何が起きたのか、頭の整理がついてきていない。ただはっきりしていることは、まだ教室には数名のクラスメイトが残っていて、一斉に僕の方を睨んできた。一体何があったというのだ!?
……が、それはどうもこの転校生、霧ヶ峰さんも同じだったようで、慌てて自分の口を両手で抑えている。どちらかというと僕に恨みがあると言うよりは、しまったという態度を取っているのだ。どうやら今の発言は、彼女本人にとっても不用意なものだったらしい。
そう思うなら頼むから今すぐにでも前言撤回してほしいのだが、彼女は何も言わなかったため、重々しい沈黙と冷たい視線が僕の胸をぐさりと突き刺してくる。
「あ、うん。昨日お会いましたよね? 今思い出しました……」
「はぁ…………」
もはやそれは手遅れと言うか、もう少しまともなフォローをしてほしいところ。
「お兄ちゃん。202号室の霧ヶ峰さんですよね?」
その重い空気をぶち破ってくれるかのように、糸佳が僕らの方へ近づいてきた。これまでの様子を見ていたのか見ていなかったのか、糸佳のただただにっこりとした笑顔は、何事もなかったかのように僕と霧ヶ峰さんを包み込んでくれる。
「あ……う、うん。と、とりあえず、帰るか」
「はいですお兄ちゃん! あ、その前に歓迎会の買い物していっていいですか?」
「おう。霧ヶ峰さんも手伝ってくれるかな?」
「あ、は、はい。わかりました……」
霧ヶ峰さんの顔もややまだ引きつっていた。でもそれはどちらかというと僕の心情の方だよね!?……と、言いたいことは山ほどあったが、ひとまず言わないことにしておく。今更どうこうしたところで、状況が好転する見込みはまったくない。
「で、糸佳。今日の歓迎会の献立は何にするんだ?」
「オーソドックスにカレーかな?と」
「あ、いいね。カレー」
「ですです! カレーでいいですよね?」
「ああ。今日はカレーって気分だ……」
正確には自棄糞の気分なのだが。
「ところでお兄ちゃん、一つ確認したいことがあるのですが……」
糸佳は愛くるしい瞳で僕の方を見つめてくる。
実の妹ではないにせよ、この顔の糸佳はやはり可愛く思えてくる。
「なんだ? 糸佳?」
「それでお兄ちゃんは、昨日霧ヶ峰さんをナンパしてたんですか?」
が、やはりそれは見間違えだったようだ。
胸がきゅんとなるような笑顔と冷たく突き刺すような視線で、僕を見つめてきた。
案の定とも言うべきか、まったくなんなのだろうかこの状況は。
ひとまず、前途多難の様相である。
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