二重人格美少女が零す笑み
チロルハイムの重い鍵
翌朝、糸佳と僕は学校へ向かう直前、父と母に別れの挨拶をした。
……別れと言っても、両親が都内に引っ越すだけだし、電車を一時間ほど乗り継げば両親の住むマンションにたどり着く。あくまでここ、チロルハイムを僕と糸佳で任されるだけ。なのでそんな感慨深いものなど一ミリも存在しなかったわけだが。
「じゃ〜優一くん、ここ任せたわよ?」
チロルハイムの鍵を手渡してくる文香。その鍵からはずっしりとした重さが伝わってくる。
「糸佳もお兄ちゃんと仲良くね?」
「はいです! ここチロルハイムはイトカとお兄ちゃんに任されました!」
糸佳は春の朝の日に相応しい、そんな受け答えをして見せている。なんとも頼もしい妹だ。……まぁ実際僕にしてみたら、糸佳はやはりクラスメイトであって、どうにも妹と呼ぶにはやはり違和感があるのも事実だけど。
「あと優一くん、真奈海ちゃんのこともしっかり頼んだわよ?」
「え、真奈海??」
「真奈海ちゃんと何があったか知らないけど、あの子をあのまま放置ってわけにもいかないでしょ?」
「ええ……まぁ……」
昨晩の大量お好み焼き投下事件といい、さらには女優休業宣言までしているらしいのだ。こうなってしまった一因はやはり僕にもあるわけで――
「優一くんは否定するかもしれないけど、優一くんは真奈海ちゃんに大きな影響を与えることのできる貴重な存在なのよ」
「僕が……ですか? さすがにそれは何かの買いかぶり過ぎでは?」
「……私は事務所の社長としてそれを咎めるつもりはないし、優一くんの存在はむしろ真奈海ちゃんにはプラスになりうるとも思ってる」
「…………」
「でも、それならそれなりの責任を優一くんにも果たしてほしいなって」
文香は大人の笑みを浮かべている。その不敵な笑顔は僕に逃げ道を与えてくれない。だけど僕は俯きながら、その返事をすることに躊躇してしまう。
「それと優一。202号室の新入りさんのこともしっかり頼むな」
「……って父さん。それも僕なの?」
と、そこへすかさず龍太も口を挟んできた。
「お前が今日からチロルハイムの管理人だ。だから当然だろ」
「そういう理由で僕なんだね……糸佳じゃなくて」
いやいや。女子寮の住民の面倒だったら女子同士、僕なんかよりも糸佳の方が適任だよね!? ところが龍太の眼力は僕にそう反論させる隙も与えてくれなかった。普段無口なくせにこういう時に限って龍太は恐ろしくも父親らしい振る舞いをしてくる。とはいえ、猛烈に不条理じゃないだろうかそれって。
そもそも女子寮の管理人って、何をするのが本来の仕事なんだろうか? 少なくとも健全たる男子高校生のお仕事じゃないように思えるのは気のせいじゃないよね!??
「と、とりあえず、そろそろ学校行くわ……」
「はいですお兄ちゃん。早く出発しないと遅刻ですよ!?」
「んじゃ〜元気でね。何かあったら連絡しなさいよ〜!」
僕は逃げるように糸佳と一緒に学校へ向かうことにした。文香さんの優しい声がそれに応えてくれる。優しい声ではあるけど、突き刺してくる視線は全然優しいものではなかった。
僕と糸佳、そして真奈海の通う高校は、チロルハイムから歩いて十分ほどの場所にある。チロルハイムを出たすぐ後に少しだけ上り坂を歩くが、その後はずっと平坦な住宅街。その先にある大通りの向こう側に見えてくるのが高校の入口だ。
真奈海だけは、僕と糸佳が出発するおよそ十五分前にチロルハイムを出発していた。理由は他の生徒と登校時間をずらすため。真奈海はテレビとは違うポニーテール姿、且つ黒縁メガネを付けて通っているため、案外学校内でもそれが春日瑠海だと気づかない人もいるらしい。ただし、春日瑠海がこの高校に通っているという話だけは、周知の事実となってしまっている。それ故に、なるべく目立たないように真奈海も心がけているようだ。
でも実際はそのポニーテール姿が、瑠海とは別の魅力を際立たせてしまっている。むしろ目立っているように感じるのは僕の気のせい……ではないだろう。それは女優春日瑠海ではなく、女子高生春日真奈海の本来の姿なのかもしれないが。
ただそれだけは……僕は、少しだけ得している気分になる。
本当の意味での天然モノ、春日真奈海を眺めているような気がして――
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