手狭な部屋と自分の居場所

 去年まで糸佳と僕はすぐ隣の家に住んでいた。言い方を変えるなら、幼馴染という仲だったと言っても差し支えないだろう。元々家族ぐるみの付き合いで、お互いの両親ともに仕事が忙しかったということもあり、子育ての相談を相互にしていたこともあるという。

 糸佳の両親は芸能事務所を経営していて、僕が小さい頃は糸佳の家族がやや華々しいものに見えたこともあった。それとは逆に、僕の父は大手機械メーカーのプログラマ、母親は学校の先生という、どこにでもありそうな家族の光景。至って平凡な毎日に、糸佳のことを少し羨ましく思ったこともあったくらいだ。


 そこに変化が現れたのが、僕らが小学六年の頃。夏の暑い日、芸能事務所の社長を務めていた糸佳の父親が持病のため急死した。そしてそれから間もなく、僕の母も病気がちになり、僕が中学二年の春頃にその母が亡くなった。

 お互い片親を亡くし、糸佳と僕は互いに相談しあうことも多くなった。僕は母の代わりに料理をしようと糸佳のところへ料理を習いに行くこともあれば、父を失った糸佳も家の力仕事を僕のところへ依頼しに来たこともあった。


 互いに助け合い、家も隣同士だった僕と糸佳の距離は、徐々に縮まっていく。ところがそれは親同士も同じだったらしい。中三の夏頃にもなると僕と父親は自分の家に帰らず、糸佳の父が遺したこの『チロルハイム』で寝泊まりする回数も増えていった。


 そしていつのまにか、『チロルハイム』の居候となってしまった僕と父。

 それから、父と糸佳の母親が再婚したのが去年の初夏のこと。


 その両親、つまり僕の父と糸佳の母がここを出ていくとはどういうことだろうか?


「親父たち、ここ、出ていくのか?」

「はいです! なんでも『部屋が手狭になった』とかなんとか言ってました」


 今度は自分の分のコーヒーを淹れながら、糸佳はどこか嬉しそうにそう答える。

 一体何がどうしたらそう前向きになれるのか、僕には理解ができそうもない。


「いやちょっと待て。『手狭』というより、二部屋も空いてるじゃね〜か」

「いいえ〜。明日新しい人が来るので、正確には一部屋しか空いていません!」


 糸佳はいかにも、お兄ちゃんそんなことも理解できてないんですか〜とか言いたそうな顔で、僕の方を得意げに見ている。それはそれで非常に間違ってると思うのだが。

 事実、現在『チロルハイム』の利用者とも言える人物は201号室にしかいない。その他の部屋はと言うと、両親が管理人室を利用している以外は、僕が101号室に居座り、糸佳が203号室を利用している。全部で四部屋という小さな『チロルハイム』であっても、202号室は誰も使用していない完全なる空き部屋だ。手狭だというなら、202号室を使えばいいんじゃないだろうか。


「あと『ここってちょっとだけ都心から遠いのよね〜』とかも、母言ってました」

「いや、『手狭』とか実はあまり関係なくて、むしろそっちが本当の理由だよね?」

「なので、お兄ちゃんは明日には管理人室へ引っ越してくださいだそうです!」

「なにそれ。僕の意向が完全無視されてる決定事項!??」


 その顔、明らかに糸佳は楽しんでいる。隠しきれない笑みを浮かべながら、自分で淹れたばかりの熱々のコーヒーを、少しずつ口の方へ運んでいた。

 何を企んでいるのかいまひとつぴんとこないけど、正直嫌な予感しかしない。


「お兄ちゃんが管理人室に行けば、みんなが自由に管理人室を使えます!」


 あ、なんかこいつちょっと口走りやがった。


「…………それは一体どういう意味だ?」

「だってあんな広い部屋、お兄ちゃん一人で使うのは勿体ないですし……」


 などと糸佳はぼそっととんでもないことを言ってくる。

 嫌な予感は見事なまでに的中していたようだ……。


「管理人室、みんなで使えば怖くない!

 ……って僕のプライバシーはどこ行った〜!?」


 そもそもの問題、僕が女子寮の管理人ってことか!?

 それって本当に許される話でいいのだろうか?


 僕は人生で初めて、家出したい気持ちで一杯になる。なぜなら住民が住民なだけに、僕が管理人とか務まる気がしないのだ。コーヒーがいつもより苦いのを感じながら、この先の人生について改めて考え直すことにした。


 ――無理じゃね?

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