女子寮『チロルハイム』

 僕がカウンター席に座ると、糸佳は頼んでもいないコーヒーをせっせと用意して、僕の手元に差し出してきた。コーヒー豆は予め挽いてあったらしく、後はドリップするだけだったようだ。誰が見ても真面目な女子という印象の糸佳は、僕であればめんどくさそうに思えることでも淡々とこなしてしまう器用さを持っていた。


「お兄ちゃん。さっき新しい入居者の方が見えてましたよ?」


 コーヒーを戴く僕の姿をじっと見つめながら、糸佳はそう切り出してきた。

 女子の中でもかなり高めの声。時々どこからそんな声が出るのだろうと思ってしまう。


「あ、そうなんだ……。今日引っ越してくるのか?」

「いいえ。母の話だと、明日ここに引っ越してくるそうです」

「そっか。じゃあ〜、明日は歓迎パーティーしないとな」

「はいです! 今日この店の時間が終わったら、早速買い出しに行ってきますね!」

「……でも、新しい人が来るのは明日なんだろ? 明日でもよくないか?」

「いいえ。今日はうちらの両親の送別会です!」

「…………はぁ???」


 実はこの喫茶店『チロル』には、もう一つの別の顔があった。

 喫茶店『チロル』の営業時間は、午後十三時から十八時まで。ただし、営業時間外はこの店が別の顔として、大活躍しているのだ。ここから先の話は公にされている話ではないのだが、喫茶店『チロル』の厨房の奥に、小さなドアが設置されている。そこが僕や糸佳の住む学生寮『チロルハイム』の入口で、その奥が玄関になっている。ここ喫茶店『チロル』は、その学生寮の共有食堂となっていた。朝食と夕食はその住民が集い、ここで食事をしている。


 ただ一つ事情が特殊なのは、この学生寮は公にされていないという点。ここから歩いて十分くらいの場所にある青川大学付属坂見原中学高等学校の学生寮であることには間違えないのだが、実際学校に行ってみても、そのような学生寮が存在することはどこにも書いていない。誰が住んでいるのかも知らされていなければ、学生寮の存在そのものが非公開となっている。

 それというのもここに住む学生は、やや特殊な事情を持った女子しかいないということ。つまりここは女子寮。それもワケアリの女子しか生活したことがないのだ。元々は糸佳の実の父が芸能事務所の社長をしていた頃、所属若手タレントのために建てた寮だったはずなのだが、そもそも所属タレント自体が少なかった芸能事務所であったが故、ほとんど使用されることがなかった。それでは勿体ないということで、当時すぐ隣の家に住んでいた僕の実の母が相談を受け、母は勤め先であった青川大学付属坂見原中学高等学校へ相談する。そうした結果が、このように少し特殊な女子寮へとなってしまったわけだ。


 そんな女子寮に、どうして僕のような健全な男子が住んでいるかと言うと……

 自分でもその理由はもはやよくわからなくなってきている。

 上に書いたように、完全に成り行きとしか言いようがないのだが……。


 稀にクラスメイトの男子に『お前の家って何処なんだ?』と聞かれても、うまくはぐらかして適当なことを言う以外手段がないという点が一番困っている。まさか国民的女優と同居してるなんてことが……。


 実際チロルハイムには、そんな超有名な女優様も住んでたりするわけで――

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