用務員
白地図の出来具合は半分くらいだった。ぼくはいすに正座で授業を受けている。晃は女子の手伝いのおかげで宿題の白地図を提出した。手伝いがいなければあいつも正座だったのに、と心でののしった。
足を片足ずつ女座りのように崩しては、正座したりを繰り返した。五十分も正座はむりだ。いすに防災頭巾を敷いているのでまだいいが、これがなかったら完全に痛みとの戦いだろう。
あと二十分の辛抱である。放課後、居残りで白地図を仕上げないとならない。でもこれで母への歯医者の口実が出来た。どっちも嫌だけど、白地図が勝った。たぶん歯医者があることを先生に話せば居残りはないはずだが、歯医者へ行きたくないので黙っている。
社会の授業はつまらない。日本の地図もわからないのに、世界などわかるわけがなかった。国語算数理科、音楽や体育も嫌いだった。
図工はそれでも好きだ。工作や、彫刻、絵の具を使った絵はなんとも楽しい。絵は先生にほめられたこともあり、それにマンガポスタークラブに入っている。廊下を走らないこと、歯をみがきましょう、給食を残さず食べよう、体育祭の日の絵を掲示板や廊下にはったりする。クラブ員の全員がはるわけではない。そのなかでもいい作品だけだった。
「久保田、ぼーっとしてないでしっかり正座してなさい」
クスクス笑いがおきた。早く終われと時計ばかり見ていた。
あと一分だ。ぼくは心で秒読みをする。
終わると吉川先生が呼んだので、教壇の窓側にある先生の机に向かった。
「なんで一週間もあったのにやってないの、久保田だけよ。来年は中学なんだから、もっと宿題あるのよ。それにテストも何度とある。白地図は三時間もあれば十分出来るのに。きょう会議があって居残りはなしにしておくけど、明日まで自宅でやってきなさい」
先生の髪は全部後ろで束ねてあっておでこが広い。そこにしわができた。
「居残りでやりたいです」
歯医者に行けない理由を作りたかった。
「居残り? 珍しいこというね」
「それは……きょう中にやってしまいたいし、家だとゲームとかやりそうで学校がいいと思って」
宗太につきあってもらうつもりだった。
「いいこというけど、どうしちゃったの?」
いままでそんなことをいったことがないので、先生は不思議がっている。
「別に……」
ぼくはうつむき加減になった。
「そのやる気に免じて、四時半になったら帰りなさい。それでも終わらなかったら明日までよ」
「わかりました」
といい、ぼくは急いでトイレに向かう。居残りでやってしまうつもりだ。
「おーい、弘ちゃん」
宗太から声が掛かった。
「放課後にやるけど、つきあってくれるか」
「あっ、ダメだ。きょうは母さんの買い物つきあわないとならない」
「またか」
宗太と小二の妹は母と仲がよく、一緒に買い物に行く。
「そうなんだよ、ごめん」
「いいって」
宗太とトイレで小をする。そのときチャイムが鳴った。
「まずいっ」
と宗太がいい、急いでトイレを出ると走った。走るなとポスターを作ったのに自分がこうだった。
二人で教室に入ると、先生が教壇に立っていた。
「すいません、トイレで遅くなりました」
ぼくがいうと、宗太もぺこりと頭を下げた。
「仕方ないね、さっまで説教してしまったから、早く座りなさい」
ぼくはさっと席に着いた。ぼくは後ろのほうにいる宗太に振り向きニヤッとした。そして国語の教科書を出す。
宗太がつきあってくれないと、自分で地図帳を開き調べてやらないとならない。これでは居残りで終わるかわからない。一大事だ。
あと半分だったが、名も書いていないしまったくわからない。昼休みはサッカーに出ないで、白地図をやるしかないと思うと、ため息が出た。
時計を見ると四時。歯医者の時間と思ったらあくびが出た。
それでもあと三十分で終わりそうだ。なぜなら昼休みに勉強の出来る池ヶ谷を捕まえて、アメリカの州のふちを書いてもらった。
そして州の名まで入れてもらった。その代わりゲームのモンスターハンター四を貸す条件となった。こないだ買ったばかりでまだ制覇していない。ぼくでは地図を見ても時間が掛かりそうだったし、仕方なかった。あとは塗り絵をすれば終わる。
だれもいない教室でぼくはひとり机に座っている。ときおり廊下から声がしたり、ほかの学年の先生が教室をのぞいて声が掛かった。
居残りを簡単に説明すると納得して出て行った。
「よし、終わった」
時計を見ると四時二十分を過ぎた。母はスーパーのパンコーナーでのパートが四時に終わる。それからそのスーパーで買い物が日課だ。歯医者に電話するといったが忘れていればいい。
窓の外は夕日が輝きカラスの鳴き声も聞こえた。なんとなく一人で教室にいるのが寂しくなってきた。
ぼくは帰る支度をして教室を出ようとしたとき、見たことのないワイシャツ姿の男の人が入ってきた。新しい先生だったのかと頭を巡らすが記憶にはなかった。
「さようなら」
ぼくはそういい、横を抜けたとき腕を捕まれた。
「君、名前は」
「えっ、く、くぼたです」
頭は短めで小太り、目は細長く垂れ気味だが、にらまれている感じ。やはり見たことがない。
「こんな時間までなにやっていたんだ?」
「居残りで宿題をやってましたけど」
ぼくは不安感が出る。この人は先生ではないと。
「そういうことか。先生がいないので、てっきり生徒の机でもあさってたのかと、ごめんよ」
「あの……」
この男の人はなんだろう、警察かもしれない。
「なんだね」
男の顔が近づいた。
「先生ですか?」
「ハハハハ、そうだった。ごめんよ、わたしは用務員の飯田という者だよ。戸締りの見回りにね」
笑顔に変わった。
「なんだ、びっくりでした。用務員さんはもっとやせていたので」
たまに見かけるだけで、髪は長めでやせた人だった。
「まだ知らなかったよね。わたしのことは月曜の朝礼で紹介するから。前の人はちょっとわけがあってね、辞めたんだ。それでわたしが今週の月曜から宮川小に配置されたんだ。以前は駿河第二小にいたけど」
駿河第二とは、文化遺産になった三保の松原のほうで、宮川小より遠い。
「用務員さんて、突然辞めてしまうんですか?」
「いや、その人はわけがあって、まあようするに法律にそむいたことをして……生徒に知られてはよくないもんでね」
「ふーん」
いいにくそうだったので聞くのをやめる。
「まあ、気をつけて帰ってよ」
「はい、さようなら」
ぼくは教室を出た。用務員さんは窓のチェックを始めた。すべての教室を回って鍵のチェックをするとは大変だ。下駄箱で上履きからくつに履き替えた。
前の用務員さんはなにか事件でもやったかもしれない。学校のお金でも盗んだのか。
門を出ると五時のチャイムが鳴った。辺りは薄暗くなっている。ぼくはポケットに手を入れて帰ると、母に居残りと話しても怒られると思った。
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