25歳の独立リーガー

@kuro0404

25歳の独立リーガー

 エースの運転する軽自動車がやってきた。さすがのコントロールで、狭い駐車場に一発で停めてみせる。大きく「ときわ交通」とペイントされたバスからぞろぞろと同僚が降りてくるのと、ほぼそれは同時だった。


「大友さん、おはようございます!」


 若手選手から浴びせられた挨拶を、チーム最年長選手でもある背番号1は律儀に返していく。通常なら25歳くらいまでは若手で、30歳を過ぎたあたりからベテランというのが男子野球界の肌感覚である。しかし福島レイクスの年功序列筆頭はその25歳だ。


「今日で最後ですね。」


 ミーティングで自らそれを口にする。ちょうど発言の先にいた監督から用具係まで、誰もが言わないようにしていた言葉を。


「確かに独立リーグで25は若い方じゃない。ただ、野球は今しかできない選択肢だ。俺はお前なら、26のシーズンも送る価値があると思っている。」


 テレビのニュースで毎日取り上げられるプロ野球の他に、日本にはもう1つプロ野球が存在する。そのテレビの世界へ入ろうと、もがく若者達がプレーする独立リーグだ。今日の観客はざっと150人といったところか。


 返事はよく分からない目配せだけだった。プレイボールの時間が迫って、大友はグラウンドへと駆けて行く。元号が変わったらこれも変わらないかな、と淡い期待をしていた夏の暑さは2年経ってもそのままだ。


「嘘つき!プロ野球の試合に連れてってくれるって言ったじゃないか!」

「こら!やめなさい!」


 最後の最後で聞く声援がこれか。いや、声援ですらない。気まずい空気がフィールドを支配したところで、在籍7年間ですっかり上手くなった作り笑顔とファンサービスを披露する。


「こんにちは!見ててよ、プロのボール投げるから!」


 呆気に取られる少年の目の前で、豪速球が炸裂した。相手のバッターがまるで動けない。少年は手のひらを返して大喜びを始めた。スタンドが温かさを取り戻していく。


 偏差値がちょうどいいからと入学した高校は別に強くなかったし、野球部に入ったのもとりあえず部があったから競技を続けよう、という理由だ。最高成績は福島予選ベスト32。甲子園どころか東北大会の空気さえ吸っていない。


 そんな時、地元に独立リーグのチームが創設された。テストではチーム名を「福島ラーケス」と間違えたまま決意表明を言い終えたのと、まぐれと追い風と計測器のバグが重なって1球だけ受験者最速のボールを投げたのを覚えている。どう見ても自分の次に投げた山田だか山本の方が速かった。


「あ、山崎だ。」


 人生ラストゲームに心ここにあらず、で振る舞う青年をベンチは扱いづらそうにしている。試合経過が悪いなら説教の一つもできようが、ヒット1本も打たせない大活躍なのだから理屈は通せない。


 幸か不幸か入団できたチームはとんでもない場所だった。名門大学や高校でレギュラーを張っていた選手はそこら中にいて、少なくとも地元では名が轟く逸材ばかり。国語や数学の先生から野球を教わってきた大友は、どう沈もうとしても発泡スチロールのように水面から飛び出した。


 ―上手くなったなあ!


 いちばん嬉しくて、いちばん多く聞いたのはこれだ。それまで一流プレイヤー向けの練習方法など知らなかった青年には、名作ゲームよろしく効果は抜群と出る。2年目で出番を増やし、3年目で背番号1を貰った。


 先輩たちは結局、誰もテレビの世界へは上がれずユニフォームを脱いでいる。独立リーグの中でも強弱はあって、夢という1文字を多用しがちなレイクスがそれを叶えた例はまだない。


「7年間ありがとうございました。」


 とうとう相手チームに1点も取らせず花道を飾った大友はいつものようにヒーローインタビューをこなす。素朴な受け答えが一部の熱狂的ファン、要するにマニアに人気の理由である。夕方から行われた祝宴でも涙や嗚咽は見られなかった。


 ―ゴゴゴゴゴ。


 フォークリフトが鉄骨を運んでいく。福島県の東端に建つ大きな倉庫の中を、10月から正社員になった大友が働き回る。試合が開催されるシーズンが終わると、独立リーガーは無給になる。そこでスポンサーや関係者のつてを頼って、季節労働で生活費やトレーニング費を稼ぐのだ。ルーキー時代から毎年ここに来ていた彼はすっかり馴染んでおり、今さらだからと入社式も歓迎会も行われなかった。


「俺は上で通用すると思うんだよなあ、大友は。」


 社長の村田はおはようやお疲れ様よりも大友待望論を多用した。同じ倉庫で汗にまみれる副社長であったり、時にはパートのおばさんだったりに止められるまで続くのはもはや様式美と呼ばれている。


「通用しないと周囲が判断して、そして自分も同じ考えでしたから。それに、僕はもう来年で26歳ですよ。」


 ほんの気まぐれだった。いつも、村田の熱い話を涼しげに流すのも仕事の1つになりつつあった。今日はたまたま、まだ使っていない聞き流しワードを試してみただけ。しかし温度は先程までと同じながら、フォークリフトに届く熱気の質が変わったのに気づき振り返った。


「今は25歳だ。」

「ええ、ですから来年で26歳だと・・・」

「関係ねえ。今は25だ。」


 少し間があった後に、これだけは覚えていろと言わんばかりに社長は締めくくった。


「お前がこれからどんなに落ちぶれても、今ある価値がなかったことにはならない。でも、今しか持てない価値もある。それを自分から安売りするなよ。」


 さっぱり意味が分からなかったので聞き返そうとしたが、村田はもう汚れた作業着が似合うおじさんに戻っていた。


 ―ポーン。ポーン。


 ボールが夜7時の青黒い空を裂く。年代物のライトに照らされたボールはひどく白飛びして見づらく、そのせいで独立リーグはナイトゲームをやりたがらない。


「今でもまだ1番速いんじゃないですか?」

「サラリーマンに負けるようじゃ来年も最下位だろ。大丈夫か。」


 新生・福島レイクスに苦笑いが広がる。オフシーズンではあるが、週末や夜間には参加可能な選手が集まって練習は行われるのだ。ちなみに今日はキャッチャーが居酒屋のバイトで休み、センターが突貫工事のため1時間遅れてきた。さすがに部外者がいつまでも居座るのは気が引けたので早めにグラウンドを去る。


「こんばんは!」


 練習場がある運動公園の出口近くで、突然子供らしき影に声をかけられた。驚き終わりもしないうちに、隣にいた大きな影が続いて喋り出す。


「すみません。引退されたと聞いたのですが、こんな時間まで練習を?」


 さすがの好青年も、公開練習でもない日に勝手に来て失礼な質問を寄越した親子には腹が立った。仕返しに、昼間の格言もどきで対処してやろうと考えつく。


「ええ。まだ25歳ですから。今が、これからの人生でいちばん若い時ですし。」


 暗がりではぽかんとしたか、いやさせられたかも判然としないが気は済んだ。一応、ぺこりと頭を下げて今度こそ帰路につく。明日も早朝からフォークリフトが待っている。


 ―止めろ!止めろ!


 作業場に社長が飛び込んできて、止めろや止まれを繰り返してぐるぐる走る。言われなくても、こんな人が出現して止まらない奴はいないだろう。


 全員が休憩室に集められる。遂に倒産ですかと聞いた者もいたが、すっかり事業主から村田のおじさんに戻った様子の社長は首を振った。ブーンとしばらく唸っていた古いテレビがようやく映像を表示する。


「ええと・・・この選手は誰でしょうか?」


 テレビの世界は、短気な若者やお喋りな主婦ばかりの休憩室よりずっと困惑していた。


「繰り返します。ほぼ終了したかに思われたドラフト会議ですが、最後の最後に仙台フェニックスが投手を1名指名しました。大友貴広、所属チームは現在なしとなっています。あっ、ここでフェニックス編成部のインタビューが入ってきました。」


 青山チーフスカウトという名前と肩書は初めて知った。大友の中で彼はずっと、こら!の人でしかなかったから。そういえばあの大きな影、まるで引退後にスカウトへ転身したアスリートのような大きな影も同じ声をしていた。


 他のチームと奪い合いになる恐れの低い、言ってしまえば注目度のない選手が最後の方で指名されるのは毎年ある。ドラフト会議場がはいそうですか、じゃあエンディングに移りますねと冷め行くのと反比例して休憩室は灼熱を帯びた。


「社長。」


 知らない人が見たら間違いなく倒産ショックだと断定されそうな大騒動の中で、火付け役と目を合わせる。後日、ローカル紙に掲載された文章とインタビューを時系列順に並べるとこんな流れだった。


 ―予定外の移籍が相次ぎ、即戦力の補強が急務でした。しかし殆どの選手は進路が決まっている時期で、これが最後だと視察した試合にも大した選手は見当たりません。途方に暮れていたら、しばらく前に家族サービスのつもりで行った独立リーグの試合で投げていた彼を思い出しました。たまたま視察先と福島レイクスの練習場が近かったので。


「面接の時間がなかったので、失礼だとは知りつつその日の夜に練習場を訪ねて彼に声をかけました。引退したと聞かされていましたが、彼はトレーニングを続けていたんです。他の選手より重ねた年齢の分、非常にユニークな考えを持てる人物でした。これなら問題ないだろうと。」


 ―どうしても目を離せなかったので、子供を連れて行ったんです。つい「あのお兄さん、凄い人だと思う?」と聞きました。すぐに「うん!」と返してきました。変な話ですが、それが決定打かもしれません。


 村田社長は親指を立てて、真剣な顔で大友を見つめ返した。すぐ、砕けた笑顔の村田のおじさんに戻っていく。まだ今日の仕事は残っていた。テレビの世界から取材が来る前に、フォークリフトで電線と鉄骨の出荷準備をしなくては。

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