小さく意外な救世主

新巻へもん

見えない敵と見知らぬ敵

 2019年の年末に中国武漢に端を発したウィルス性疾患は当初はそれほど深刻な事態にはならないだろうと楽観視されていた。しかし、2020年になってもその勢いは衰えることをしらず、瞬く間に世界中に広がっていく。一つの国で小康状態になっても別の国で感染爆発が起き、そこからまた逆輸入される。そんなイタチごっこのような状況が世界レベルで展開された。


 感染の封じ込めのために各国政府は感染が増加している地域に強権を発動する。国家体制などにより多少の違いはあったが、人々は外出を厳しく制限された。食料品などの必要不可欠な買い物以外は外出を禁止。外出をする際は一世帯につき一人だけと制限された。


 娯楽施設や飲食店など人が集まって接触する場所については営業停止となる。プロスポーツの試合も中止。野球、サッカー、バスケットボール、ラグビーなどなど。中には無観客試合を実施するところもあったが、選手にも感染が広がるにつれて、そのような動きも消えていった。


 学校も休校となり子供たちは家に閉じ込められて不満を募らせる。別に勉強はそれほど好きでなくても外には出たいし、友達と机に腰掛けて他愛もないおしゃべりをしたい。注いで時間の経ったコーラのような気の抜けた担任の寒いジョークですら懐かしく感じられるようになった。


 勤務先に顔を出すのが当たり前という職場の習慣も一掃される。事務職種を中心にオンライン回線を通じたテレワークが一般的になった。これは両極端な反応を生み出すこととなる。無駄な打ち合わせが減ったと喜ぶ人もいれば、顔が見えるインフォーマルコミュニケーションが減ったことにより人間関係がぎくしゃくするケースもあった。


 インフルエンザに罹患しようが出勤を命じる極東の島国のブラック企業も、這ってでも仕事に行かなくてはという社畜も新型コロナウィルスには敵わない。さすがは新型である。本人たちが旧来の行動を取ろうと思っても世間が許してはくれないのだった。


 3月末までだった行動制限が、4月中旬まで、5月までと順次ずるずると延長される。梅雨の時期を迎えても、終息したように見えてはまた患者が増えるが繰り返され、ついには夏を迎えることとなってしまった。もちろん、海、プール、花火大会、夏の風物詩はすべて禁止される。


 長期戦になるにつれて、各方面から悲鳴が上がるようになった。特に小学生の子供を持つ母親の心労は限界を迎えていた。夏休みの1か月でもお昼を作るのが苦痛という声が上がるくらいなのにその数倍の期間、食事を作って食べさせなくてはならないのだ。政府は休業補償や所得補償は行っても、そこまでは手が回らなかった。


 最初は授業が無くなると喜んでいた児童生徒もだんだん表情が消えていった。親と四六時中顔を合わせているのが辛い年頃であったし、自分でやらなければ学習についていけなくなるということが段々わかってきたためである。教室に詰め込まれて嫌々授業を受けているだけでも少しは身についていたということを痛感する。


 職場で今までパソコンを使えなくてもなんとか声の大きさで誤魔化してきた中高年社員は悲惨だった。老眼が始まった目には小さすぎるモバイルPCの画面とにらめっこをしながら、二本の指でキーボードを操作しなければならない。自宅にはそういったことを押し付ける若手職員はいなかったからである。


 もちろん、開店休業を余儀なくされたサービス業の経営者や、雇用調整の対象となった人々の辛さは筆舌尽くしがたい。終わりが見えていればまだ耐えられる。しかし、いつ終わるか分からないなかで自宅にひたすら引きこもる生活は心身を蝕んでいった。


 こうして、全人類は早くコロナ禍が終焉を迎え、以前の日常生活が戻ってくることを熱望した。そして、極小のウィルスを心の底から憎み恨んだ。半分生物であり、半分無生物でもあるコロナウィルスにはもちろん意識など無い。しかし、もし意識があり、地球から20光年ほど離れた惑星での出来事を知っていたら、恩知らずとでも思ったかもしれない。


 ***


「閣下。こちらをご覧ください。我が帝国が奴隷獲得のため偵察に送り出した監視衛星からの映像です」

 空中に浮かぶ青い球体を指し示しながら、ひょろりとした体形の知的生命体がメタリックな張り出した頭部を振り立てて説明を始める。


「この星の住民の文明レベルは準宇宙進出レベル。恒星系内になんとか足跡を残せる程度で、我らの手足としてこき使うにはちょうど良い頃合いです。教育の手間が省けますが、一方では我らに反乱を起こしても容易に鎮圧できます」


 上司の顔に不快の線が浮かぶ。いくつものギザギザの歯をむき出しにして、そんな初歩的な説明は不要だと一喝され説明者は慌てて続けた。

「奴らは都市に密集して暮らしています。数も潤沢です。酷使して死んでも問題ありません。では地上の様子に切り替えます」


 青い星の姿がふっと消え、原始的な数階建ての建物の間の路上の様子が写し出された。ガチャリ。上司の歯が噛み合わされる。説明者は手を振って別の地点を映し出した。以前見たときは池の傍にうじゃうじゃ居た生物が全く居ない。次から次へと切り替えるがどこにもこの星の知的生命体は表示されなかった。


「ま、まあ、準知的生命体がいないにしても、酸素水素化合物は潤沢で……」

 しゃべりかけた部下の目の前の床を上司の太く長い尻尾が打った。

「星などいくらでもある! 必要なのは生産活動用の奴隷だっ! このようなくだらぬものを見せるために貴重な時間を無駄にしおって。貴様は降格だ」


 上司は床すれすれを浮揚しながら部屋を出ていき、偉大なる銀河系屈指の帝国の新たな奴隷の獲得計画はとん挫したのだった。説明者は悄然としながら監視衛星へ帰還命令を出す。そして、空中に浮かぶ映像を消す前に青い星ガンドリン3へ頭頂部付近から突き出た目を向けた。


 もちろん、説明者はこの星の原始的な生命体の言語など興味はなく、その星の住民が自分たちの星を地球と呼んでいることも、ウイルス性疾患のために外出できずに呻吟していることなども知る由もないのだった。



 

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