灰色の街に流れた鎮魂歌
揣 仁希(低浮上)
灰色の歌
街から人が消えてどれくらい経っただろう。
一頃は夜になれば人が溢れていた繁華街も今はひっそりと静まり返っている。
数ヶ月前に貼り出された貼り紙が風に揺られ寂しそうな音を立てていた。
昼も夜もこの街で誰かに会うこと自体が難しくなった。
決して人がいなくなったわけではないのは、部屋から漏れている明かりが証明している。
今日もこうして歩いていて出会うのは無機質なロボットだけだ。
都市封鎖が始まり急速に普及したAIロボットは一時のドローンの様に瞬く間に世界中に広まった。
AIロボットは食糧の生産から宅配など生活に必要なほぼ全てを代行してくれる。
脅威が過ぎ封鎖が解除された今、果たしてこの現状が正解なのかどうかわからないが、家から出ることもなく閉じこもった人々にとってはある意味救世主だろう。
明け方の住宅街を、深夜のかつての繁華街を、走るそれをみて、僕は小さくため息をつく。
僕の様にこうして出歩いている者は一握りだ。
時折、出会う人も一定の距離を保ったまま近づいてくることはない。
僕にしても別に街を徘徊する必要などどこにもないのだけれど、それでも僕はこうして今日も夜の街にでる。
パラパラと降り出した雨が本降りになり、僕は駅の高架で雨宿りをしていた。
明滅する電灯に反射した雨粒はキラキラと光りながら地面に当たり砕ける。
僕はぼんやりと何をするでもなくそんな光景を眺めていた。
『オリンピック開催まであと78日』で止まったままの商店街のボードが傾いて今にも落ちそうになっている。
駅のホームに留まったままの電車はきっともう走ることはないのだろう。
ここから見える景色は全部が灰色に見える。
つい最近まで色とりどりに見えていた同じ景色なのに。
雨が小降りになり、僕は水たまりを避けながら帰路につく。
水滴が落ちる音しかしない世界で、それが聴こえてきたのはそんな時だった。
始めは空耳かと思ったが、確かに僕の耳に微かに聞こえる誰かの歌声。
僕は小雨の中、じっと耳を澄ましてその声を探した。
誰もいない街のどこかで誰かが歌っている。
僕でも知っているこの歌は確か……
賛美歌であり鎮魂の歌。
僕は小雨の中、人気のない通りを歩いていく。
ショーウィンドウのマネキンが僕を見て首を傾げている。
売り切れのランプが全て点いた自販機が物欲しそうに佇んでいる。
変わらず水滴がコンクリートに跳ね返る音に消されそうになりながら、僕に届く微かな歌声。
歩く者のいない歩行者天国の真ん中で歌声を感じたのだろうか?AIロボットが雨に打たれながら辺りを見渡している。
……もちろんそんなはずもなく、ロボットは機械音を鳴らし路地へと消えていった。
ふと気づけば、歌声は聞こえなくなっていた。
雨はまた次第に激しさを増し、僕を断罪するかの様に叩きつける。
早く帰れと、急かす様に。
翌日、部屋から見える空には虹が架かっていた。
僕の住むこの国では虹は7色に見えるらしい。
2色にしか見えない人も8色まで見えると言う人も世界にはいると何かの本で見たことを思い出した。
今、この虹を見ている人には一体何色に見えているのだろうか?
7色に……鮮やかに見えているのだろうか?
2色の質素なものに見えているだろうか?
雨上がりの街はいつもと少し違う匂いがした。
変わらず、誰もいない街は昨日よりずっと静かにそこにある。
僕の歩く靴音だけがやけに大きく感じる。
季節的にはまだ夏だというのに冷んやりとした空気が肌を刺し、僕は両手で身体を抱きしめた。
ホームの電車は今日も留まったまま。
見える景色も何一つ変わったところはない。
僕は錆びて茶色になったフェンスに身体を預けて空に浮かぶ月を眺める。
そう言えば月にウサギがいる様に見えるのはこの国とお隣くらいだったか。
とても僕には見えやしないけど。
月が雲に隠れた頃、僕は来た道を戻る。
耳の奥には昨日の歌声が残っている様な気がして時折振り返りながら。
気づけば僕も呟くように歌っていた。
ああ、そうか。
きっと昨日の誰かも同じだったんじゃないだろうか。
こうして誰もいない街で誰かを思いながら、何かを思いながら歌って。
そう思うと自然と笑みが溢れた。
いつか、その誰かと一緒に歌うことが出来るだろう。
今日は会えなかったけど、きっと今僕がこうして歌っている歌声は違う誰かに届いている。
明日は違う誰かが僕を探して夜の街に繰り出すかもしれない。
明後日はまた違う誰かが。
僕は群青が過ぎていく空を見上げ思う。
僕らはひとりじゃない。と。
灰色の街に流れた鎮魂歌 揣 仁希(低浮上) @hakariniki
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