尼子の柱石

 

 ・貞吉二年(1544年) 十月  出雲国意宇郡 月山富田城下 山中屋敷  立原幸綱



 茶室の中に湯の沸く音が響く。

 秋の空は高く、さらりとした心地よい風が障子の外から吹き込んでくる。

 まことに良い天気だ。叶うならば我が心の内もこのように晴々として欲しい物だが……。


「結構な茶であった。しかして大蔵(山中貞幸)、一体此度は何の用だ。まさか隠居したお主がただ茶を振舞う為に我らを集めたわけではあるまい」


 茶室に座る紀伊守殿(尼子国久)が茶碗を置いて大蔵殿に向き直る。ご子息の式部殿(尼子誠久)も不審な顔をしている。

 茶室の中には大蔵殿と儂、そして新宮党のお二方に加えて山中家現当主の三河守殿(山中満幸)が座っている。

 確かにこの面子が集まってただ茶を飲むだけなどということはあるまいな。


「それは、こちらの佐渡守殿(立原幸綱)からお話した方が良いかと」


 大蔵殿に促され、一座の視線が儂に集まる。

 やれやれ、やはりこうなるか。気が重いのぅ。


「……先日、倅が尋常ならざる報せを寄越して参りました。御屋形様(尼子詮久)が新宮党許し難しとこぼされていたとか」

「なに!? 倅とは、次男の源太(立原久綱)か?」

「いかにも。ご存知の通り源太は御屋形様のお小姓としてお側に仕えておりますが、先日お茶をお持ちしようとした折、そういった独り言が漏れ聞こえて来たと。

 源太がお声を掛けると口を噤み、その後は何も申されなかったそうですが、その御顔はいささかお疲れのご様子であったとか」

「馬鹿な……一体何の咎で……」


 紀伊守殿の顔に戸惑いの色が浮かぶ。

 まるで心当たりがないか。


「世上の噂では、新宮党は御屋形様を侮り、尼子の実権を握らんと画策しているなどと申されております。その噂が御耳に届いた物と思いますが?」

「そんな馬鹿な! 儂はそのようなつもりは毛頭ない! 亡き父上(尼子経久)の遺言に従い、御屋形様と尼子家を盛り立ててゆくことのみを考えているのだ」

「あなた様がどう思われているかではなく、御屋形様がどう受け止められているか、が重要でしょう。大内と和睦した折には式部殿が御屋形様を『臆病者』と罵ったという噂もあります」

「そ、それは誤解だ。某はただ『武功の機会を失ったことは残念だ』と愚痴をこぼした程度で……」


 全員の視線を受けて式部殿が慌てて否定する。

 まあ、この御仁のことだ。勢いに任せて相当な悪口を言ったことは想像に難くない。もしかすると『臆病者』と罵ったことは事実かもしれん。

 だが、この様子ではそれを根に持ってあちこちで吹聴しているというのは誤りのようだな。


「紀伊守殿、どうか落ち着いてくだされ」


 驚きのあまり立ち上がっていた紀伊守殿だが、大蔵殿の一声でどっかと座った。

 納得が行かんのだろうな。


「そもそも、我ら新宮党は御屋形様に盾突こうなどと毛ほども思っておらぬ。軍令にも従っておる。何故御屋形様がそのように仰せになるのか、訳が分からぬ」

「御屋形様はご自身を不甲斐ないと思っておいでなのでしょう。亡き先代様は尼子家を一代で富強にされましたが、御屋形様が後を継いでからの尼子家は連戦連敗。充分な武威を得られておりませぬ。

 それに引き換え、新宮党は伯耆から備後や美作の城を落として武功を重ねております」

「大蔵、それは違うぞ。そもそも毛利との戦は米を得るために必要な物であった。確かに損害も出たが、あの一戦があったからこそ畿内から戻った兵が飢えずに済んだのも事実。

 それに、その後石見銀山を守り抜いたからこそ、六角と手を結ぶことが出来た。潤沢な米を得ることができるようになった。確かに石見銀山を守る為に我が方も相当な犠牲を出したが、六角が仲介したことで大内とて強いて尼子を討つことは出来なくなった。それらが無ければ、我ら新宮党が美作へ攻め入ることも難しかったであろう。

 確かに鮮やかな勝ちは無いが、儂は御屋形様の手腕はなかなかの物と思うておるし、それは倅にも何度も言い聞かせておる」


 ふむ。

 激しい性格だが、裏表のない御方のことゆえ嘘ではあるまい。まあ、本当に新宮党が御屋形様に謀叛を企てている素振りがあるのならば、そもそも大蔵殿がこのような席を設けることも無かったであろうしな。


「紀伊守殿が戸惑うのも分かり申す。某とて此度の御屋形様の申されようを佐渡守殿から聞いて驚き入りました。ですが、御屋形様にも焦りがあるのでございましょう」

「焦り……?」

「左様。ご先代様は真の傑物であられた。その後を継いだ御屋形様の重圧は想像を絶する。とりわけ、美作にまで勢力を伸ばす新宮党の武威を見れば、塩治の事(塩治興久、尼子経久の三男だが経久に反旗を翻した)が頭をよぎったとしても不思議ではない」


 紀伊守殿が押し黙る。

 塩治の弟君の反乱は紀伊守殿としても痛恨の極みであったに違いない。だが、当時と今とでは状況が違う。


 当時は儂もまだ若く、何故塩治殿が反乱を起こすのかなどと思っておったが、今ならばわかる。

 塩治殿もまた辛かったのだ。出雲の国衆は連年に渡る戦に疲れ果てていた。それらの国衆に報いねばならぬと考えたからこそ、塩治殿は原手郡の所領を望んだのだ。


 出雲は決して物成りの悪い土地ではないが、さりとて毎年兵を起こせる程豊かな土地でもない。その出雲の中でも原手郡は物成りの豊かな良い土地だ。

 先代様が一代で尼子家を中国の雄に押し上げる裏には相当な無理があった。周囲を敵に囲まれ、内にはいつ背くか分からぬ国衆を抱え、寸時たりとも立ち止まることを許されなかった。

 出雲をまとめるには外に敵を作り、団結して戦い続けるしかない。だが、塩治殿はそうした戦いの中で疲弊して行く国衆を見ておれなかったのであろう。


 先代様も先代様で、そうした塩治殿のお気持ちが分からなかったはずは無い。だが、塩治殿の願いを聞き届けることは出来なかった。何故なら、先代様も米の確保には頭を悩ませていたからだ。


 塩治殿の反乱の後に先代様が石見銀山に目を付けたのは、戦では無く交易によって足りぬ米を得る狙いがあったのだろう。

 そして、六角との取引によって尼子の悲願であった潤沢な兵糧を得ることができるようになった。


 石見の銀と出雲の鉄によって米を得る道を開いた御屋形様の手腕は、ここにいる誰もが知るところだ。


 ……問題は、御屋形様ご自身がそれを自らの武功とお認めになっていないことだ。

 ご自分に自信が無い故に新宮党の武功にも危機感を持たれるのだろう。


「そこで、この老いぼれから一つご提案がございます」

「提案とは?」

「それは……」


 ”失礼いたします!”


 大蔵殿の声を遮るように部屋の外から声がかかる。一体何事だ?


 ”立原備前守様(立原幸隆)より立原佐渡守様に火急の報せにございます”


 何?


 大蔵殿に一礼すると、戸を開けて文を受け取った。

 今日ここで新宮党と会合を持つということは倅にだけは伝えてあった。その倅が人目も憚らずに火急の報せを寄越すということは、何か一大事が出来したか。


 文を開き、文面を読み進める。と、思わず頭がくらっとした。

 ……何と言う事だ。


「ご子息は、何と?」

「ご覧下さりませ」


 大蔵殿に倅の文を渡した。文面を見て大蔵殿も絶句する。

 備後の山中で切り捨てられていた山伏が身に持っていた文箱に、新宮党が大内に通じている内容が書かれていたと……。


 紀伊守殿、式部殿も同様だ。倅の文を見て絶句している。

 だが、この顔は謀略が露見したことに対する焦りでは無いな。むしろ、身に覚えがなく困惑している顔だ。


「こ、これは……馬鹿な……」

「我らが謀叛を企てているなど……」

「お二方とも落ち着き召され。この場の誰も、これがご両所の本心であるとは思っておらぬ。だが、これではっきり致しましたな」

「な、何がはっきりしたのだ?」

「何者かが御屋形様と新宮党の不和を図り、離間させようと企んでいる。世上で妙な噂が飛び交うのもこれらの者どもの仕業でございましょう」


 大蔵殿の言う通りだ。

 これは何者かが尼子を割らんと画策していることであろう。相手は大内か、陶か……まさか六角ではあるまいな。

 ……いや、六角も中国征伐の軍を起こしている。尼子が強勢なるを喜ばぬという意味では、六角も疑いの目で見る必要があるか。


「幸い、まだ御屋形様のお耳には入っておらぬ様子。これは急ぐ必要があります」

「大蔵。先ほど申していた提案とは何か、聞かせてもらえぬか」

「左様……」




 ・貞吉二年(1544年) 十月  出雲国意宇郡 月山富田城  角都坊



 ……そろそろ世鬼衆に頼んだ仕掛けが太守殿(尼子詮久)に届く頃合いか。

 くふふ。新宮党が大内に寝返るという密書を持たせた男をわざわざ富田城の近くで殺し、偶然にもはかりごとが露見するように仕掛けを打つとは、世鬼衆もやる物よ。


 あの様子では、太守殿はすっかり疑心暗鬼に陥っていよう。

 琵琶の音色で幻惑するまでも無かったかもしれんな。あれは己自身を信じておらぬ男よ。放っておいてもいずれは自滅したことであろうよ。


「角都殿、御屋形様がお呼びにございます」

「おお。その声は源太殿(立原久綱)ですな。いつもお役目ご苦労ですな」

「……痛み入ります。さ、こちらへ」


 手を引かれて廊下を歩く。

 歩き慣れた場所だが、今日は少し湿気を感じるな。それに先ほどから冷たい気が流れている。

 つい先日まで気持ちの良い風が吹いていたが……。


「今日は雨にございますかな?」

「いかにも。大雨ではござらぬが、霧のような細かな雨が降ってござる」


 ふむ。

 何やら鉄臭い気がするが……。


 おっと、そろそろ太守殿の居室だな。


 源太殿が手を離し、障子を開けて中へと声をかけた。

 一礼して中へ入ると、太守殿の声が聞こえる。この声とももうすぐおさらばかと思うと、ちと名残惜しいの。


「角都、来てもらったのは他でもない。実はこういう文が見つかってな……っと、お主には見えなんだな」

「恐れ入ります。ですが、お声のご様子からすると何やら面白からぬ文のようですな」

「分かるか」

「ええ、いつにもまして太守様のお声が硬くなっているのを感じます。もしやすると、紀伊守様に何か関りがありますか?」

「ふ、お主には敵わぬな」


 やはり、世鬼衆の仕掛けが届いたようだな。

 さて、では仕上げにかかるか。


「僭越ながら、拙者は何事も太守様のお心のままに為されるがよろしいと存じます。太守様が今感じておられることは決して間違いではありませぬ」

「儂の考えは、間違っておらぬか」

「いかにも。古来、人には不思議な力が宿っております。目の見えぬ拙者ですが、人の心の動きがよく見えるのは何も目が見えぬからではありませぬ。

 人には元来、他人の心を見る力が備わっております。太守様が感じられているそのお心は、間違いなく真実にございましょう」

「そうかそうか。お主にそう言ってもらえて、儂も心が決まったぞ」


 ふふふ。

 これで儂の役目は終わりだな。明日にでもこの若造は新宮党を誅するために動くだろう。

 さて、そろそろ儂も吉田郡山城に戻るとするか。先払いの扶持とは別にたんまりと褒美を弾んでもらおう。何せ尼子の右腕たる新宮党を切り離したのだからな。


「この痴れ者を直ちに捕らえよ!」

「応!」


 ……!!

 大勢の匂い。鉄の匂い。これは……兵が詰めかけている?


「た、太守様。これは一体……」

「お主の言に従ったのよ。儂が感じておった、お主を疑う気持ちは本物だと申したであろう」

「な……何故拙者をお疑い遊ばされます? 疑わしきは紀伊守様では……」

「……だ、そうだ。紀州叔父。心当たりはあるか?」


 奥からまた人の気配……?

 大きな男だ。身にまとう迫力が違う。


「さてもさても。心当たりと言えば、捕らえたこの者らが偽書と流言をばら撒いておったことくらいですな」

「か、角都坊……」


 この声は、儂のつなぎ役となっていた世鬼の小者か。

 不覚! かくなる上は……


「おっと、妙な真似をするでないぞ」


 ぐっ! 腕を取られてねじり上げられる。動けん……。


「角都よ。お主にはじっくりと聞かねばならぬことがある。そう易々と死ねると思うな」


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