とぼけた男

 

 ・貞吉二年(1544年) 十一月  安芸国高田郡 吉田郡山城  毛利元就



 奥の小部屋で火鉢に当たっていると左衛門尉(桂元澄)が入って来た。徳寿丸(小早川隆景)も一緒だ。

 表情は暗くない。どうやら上首尾に終わったようだな。


「おお、待ちかねたぞ。で、どうであった?」

「御着城に着陣した御曹司殿(六角賢頼)から、我ら毛利の力を借りたいとはっきり申して頂けました。大内との交渉窓口は我ら毛利にお任せいただけるとの由」

「おお、そうかそうか。何よりであった。小早川の水軍が効いたかな?」

「そのようです。六角方は瀬戸内の制海権を握りたがっていると見受けました。徳寿丸様が小早川の家督を継いでおられると申し上げた所、とんとん拍子に話がまとまりましてございます」


 よしよし。多少強引になったが、小早川の家督を奪っておいて良かったわ。


「徳寿丸もご苦労であったな」

「いえ。万事左衛門尉が取り計らってくれました」

「うむ。下がって良いぞ」

「では」

「あ、左衛門尉は残れ。まだ話がある」


 徳寿丸が委細を承知した顔で下がる。徳寿丸は頭の良い子だが、今一つ可愛げにかける所があるな。かといって吉川に養子に出した次郎(吉川元春)は、血の気が多く謀を巡らせるには向いておらん。

 同じ父と母から生まれた兄弟なのにこうまで似ぬものか。


「して、お話とは」

「その前に一つ見せたい物がある」


 左衛門尉を火鉢の側に招き寄せると、奥に置いてあった首桶を取り出した。

 左衛門尉が微妙な顔になる。まあ、首桶には首が入っている物だからな。気分のいい物では無いと察したようだ。

 蓋を取って開くと、耳を削がれた角都の首がこちらに白い目を向けていた。


「これは……?」

「尼子に入れていた間者の首だ。どうやらこちらの仕業とバレたようだ」

「なんと! では、尼子がこちらの非を鳴らして来たということですか?」

「随分と居丈高な使者が来た。まあ、いかに儂の仕業だと尼子が言い立てたところで儂と角都を繋ぐ証拠はない。念のため、儂との繋がりを示す物は何も持たせなかったからな。

 知らぬ存ぜぬと突っぱねたら、この首桶を送りつけてきおったわ。はっはっは」


 儂の笑い声にも反応せずに左衛門尉が俯く。まったく、深刻に考えすぎるなといつも言っておるのに。

 首を送りつけて来たということは、尼子もそれ以上の追及が出来なかったということだ。こんなものを送りつけて来るのもただの嫌がらせに過ぎん。


「心配は要らぬ。尼子がまとまるのがいささか遅かった。今から尼子が郡山城を囲んだとしても六角の介入は避けられぬ」

「尼子はまとまりましたか」

「おうとも。紀伊守(尼子国久)が入道し、家督を式部少輔(尼子誠久)に譲った。それに伴い、今まで式部少輔が知行していた多賀左衛門尉の跡地は修理大夫(尼子詮久)に返上すると申し出たそうだ。

 これで出雲・石見は修理大夫の物となった。血を流すことなく出雲を纏めた手腕はなかなかの物よ」

「西出雲の多賀領を……いやしかし、それでは新宮党はただ領地を減らしただけということに?」

「引き換えに、式部少輔には備後・美作を切り取り次第と認めたという話だ。血の気の多い式部少輔のこと、旧領を持ち続けて主家と対立するよりもその方が余程性に合うと申して喜んだそうだぞ」


 左衛門尉め。まだ浮かぬ顔をしておる。

 こやつも心配性よな。


「まだ得心がいかぬか?」

「はい。新宮党に備後の切り取り勝手を認めたのならば、式部少輔は張り切ってこちらに攻め寄せることが出来ましょう。そうなった時、六角もまことにこちらに合力してくれるかどうか」

「こちらに合力するかは分からぬが、少なくとも尼子とは事を構えるだろうよ」

「そう上手くいきますかな?」

「必ずそうなる。六角の身になって考えて見よ。六角にとって尼子は大きすぎる」


 尼子と六角の関係が改善したのは、石見の銀と出雲の鉄に負う所が大きい。

 だが、朽木が生野銀山を抑えたことで石見の銀は必須では無くなった。加えて、播磨・備前を息子が抑えれば鉄も手に入る。

 今や六角にとってみれば下手に大きい尼子は残すには危険な存在となり果てたのよ。


 それに、修理大夫の方ももはや六角と戦うしか道はない。新宮党を取り込んだ手腕は見事だったが、それがために一戦もせずに降ることができないほどの勢力になった。

 皮肉な物よな。新宮党を従えて尼子は安定したが、新宮党に引きずられて六角に頭を下げられん。あと半年もここで守りを固めておけば、後は六角が勝手に尼子を征伐してくれよう。


「で、その六角の戦ぶりはどうだった?」

「恐らく年内には備前へと兵を進めて参りましょう」


 ほう。早いな。今少し浦上が粘るかと思ったが……


「浦上はもう駄目か?」

「室津城はもう持ちません。元は浦上家臣であった宇喜多八郎(宇喜多直家)と申す若者が六角の元へいち早く出仕し、浦上方の諸将を誘い込んでいるそうで……

 室山城の浦上方は一つまた一つと櫛の歯が欠けるように勢力を減らし、とうとう浦上与四郎(浦上政宗)本人までもが船で岡山城へ逃げたという噂が飛び交っておる有様です」

「さすがは鎮守府大将軍の武威と言ったところか。父親も戦上手だが、息子の方も手堅い戦をする」

「それだけではなく、どうも六角方は新たな武具を作り出した様子です」


 新たな武具?

 焙烙玉ならばこちらも用意が整いつつあるが、それ以外にまだ手の内を隠しているというのか。


「お主の事だ。その武具を見聞きしてきたのだろう。申せ」

「はっ。以前より噂に上っていた六角の武具は鉄砲にございます」

「鉄砲? 明の鉄砲ならば儂も博多から手に入れた。だが、あのような不安定な武具ではそうそう戦果は望めまい。むしろ六角自慢の徒歩弓兵の方がよほどに脅威だ」

「それが、明の鉄砲を独自に改良したとかで、飛距離も弓に遜色なく、威力も飛躍的に上がっているそうにございます」

「ふむ。だが、改良したと言っても所詮は鉄砲だ。当たらなければどうということはあるまい」

「それが、聞いた話では中々に当たると……」


 ふぅむ……。明渡りの鉄砲を改良な……。

 今一度博多に人を遣って当たらせてみるか。南蛮からの船が来たという噂もある。もしかすると明では無く南蛮渡りの鉄砲なのかもしれん。


「時に、大内の御屋形様の方は……」

「芳しくないな。宇部での戦いに敗れてから御屋形様は防戦一方になっている。おかげで養子の左衛門佐殿(大内晴持)との関係がギクシャクし始めているそうだ」

「御屋形様のお側には太郎様(毛利隆元)が居られたはずですが……」

「それよ。そろそろ太郎を安芸に呼び戻した方が良いかもしれん。ボヤボヤしていると太郎まで沈む大内に引きずられる」


 まあ、長門一国に押し込められた今の状態も悪くはない。

 この上は六角に頼るほかないが、大内が大きいとそれはそれで六角の警戒心を生む。そういう意味では、今の御屋形様のなさり様は決して悪くない。


 やれやれ、さじ加減が難しい所だの。

 ……ふむ。そうさな。この際、儂は隠居して太郎に家督を譲るか。そうすれば太郎を長門から呼び戻す口実にもなる。


「よし、左衛門尉」

「ハッ!」

「儂は隠居するぞ」

「……は?」




 ・貞吉二年(1544年)  十一月  越前国敦賀郡 唐人屋敷  京極高吉



 全く、侍従様(織田頼信)はどこへ行かれたのだ。

 何かあれば敦賀を預かる唐人奉行の儂が責めを負わねばならんというのに……。


 公方様(六角定頼)から敦賀唐人奉行という役職を任せて頂いたが、これほどに面倒ごとの多い役目とは思いも寄らなんだ。何せ、物珍しさに見物したいと貴人らが引きも切らずだ。接待にあたるこちらの気苦労も分かってほしい物だ。


「お奉行様」

「居られたか?」

「いいえ。屋敷内をくまなく探しましたが、依然として……」


 全く、部屋で待っていろと言ったら大人しく待っておくのが貴人たるものの分別であろうに。

 ああ、一体どこへ行かれたのだ。このままでは儂の責任問題に……。


「お奉行ー!」

「どうした!」

「居られました!」

「何! どこに?」

「既に湊にて明船を見学になっておられるとの由」


 なにぃ~!

 人騒がせな。行くならせめて一声かけてから行け。


「尋ね人は見つかったようですな」

「おお。徐碧渓殿。お騒がせし申した」

「いやいや。ここの所京からの客人をもてなすのにお忙しいご様子。ご苦労お察ししますぞ」


 くぅ……。

 寄りにもよって預かっている客人から慰められるとは……。

 織田侍従もせめてこれくらいしおらしくしてくれればのう。


「では、私も湊の方に向かいましょうか」

「済まぬ。某も同道致す故」


 数名の供回りを連れて徐碧渓と共に湊へ向かった。

 ……あれだな。船大工たちにあれこれと質問している童子が居る。


「オホン」


 儂の咳払いでようやく儂に気付いたようだ。さっきから真後ろに立っておるというのに、警戒心の欠片も無いお方だ。


「侍従様、お待たせいたしました。こちらが明の客人、徐碧渓殿でございます」

「で、おじゃるか」


 こ、このガキィ。散々大人を振り回した挙句におざなりな返事一つでまた船大工に視線を戻しよった。

 もう一度声をかけようとした時、徐碧渓殿が儂を制止して前に進んだ。


「侍従様。その者らはまだこちらの言葉に慣れておらぬのです。ご質問ならば私に」

「おお、では聞きたい。この珍妙な器物は一体何でおじゃるか?」

「それは羅針盤と申しまして、航海に使います」

「どのようにして使うのじゃ。教えてたもれ」

「この針は特殊な針で、こうして紐で吊るしますと常に北を指します。陸の見えない海でもこうやって方位を知れば、迷わずに進むことができるのです」

「こ、こうか? おお! まことじゃ! 常に北の方を向きよる」


 ふぅ。やれやれ。

 何だかバカバカしくなってきたわ。


「儂は奉行所へ戻る。お主らは侍従様と碧渓殿を護衛しておけ」

「ハッ!」


 まったく、こんなことならば今まで通り兄の仕事を手伝っていた方がマシだったわ。




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