謀聖の罠

 

 ・貞吉二年(1544年) 九月  播磨国飾磨郡 御着城  小寺政職



 よし、城門前の掃き掃除もこんな物か。厨の竈の中まで綺麗に清めたし、城内の掃除はこれで良かろう。六角本陣は間もなく明石城を出立するだろうし、明日に備えてそろそろ家中にも休息を取らせねばならんな。

 ……父上はどこに行った?

 先ほどまで玄関前に居られたはずだが、今は下野守(黒田重職)一人が玄関周りを拭き回っておる。


「下野守。父上(小寺則職)を知らぬか?」

「殿であれば先ほどぼろ布を持って奥の書院に向かわれましたが……」


 やれやれ、まだ掃除がし足りぬか。もうこれ以上は必要あるまいに……。

 庭先から回って奥書院の軒先に回ると、父上が柱に雑巾がけをしていた。


「父上、こちらでしたか」

「おお、兵衛(小寺政職)か」


 儂もそうだが、父上も腿上げをしてたすき掛けの姿で懸命に掃除している。

 ついこの前まで戦に明け暮れておったというのに、今は城内総出で掃除に精を出すというのもおかしな話だ。


「城門前くまなく掃き終わりましてございます」

「よし。ああ、ちょうどよい。今一度書院周りを清める故、お主もぼろ布を持ってきて廊下を拭き清めよ」

「は、はあ……」

「いや、待て。その姿のままでは室内に埃を落とす。一度足を洗い、小袖を外ではたいてから……」

「父上、落ち着かれませ。もはや城内は余すことなくピカピカに磨かれております。それに少弼様(六角賢頼)が来られるのは明日にございましょう。そろそろ皆も一旦休ませ、明日の御出迎えに粗相の無きように支度させるべきではありませんか?」

「馬鹿者! 少弼様が直々に我が御着城を借りたいと申されたのだぞ! 赤松の本城である置塩城ではなく我が御着城をだ! この意味を重く受け止めよ!」


 やれやれ、父上も随分と舞い上がっておられる。

 まあ、気持ちは分からんでもないか。赤松左京大夫(赤松政祐)よりも早く越水城に使者を送り、六角に恭順の意を示したのは父上のご決断だ。

 わざわざ佐々木の出である下野守を使者に選んだのも、少しでも有利な条件を得たかったからこそだ。その結果が我が御着城を借り受けたいという申し出であれば、舞い上がるなという方が無理な話かもしれぬ。


 しかし、なればこそここは一旦皆を休ませ、明日の御出迎えに粗相の無きようにするべきだと思うのだがなぁ……。


「ほれ、ぼさっとするでない。お主も早う身を清めて掃除を……」


 ”先触れの御使者が参られました!”


 城内に下野守の声が響く。

 父上が急にうろたえ始めた。まったく、だから掃除を早く切り上げた方が良かっただろうに。


「ひ、兵衛。お主が応対してくれ。こんななりでは御使者に不快を抱かせるかもしれん」

「こんななりは某とて同じでございます。諦めて御使者を御出迎えに参りませんと、それこそご無礼に当たりますぞ」

「うう……」

「とりあえず、某は玄関に回って御出迎えを致します。父上はお早く身なりを改められませ」


 さて、とりあえず玄関に回って時間を稼がねば。おう、そうそう。まずは足を洗って頂こう。


 水を張ったたらいを玄関に運ぶよう指示した後、表から玄関に回る。

 御使者はちょうど玄関前に立っておられた。


「このような恰好で失礼いたします。御着城主小寺加賀守(小寺則職)の子、小寺藤兵衛尉政職と申しまする」

「六角家臣、建部甚右衛門にござる。ご清掃の途中でありましたか」

「恐れ入りまする。弾正少弼様に少しでも気持ちよく過ごして頂きたいという父の心遣いにて。

 今たらいを用意させております故、足など洗って下され」

「せっかくのお心遣いなれど、先触れにござれば某はこちらで結構にございます」


 ふむ。御使者の対応は丁寧なものだ。こちらを侮るところは一切ない。

 しかし、あまりここで立ち話をしているわけにもいかぬ。どうした物か……。


「では、水など用意させましょう。馬で駆けて来られたのであれば喉が渇いておられましょう」

「ああ、それは有難い。御頼み申します」


 下野守に目配せすると、厨へと駆けて行った。

 とりあえず、水が着くまで今少し話を繋がねば……。


「時に、八上城の波多野も先月には降ったと聞き及びましたが」

「左様。三好筑前守殿(三好頼長)に代わり、海北善右衛門様(綱親)が包囲を継続しておられましたが、丹波の赤井兵衛大夫(赤井家清)が朽木民部大輔殿(朽木稙綱)に降り、その配下に入ったことで観念した様子にございます」

「噂に名高き海北殿ですな。六角六人衆の中でも蒲生殿(蒲生定秀)に次ぐ実力者であるとか」


 ……む?

 建部殿の顔が少し固まる。何やら失礼なことを申し上げたか?


「世上では蒲生様を六人衆筆頭に数えますが、海北様の実力は決して蒲生様に劣る物ではございませぬ」

「こ、これは失礼をば。もしや建部殿は海北殿ご支配であられましたか」

「北軍六番組を預かっております。以後、お見知りおきを」


 しまったな。まさか海北善右衛門殿のご配下であったとは。


「し、しかし、建部殿の体つきは見事な物。技を見るまでも無く見事な戦をされるだろうと思われます。六角家では皆様そのように鍛え抜かれておられるのですか?」

「いや、我が北軍は特に肉体を苛め抜いております故。これも海北様の日頃の鍛錬の賜物です。本当ならば馬など使わずに己の足で走って参っても良かったのですがな」

「は、走って!? しかし、それではくたびれ果ててしまいましょう」

「なんのなんの。この程度でくたびれる者など北軍には一人もおりませぬぞ。わっはっはっは」


 ふう。何とか機嫌は直ったか。それにしても、六角の兵がそこまで鍛えられているとは……。

 明石城から走って来られるなどとはさすがに大袈裟に過ぎるだろうが、畿内での風聞を聞くだにその精兵ぶりはうかがえる。


 やはり敵対するのは愚策と言えるな。

 仲違いしていた両浦上が反六角で固まったそうだが、大内も尼子も六角とは敵対せぬように振舞っていると聞く。頼みの綱の阿波細川家も内紛で揺れている今、浦上を切り崩すのもそう難しくはあるまい。

 西播磨と備前の切り崩しに手柄を立てれば、我ら小寺家は六角の世となっても安泰であろう。いや、ここで抜群の武功を上げれば、赤松に代わって播磨一国を任されるなどということも夢ではない。


 おお、父上も参られたか。


「お、お待たせいたしました。城主小寺加賀守にございます」

「お出迎えの用意、ご苦労に存ずる。御本所様(六角賢頼)のご本陣は明日には加古川を越えて当地に参られます。この御着城を浦上との戦の本陣として借り受けたいという願いに応じて頂き、小寺殿にはくれぐれも感謝を申し述べておくようにと主からも言いつけられております。

 何卒、よろしくお願い申します」

「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。我が小寺一統は姫路城に拠り、弾正少弼様の盾として働き申す。どうぞ存分にこの城をお使い下されませ」


 建部殿も機嫌よく戻って行かれた。先ほどは少しヒヤリとしたが、何とか事なきを得たか。

 しかし、先ほどの顛末は父上には聞かせられんな。聞いたら肝を潰しかねぬ。




 ・貞吉二年(1544年) 九月  出雲国意宇郡 月山富田城  尼子詮久



 雨の音に混じって琵琶の音が響き渡る。

 普段ならば心が落ち着く音色だが、今日は一向に憂さが晴れてゆかぬ。


「太守様(尼子詮久)には何やら心に鬱屈した物がおありのようですな」

「角都坊。分かるか」

「ええ。いつもならばもっと楽し気な『気』が漂って参りますが、今日はこうして琵琶を弾いていてもどこか上の空のご様子にて」


 ふ……。

 つくづく、座頭という者は心の中まで覗き込む術に長けている。お祖父様(尼子経久)や大叔父上(尼子久幸)亡き今、こうして悩みを打ち明けられるのは角都のみだ。


「実は、お主の言う通り悩んでおる」

「新宮党の事ですな」

「察しが良いな。その通りだ。六角の仲裁で大内攻めを取りやめたことを不満に思う声が高まっている」

「紀伊守様(尼子国久)は武勇を誇られると聞きます。町方でも新宮党の傍若無人な振舞は話のタネになっておるようで……」

「紀州叔父上はまだ良い。かつて新宮党を率いて六角と戦ったからか、儂の言葉にも耳を傾けてくれている。だが、従兄弟の式部(尼子誠久)などは留守居を務めておったゆえに六角の戦を知らぬ。

 儂のことを『出雲で敗れたわけでもないのに六角に唯々諾々と従う軟弱者』とあちこちで吹聴していると聞く」

「……余り放置しておれば、太守様の沽券にも関わりますな」


 ふ……。

 ハッキリと言ってくれるな。だが、その通りだ。

 近頃の式部は叔父上の言うことすら跳ね除けていると聞く。厄介なのは、新宮党の中でも式部に同調する声が少なくないことだ。このまま放置すれば、新宮党は尼子を割るやもしれん。

 大内や細川の事もある。今この時に尼子が割れれば、出雲は遠からず六角領となるだろう。

 六角軍は播磨まで兵を進めて来た。間もなく浦上と一戦交えるであろうが、浦上を下せば次は備前・備中。

 我ら尼子としてもいよいよ態度を明白にせねばならん。


 六角と戦うか、それとも臣従するか。果たしてどちらが最良か……。


 思考の森にさまよい始めた時、ビロロンと調子の外れた琵琶の音が響いた。


「あまり思い詰められぬがよろしいでしょう。迷いは、時に人を狂わせまする」

「角都。しかし、そなたも言っていた通りこれは尼子宗家の沽券にかかわる問題だ」

「見方を変えれば、今こそ尼子を一つにする好機とも言えましょう」


 ……!!


「新宮党を……討てと申すか……」

「お決めになるのは太守様でございます。拙者は所詮、ただの盲目の琵琶法師でございます。太守様が語り合っておられるのは拙者では無い。己が心と対話していると思召されよ」


 己が心と……儂自身が、心の深い所で新宮党を討つべきだと思っているのか?

 だが、新宮党を討てば六角と相対する以前に戦う力を失う。新宮党が出雲随一の戦力であることには変わりがない。今新宮党を討つことは、六角に恭順する以外の道を失うに等しい。


 果たしてそれが正しいのか……。


 雨に混じって調子はずれの琵琶の音が続く。

 不思議だな。普段ならば不快に感じるであろう音が、今は妙に心地いい。



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