冷夏

 

 ・天文八年(1539年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



「この度は某の我がままを聞き届けて頂き、ありがとうございます」


 上座から広間を見ると、目の前に三つの頭が平伏しているのが見える。


「ま、面を上げろ。そのままでは話も出来んだろう」

「ハッ!」


 そう言うと、三人の男が頭を上げる。

 中央に座るのが北軍一番組組長の滝川資清で、左隣に北軍軍奉行の海北綱親、右隣には資清の倅の滝川一益が座っている。


「決意は固いようだな」

「はい。亡き大原次郎様のお志を遂げるべく三年の間北軍の組頭としてお仕えしてまいりました。ですが、某も体が言うことを効きづらくなっております。畿内の争乱は一旦は収まり、天下は平穏になっております。

 これを機に某は一線を退き、亡き次郎様や次郎様と共に亡くなった倅の菩提を弔って生きていきたく思います」


 これが海北綱親から相談された内容だ。

 長く大原次郎高保の配下として戦い続けて来た滝川資清だが、既に齢四十五を超えて引退したいと申し出てきている。


「大原次郎のことについてならば、お主に責任などは無いぞ。むしろ責任は俺にある。次郎を美濃に行かせたのは誰でもなく俺自身なのだからな」

「御屋形様に責任などあろうはずもありません。あのような災害を予見することは何人にも出来なかったでしょう。ですが、次郎様は某の目の前で洪水に飲まれました。今ひと時早く駆けつけておれば、次郎様を高台にお逃がしすることが出来たのではないか、と今でも思わぬ日はありません」


 話すうちに資清の目にも涙が浮かぶ。俺の目にもだ。

 今でも大原次郎高保は近江を所狭しと暴れまわった六角軍随一の名将と評する者も多い。死してなお、これだけ人々の記憶に残るというのはある意味で幸せなのかもしれないな。



 視線を滝川資清から海北綱親に移し、現実的な話を詰めていく。


「彦右衛門(滝川資清)が組頭を抜けたとして、後任は誰か務められる者は居るか?」

「そのことですが、彦右衛門からは倅の久助(滝川一益)を後任に使って欲しいと申し出ております」


 滝川一益か……。その軍事的才能には疑いの余地はないが、いきなり組頭というのはちょっとな。

 なまじ滝川資清が大原高保の寵臣であっただけに、縁故人事と思われては一益自身の為にもよくない。


「久助か……。善右衛門(海北綱親)の目から見てどうだ?組頭が務まるか?」

「左様……」


 俺と綱親の視線を同時に受けて末席の一益の顔に緊張が走る。


「素質としては充分かと見ます。さすがは彦右衛門の倅と感心することもしばしばにございますれば……。ですが、いきなり組頭に抜擢すれば、同僚からやっかみも受けましょう。ここは一段下がって百人隊長から始めさせるがよろしいかと存じます。既に二番組の赤尾孫三郎(赤尾清綱)から百人隊長への推挙は受けておりますれば……」


 海北綱親も俺と同意見か。そうだよな。せっかく実力主義を導入しているのに、肝心の場面で縁故人事と取られる真似はすべきじゃない。


「ならば、久助はひとまず俺の馬廻として百人隊長に任命しよう。後任の一番組組長も、彦右衛門の倅が部下ではやりにくさもあるだろうしな」

「そのようにお計らい頂ければ幸いでございます」


「ということだが、お主はどうだ?久助」

「ハッ! ありがたきお計らいに感謝致します」


「重ね重ね、御屋形様にはご迷惑をお掛けして申し訳もございません」


 資清が改めて頭を下げる。他の二人も同様だ。


「しかし彦右衛門。全てを投げうって楽隠居というのはいささか贅沢な望みだぞ」


 再び頭を下げていた三人が思わず顔を上げる。顔には不審そうな色があるな。


「は……しかし……」

「お主には別の仕事を頼みたいと思っている」


 俺の隣に座る進藤貞治の方に視線を向けると、進藤も頷いて文箱から文書を一枚取り出して三人の面前に広げて見せた。


「滝川彦右衛門には万寿丸様の傅役を申しつけると御屋形様は仰せである」


 ”なんと”というつぶやきと共に彦右衛門が絶句する。

 お寅の産んだ万寿丸もそろそろ傅役を付けて養育に当たって行かねばならん頃合いだ。


「万寿丸は未だ四歳だが、無事に七歳を迎えた暁には大原家の養子に入れ、『大原次郎』を継がせようと思っている。長く次郎に仕えて来てくれたお主ならば、万寿丸の傅役として適任だろうと思ってな」


 資清の眉が見る間に八の字に歪み、涙が溢れだす。

 まだまだ楽隠居なんざさせないよ。これからは大原家の執事としてもう少し苦労してもらう。


「そういう訳だ。次代の大原次郎の養育、よろしく頼む」

「あ、有難うございまする。全身全霊を持ってお仕えさせて頂きまする」




 ・天文八年(1539年) 九月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



 伴庄衛門と布施源左衛門が揃って目通りを願い出て来た。

 布施源左衛門も一緒にということは鉄砲開発に動きがあったかな?


「待たせたな。色々と各地から文が届くもので何かと忙しくてな」

「……いえ、お忙し中お時間を頂きまして申し訳ありません」

「見てみるか? 北は蝦夷から南は九州まで彩豊かだぞ。なんせ将軍の後ろ盾なんぞやっているとあちこちから取次ぎ依頼がひっきりなしだ。はっはっは」

「……」


 軽口を叩いてみるが、二人の表情は晴れない。

 どうやら、深刻な事態のようだな。


「……で、どうした?」

「それは手前から申し上げます」


 布施源左衛門がおもむろに口を開く。重々しい顔だ。なんだか聞きたく無くなってきた。


「小浜から西国へと廻っていた船が戻りまして、その者らからの報告では九州でイナゴの害が出ていると」

蝗害こうがいか……」


 中国の軍記物だと蝗害で民心が荒れて大戦なんてパターンが王道だが、日本では蝗害はそれほど多くはない。

 日本で害を起こす蝗と言えばトノサマバッタだが、高温多湿の日本ではバッタを餌にしている生き物も豊富だし、草原と呼べる土地もそう多くない。それに米の収穫期には台風も多いから害を為すほどの大発生が起こりにくいのが実情だ。


「どの程度の規模だ? 九州は食糧が不足しそうか?」

「恐らくは畿内まで影響を及ぼすと思われます」

「何?」


 それほどに被害が大きいのか……。これは今年の収穫分を丸々備蓄に回しておいた方が良いかもな。


「わかった。畿内では米の備蓄を進めよう」

「いえ、もっと大掛かりに買い集めていただきとうございます」

「……それほどの被害が出ると?」


 布施源左衛門が意を決したように俺の目を覗き込んでくる。なんだか怖いな……。


「九州や中国ではそれでなくとも今年の夏は寒く、稲の実りが十分ではないとのこと。日向では季節外れに雪が降ったという噂もございます。冷夏は九州に留まらず、畿内も今年は例年に比べて雨が多く、未だ米の実りは充分とは言えません。小麦や豆の備蓄はある程度進んでおりますが、これ以上取り崩すことなく備え、何としても今のうちに食糧を確保していただきたく存じます」


「……このまま何もしなければ、どの程度の被害が出る?」

「恐らく、飢饉によって死人が出るほどになるかと」

「西国はそれほど厳しい状況か」

「西国航路の者が持ち帰った話と畿内の米の実りを考えれば、恐らくは……」


 これは参ったな……。

 西国と言えば大内はどうなる?


 今のところ大内から援助要請は来ていないが、大友との戦は未だ終息の目途が立っていないと聞く。そこに加えて食糧危機が発生すれば、戦争している場合じゃなくなるか。

 ……いや、逆だな。むしろ少なくなった食糧を奪い合って争いが加速する。西国で戦っているのは大内と大友だけじゃない。飢饉が中国地方にも波及すれば、毛利と尼子だってどうなるか分からん。


 布施源左衛門や伴庄衛門の話を総合すると、飢饉は中国地方にも充分すぎるほどの影響を及ぼすはずだ。特に尼子は上洛戦の後で国内の備蓄はだいぶ心細くなっているはず。配下を食わせようとすれば、周辺国に攻め込むしかない。


 一度失敗した畿内遠征軍を、今度は食糧確保の目的で再び起こすか?

 ……あり得ない。恐らくは安芸や長門辺りに攻め込むだろう。大友と両面に敵を抱えた大内ならば攻めやすいと考えるはずだ。

 西国の要になるべき大内は窮地に立たされる。


 呑気に鉄砲開発どころじゃなかったな。今はとにかく米を最優先で買い集めないと。大内に直接援助するにせよ、尼子や大友に食糧援助と引き換えに和睦を承諾させるにせよ、米は最大の切り札になる。

 六角の食糧が不足すれば西国の調停どころでは無くなるな。


「分かった。畿内各地、それと近江、美濃、尾張、伊勢の収穫を他国へ流出しないようにする。手形は必要なだけ発行しろ。そのすべての手形を六角家が買い上げる」

「ありがとうございます」


 簡易的な国債の仕組みを作っておいて助かったな。こういう時には市場操作によって米の流出を相当数防げるはずだ。

 会合衆に債券を発行させ、それを六角家が買い上げて銭を市場に回す。市場には銭が多量に供給されるから、食糧危機と相まって一時的にインフレ圧力が高まって米の値が上がるはずだ。

 他国の商人が米を買い付けようとしても六角領の米は高くて大量に買い付けることは出来なくなる。むしろ周辺国から米が流入するという事も起こるはずだ。


 備蓄の銭が流出するのは痛いが、今は米こそが最大の戦略物資になり得る。

 今のところ近江近国では飢饉の兆しは無い。今のうちに買い集めておけば、相当数の米が備蓄できるだろう。


 問題はインフレが圧力が高まれば領民の暮らしを直撃するということだ。他国の商人が買えないほどの高値になるということは、当然ながら領民にも買えないほどの高値だということ。

 領内の代官衆には領民の暮らしを良く見させ、暴動が起きる前に振舞によって対処させねばならん。


 ……領民には米の現物と引き換えることが出来る米切手を配るようにするか。米そのものに流動性を持たせるわけにはいかんが、米切手を流通させれば需要と供給の関係で米切手の売買が成立するはず。それによって必要な所に必要なだけ米が行き渡るだろう。

 無論、米切手の引き換えには身元確認を徹底させる。身元確認の取れない者には米切手の引き換えに応じない。そうすれば、少なくともリスクを負ってまで米を勝手に領外に流出させる者は減るだろう。


 問題は偽造対策だな。楽市手形と違い、米切手は民間に広く流通させるものになる。いわば米切手が紙幣の役割を果たすはずだ。紙幣であれば、当然偽造のリスクは付きまとう。


 ……多少の偽造は発生すると覚悟の上で実行するしかないか。

 切手には通番を入れ、後で引き替えられた切手が偽造されたものかどうかを確認できるようにしておこう。前科の付いた者には当面の間米の引き換えに応じなくする。偽造がバレた時のリスクを周知させれば、ある程度の抑止力にもなるはずだ。

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