近江と出雲

 

 ・天文八年(1539年) 十月  近江国坂田郡 国友村  六角定頼



「ここの引き金を引くとバネが動いて火種を落とします」

「これだな」


 引き金を引くと、カチリと音がして銃身の上部に据えられた絡繰りが火皿に向かって落ちる。銃身には火薬も詰まっていなければ火縄も挟んでいないから、引き金を引いても暴発する恐れはない。

 俺の知っている火縄銃とは少し絡繰りの形状が違うが、機構としては申し分ない。どこからどう見ても『鉄砲』だ。



 西国が災害と戦で苦しんでいる時に何だが、こちらではようやく鉄砲の開発に成功した。

 畿内や西国では夏の長雨にやられて洪水なども起きたようだが、近江や尾張では雨の被害もさほどに受けず、豊作とは言えないまでもまずまず例年通りくらいの収穫量を確保できている。

 買い集めた米と合わせて六角家の備蓄倉庫ははち切れんばかりだ。近江だけを見ていればとても飢饉が起きるとは信じられんな。


 もっとも、伴庄衛門や布施源左衛門の予見したことは事実だ。

 石見では大規模な洪水があったそうだし、大和でも北部の方で台風による被害が出ている。九州では蝗害から生き残った稲にも穂が実らず、食糧危機は深刻な状況だという。また、東国でも台風被害によって相当の米がやられたと聞く。収穫前から対策を打っておかなければ、今頃収穫を終えた米が大量に国外に流出していただろう。


 大和は六角の領国だから対応するのに問題は無いが、九州はそうはいかん。大内義隆からは米を分けてくれと泣きつかれたが、西国航路はまだ完成してはいない。何よりも肝心の美保関の通行が尼子によって制限され、大々的な船団を送ることが出来ないでいる。陸路で運ぶなんてのは無謀な話だし、瀬戸内海を行くには堺衆に高い手数料を払わねばならん。


 食糧不足は尼子の領国でも深刻なはずなんだが、尼子詮久は頑として俺の和睦勧告を拒否し続けている。尼子経久ならばもう少し話がわかると思うんだが、あの爺様は上洛戦の後寝込んでしまって政務からは手を引いていると言う話だしなぁ……。


 大内義隆とは勘合貿易の件もある。何とかしてやりたいのはやまやまなんだが、こちらとしても何とも手の打ちようが無いのが現状だ。


 ま、西国はしばらく成り行きに任せておくしかないだろう。

 幸い六角領ではこの分なら深刻な飢饉とはならなさそうだから、いざとなれば米の提供と引き換えに停戦を命じることも出来るだろう。飢饉と戦争が泥沼化すれば、さすがの尼子詮久も折れるしかなくなるはずだ。


 その間にこっちは鉄砲の量産と配備に掛かろう。



「よくできている。耐久性はどうだ?」

「上々でございます。十発ほど試しましたが、筒先にも尾栓にも問題はありませんし暴発もありませんでした」

「ご苦労だったな」

「いえ、時間がかかってしまい申し訳ありませんでした」


 言葉とは裏腹に、善兵衛が胸を張って鉄砲を受け取る。


「早速だが、火薬を入れて試し撃ちをしたいのだが」

「そう仰ると思って準備しております。裏へお回りください」


 善兵衛の言葉に従って屋敷を出て裏庭に行くと、塀で囲まれた中に台が置かれ、台の上には鉛玉や火薬の壷、火縄などが準備されていた。善兵衛は火種となる炭を火ばさみで持ってきて土の上に置く。


「まずはここに火薬を入れて杖で突き固めます。その上から弾を込めてもう一度杖で突きます。あとは火皿に火薬を盛り、絡繰りに火縄を挟めば準備完了です」


 言われた通りの手順で弾を込める。自分でやってみると分かるが、想像していた以上に手間がかかる。俗説では鉄砲の弾を込めるのにおよそ三十秒と言われているが、それは訓練を重ねて弾込めに慣れた者の速さだな。慣れない手つきでは体感でもその倍は時間がかかっているように思う。


 弾込め台から二十メートルほど離れた所にポツンと弓の的が立っていた。発射準備を終えた鉄砲を的に向かって構える。照門も照星も無いから完全に目測での照準になってしまう。ここは今後の改善点だな。

 引き金をゆっくり絞ってコトリと落とす。と同時に、轟音が響いて的が木っ端みじんに砕けた。


「なんと……凄まじい音ですな」


 隣の進藤が思わず耳を塞ぎながら驚いた顔をするのが妙に可笑しい。実際、焙烙玉を試した時に火薬の爆発音は聞いていたが、間近で聞くとやはり迫力がある。


「威力もなかなかのものだ」

「久々に良い仕事をさせてもらいました」


 撃ち終わった鉄砲を善兵衛に預けると、善兵衛は受け取りながら再び胸を張る。


「うむ。よくやってくれた。早速だが、今後は鉄砲の量産に入ってもらいたい。製造工程はネジ作りと銃身作りを分け、それぞれを別々の場所で行う。鉄砲の製造法はまだ余人に知られるわけにはいかんのでな。それと……」

「お、お待ちくだされ」


 製造計画を話し始めた俺を善兵衛が制止する。まだ何か問題があるのか?


「実は、ネジ用の鉄には固い鉄が必要です。それに、筒自体も『巻張り』という技前で耐久性を上げておりますが、ネジや巻張り用の鉄はここいらで産する鉄では強度が不足致します」


 素材鉄の硬度の差を使い分けているというわけか。思った以上に複雑な工程を踏んでいるようだな。


「つまり、量産するには上質な鉄の原料が必要だということか?」

「ええ、それも上質の玉鋼が大量に必要になります。試作で使った鉄も玉鋼を使っております」


 上質の玉鋼かぁ……。

 自分でも渋い顔をしているのがわかるな。困ったことだ。

 渋面のまま伴庄衛門を振り返る。俺の思い違いかもしれないから、念のため確認しておかないと。


「この日ノ本で上質の玉鋼の産地といえば、やはり……」

「ええ……」


 伴庄衛門も俺の言わんとするところを察して重々しく頷く。


「出雲のたたら鉄です」




 ・天文八年(1539年) 十月  出雲国意宇郡 月山富田城  尼子詮久



「お祖父様、お加減はいかがですか?」

「おお。だいぶ良い。今日は熱も無いし爽快な気分だ」


 縁側に座って庭先を眺めておられたお祖父様が、痩せこけた頬に優し気な笑みを浮かべながら儂の方に顔を向ける。

 また一段と痩せられたか……。


「それは良うございました。こちらは山の者が献上してきたアケビでございます。お祖父様がお好きであったと思い、持ってまいりました」

「おう。これは美味そうだ」


 一つ取り上げるとゆっくりと口に運ばれる。


 やはり上洛戦の無理が祟ったのだろう。出雲に戻ってすぐに熱を出され、そのまま二か月ほど寝込まれた。今は何とか起き上がれるまでに回復されたが、食欲だけは中々戻らない。

 好物であったアケビならばと思ってお勧めして良かった。


「美味かった。後は皆に分けてやってくれ」


 半分も召し上がらないうちにアケビの身を置かれる。やはりあまり召し上がれなくなっているのだろうか。


「今年の物成りはどうだ?」

「……順調にございます。間もなくこの富田城にも続々と米が運ばれて参りましょう」


 ……嘘だ。

 山陰地方はどこも天候が不順で十分に米が取れなかった。ただでさえ我らの領国は山に遮られて日が当たらぬ。それに加えて、夏の長雨で石見の那賀郡では洪水も起こり、少なくない耕地が濁流に飲まれた。


 今は少ないながらも収穫を終えた米があるから何とか持ちこたえているが、年が明けて春になれば山陰一帯は飢饉に見舞われる。だが、お祖父様にそれを言えばお心を痛められるだろう。せっかく起き上がれるほどに回復されたのに、これ以上お心を煩わせるわけにはいかんな。

 やはり、ここは儂が何とかせねばならん。この話は伏せておこう。


「ふっふっふ。強がりを言うな。そのことで相談に参ったのであろう」

「……お気づきでありましたか」

「寝たきりになっていても庭先は目に入る。外の天気もな。今年は雨が多かった。どの程度の取れ高かは聞かぬでも予想は付く」


 やはり敵わぬ。何もかもお見通しであったか。


「申し訳ございません。実はそのことで相談に参りました」

「毛利を攻めるか?」

「はい。このままでは山陰は飢饉になります。上洛戦の失敗に加えて飢饉が起きれば、尼子の支配から抜け出て周囲の村落を襲おうとする者も出てきましょう。それらの目を外に向けるには、山陽に進出するほかはないと思っております」


 真っ白になったあごひげを撫でながらお祖父様が庭先に視線を向ける。やはり反対されるだろうか。


「当主はお主だ。お主が毛利を攻めるというのならば強いて止めはせぬ。だが、戦では無く交易で手に入れられる方法は無いのか?」

「難しゅうございます。我らの主な産物は鉄と銀。いずれも平時ならばそれなりに米と交換できますが、これだけ物成りが悪化すればそもそも交換に応じてくれる者が居りません。

 出入りの商人達も米を買い付けて来るどころか、売買が成り立たないから尼子家から米を援助してほしいと願い出て来る有様です」


 戦をせずに済むのならばそれに越したことはない。だが、今はどこも米が無いのだ。せめて出雲で産するのが食い物であったならばまだそれらを食いつないでいくことも出来るのだが、いかんせん鉄や銀を食うことは出来ぬ。


「……近江は実り豊かな国だ。近江宰相から和議の文が来ていたはずだが、それはどうした?」

「近江宰相とは未だ和議を結ぶには至っておりません。近江宰相が条件として提示してきたのは美保関の自由通行権でございます。

 美保関は尼子の基盤ともいえる重要な収入源。いかに戦の勝敗の末とはいえ、出雲が脅かされたわけでもないのに易々と渡すわけには参りません」


 六角の提示してきた条件はとても飲むことが出来ないものだ。

 美保関は我が尼子の重要な収入源でもあるが、六角と大内を繋ぐ交易の道でもある。ここを明け渡してしまえば六角と大内は益々連携を強くするだろう。決して飲むわけにはいかない。


「……毛利は手強いぞ。高橋を討ち、宿敵であった宍戸とは婚姻を結んで勢力を拡大させておる。今や安芸国人衆の盟主と言える存在だ。敵は小勢と舐めてかかれば痛い目を見る。

 戦をするなとは言わぬが、やるならば気を引き締めてかかれ」


「承知しております。必ずや毛利を降し、実り豊かな安芸の地を手に入れて参ります」


 大内と大友の戦は未だ出口が見えず、大内の主力は九州から動けずにいる。毛利も後ろ盾たる大内の援軍が無ければどうにもならぬはず。安芸の米と農地を手に入れられれば、尼子はより豊かになる。瀬戸内海に進出すれば畿内と九州を扼する海の要衝を得ることにもなるだろう。

 今回の戦は尼子の発展の為にも大きな転機となるはずだ。



――――――――



ちょっと解説


作中で描いている飢饉は『天文の飢饉』と言われる戦国時代最大級の飢饉だそうで、京では毎日六十人の餓死者が出ていたと文献にあります。

また、台風被害は島根県浜田市で天文八年の八月に実際にあったそうです。


そんな中で近江が飢饉に巻き込まれないのは不自然と思われるかもしれませんが、六角家の記録を見ると天文九年には六角義賢を総大将とした北伊勢征伐が行われています。

残されている文書を確認する限り、この北伊勢征伐は『北伊勢国人衆が京へ納める米を横領しているから何とかしてくれ』と幕府から依頼されて実施されたもののようです。


なので、近江には大飢饉と呼べるほどの被害は出ていなかったのではないかと推測しています。略奪目的ではなく幕府の依頼によって北伊勢に遠征軍を起こすだけの余裕があったと見るべきかなと思います。


そして、台風被害も島根県浜田市に災害記録が残っていることから、恐らく九州から山陰地方を経由して日本海へ抜けるような台風が通過したんじゃないかなと想像しています。

それであれば『九州や山陰の被害が深刻でも近江は大したことない』という状況に合致します。また、滋賀県を直撃しやすい台風は高知県室戸岬を経由して上陸するいわゆる『室戸台風』のパターンですが、天文の飢饉の頃に四国に風水害が起こったという記録は見られませんでした。


というわけで、『近江や美濃、尾張、東海各地には飢饉の被害は出ていない』と想定しています。

また、甲信越でも天文八年~九年頃に台風被害があったらしい(こっちは史料で確認は取っていません)ので、天文の飢饉は『本来京に入って来るはずの東国や西国の米が現地で横領された』ことが原因であると考えています。

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