兄弟

 

 ・天文六年(1537年) 十月  山城国 京 東福寺  三好頼長



 ようやく千満丸に会うことが出来る。本当に久方ぶりだ。

 堺が燃えてからだから六年ぶりか。もう随分と大きくなったのだろうな。

 奥からいくつかの足音が響いてきた。


「お待たせ致した」


 奥から声がして戸が開く。まだ幼さの残る顔だ。懐かしい顔だ。

 隣には孫四郎(三好長逸)も居る。孫四郎は随分と大人びたな。


「千ま……」

。三好彦次郎虎長にございます」


 お初に……?


「な、何を言っている。千満丸。儂だ、千熊丸だ」


 対面に座った若武者が儂の顔をじっと見て来る。

 どういうことだ。あれほど仲良く過ごしたのに、今儂を見る目はまるで敵を見据えるような目つきではないか。


「どなたかは存じぬが、あいにくと我が兄千熊丸は堺にて父と共に亡くなりました。今は某が三好宗家の当主にございます」


「……儂はこうして生きている。顔を見てもまだ分からんか!儂だ!千熊丸だ!」

「あなたが!」


 思わず立ち上がった儂を千満丸が下から睨みつけて来る。

 一体何故……そうか!まだ千満丸は細川右京大夫の付けた近臣にたぶらかされているのか!


「あなたが真に我が兄であるのならば、何故あの時、堺が焼け落ちたあの時、阿波へ戻って来なかった!」


 ……!!


「何故我ら弟達を見捨てた! 何故父の志を裏切り、近江へと寝返った!」

「わ、儂は……お主たちを見捨ててなど……」

「見捨てたではないか!

 亡き父三好元長は、六角に勝って足利左馬頭様を将軍位に就けるべく命を懸けたのだ! その仇敵である六角に寝返り、あまつさえ六角の婿となって細川右京大夫様に挑まんとする!

 これが裏切りでなくて何だと言うのだ!」


 儂が何か言おうとした時、後ろから大和守(篠原長政)の声が響いた。


「千満丸様、全てはこの大和守が為したことにございます。千熊丸様は一日も早く阿波へ戻ろうとしておられました。それを押しとどめ、六角家の庇護の元で成長されることを願ったのは某にございます。

 罪は全てこの大和守にございます」

「フン。貴様が真の大和守であるという確証もあるまい」

「……文を、文をご覧いただければ。讃岐守様(細川持隆)には何度も文をお送りしております。それをご覧いただければ、事情は全て読み取っていただけるはず」

「文は全て見た。そこの孫次郎殿が何度も何度も越水城へ送り届けた文もすべてな」


 儂の文を……見ていた?

 その上で、何の返事も寄越さなかったというのか。返事を出さぬのが千満丸の返事だったというのか。


「クドクドと言い訳じみたことを書き連ねておるが、兄上は戻って来なかった。それが全てだ。儂の敬愛する兄上ならば、何を置いても阿波へ戻り、父上の跡を継ごうとしたはず。それをしないあなたは我が兄ではない!」

「ま、待て!千満丸」


「もう良いでしょう。近江宰相殿の女婿じょせいゆえに無下にも出来ずお会いしたが、以後二度と我ら兄弟に関わらないでいただきたい。どうしてもと言うのならば、次は戦場でお会いすることになりましょう。

 では、某はこれにて」


 立ち上がって行ってしまう。千満丸が……


「餅を、食わぬか?」

「……何?」


 ピクリと動きが止まる。やはり千満丸だ。いくら儂を否定しようとしても、思い出までは否定できるものか。


「父上が越水城に居られた頃、よく隠れて餅を食っただろう。儂もお主も、いつも腹を空かせておった。また餅を一緒に食おう」

「……フン。言いたいことはそれだけか」


「待ってくれ!千満丸!」

「くどい! 儂の前に二度と姿を現すでない!」


 言い捨てるとそのまま奥へ行ってしまった。

 儂は……儂は千満丸に捨てられたのか……。あるいは儂が弟達を……捨てたのか……?


「心中御察し申す。ですが、阿波を捨てたあなたを三好家の当主と認めることは出来ません」

「孫四郎。お主は儂の顔を忘れたのか?」

「……我らは阿波細川家の家臣にござる。彦次郎様は細川讃岐守様への恩義を忘れることはありません。細川家と敵対する貴方を千熊丸様と認めるわけにはゆかぬのです。御察し下され」


 孫四郎も一つ頭を下げると奥へ下がって行ってしまった。




 ・天文六年(1537年) 十月  山城国 京 相国寺  六角義賢



「入るぞ」

「兄さま」


 孫次郎一行に宛がわれた一室に入ると、初音が慌てて近寄って来た。

 初音もひどく疲れた顔だ。余程に孫次郎が辛い顔をしていたのだろう。


「孫次郎はどこだ?」

「隣の部屋です。昨日から食事も取らずに……」


 初音が目線で隣の居室を指す。今は誰とも会いたくないということか。

 おとないも入れずに戸を開けると、孫次郎が縁側に座ってぼおっと庭先を見ていた。目元は落ちくぼみ、泣き腫らしたような顔だ。

 そう言えば孫次郎が泣く所なんてついぞ見たことが無かったな。


「四郎……」

「一局打つぞ」


 そう言って持ってきた将棋盤を目の前に置く。孫次郎が暫く将棋盤に視線を落とした後、首を振って視線を庭先に戻した。


「今はそのような気分では……」

「いいから、付き合え」


 強く言うと、渋々と言った風情で将棋盤に向き直る。無表情で駒を並べる指先が微かに震えている。

 駒を並べ終わり、儂が飛車先の歩を突くと同時に将棋盤に雫が落ちる。


「四郎……儂は……儂は、どうすればいい?」

「阿波へ戻りたいのか?」

「……」


 もう一度雫が孫次郎の頬を伝う。孫次郎自身も迷っているのか……。


「お主が決めることだ。お主は何故近江へ来た」

「何故……近江へ……? それは、阿波に戻ることが出来ずに……」

「それだけならば、戦が落ち着いてからいくらでも戻る機会はあったはずだ。例えお主が観音寺城を脱出したとしても父上は敢えて追おうとはしなかっただろう。だが、お主はそれをしなかった。何故だ?」

「それは……」


 儂には孫次郎の思いは分からぬ。弟というものをこの年まで持たずに来たからな。

 だが、父上が何か大きなことを為そうとしておられることは分かる。その前に立ちふさがるというのならば、例え相手が孫次郎であろうとも戦うだけだ。


「お主の心は何と言っている? 本当に聞かねばならぬのはそっちだろう」

「……」

「落ち着いて心の声を聞くには、これが一番だ。さ、お主の番だぞ」


 暫くの逡巡の後、孫次郎が同じく飛車先の歩を突く。

 どうやら腑抜けても牙は抜けていないようだな。




 ・天文六年(1537年)  十月  山城国 京 相国寺  六角定頼



 ふぅ……。


「やっぱ俺の失策かなぁ……」

「そうとも言い切れますまい。御屋形様は孫次郎殿に出来得る限りのことをされました」


 進藤が慰めてくれるが、そうは言っても落ち込んでしまうよ。

 初音から事の仔細を聞いた時は胸が張り裂けそうになった。いくら戦国時代とはいえ、実の兄弟で憎み合うなんてこれほど辛いことはない。

 いや、憎み合うならまだマシか。頼長は何としても弟達を細川晴元から取り戻すと息巻いていたんだ。その弟から二度と顔を見せるなと言われたのなら、心中は察して余りある。


「俺がもっと早くに阿波へ送り届けていれば、孫次郎は今も弟達と手を取り合っていたかもしれない」

「……そして、手を取り合って御屋形様に反旗を翻したでしょうな」


 ……そうなんだ。その下心が無かったと言えば嘘になる。

 俺が死んだ後、三好長慶は六角義賢を抑えて天下を取った。だが、その長慶も乱世を終わらせることは出来なかった。原因は管領や将軍家と言った室町の遺物達に足を引っ張られたからだが、その室町の遺物の一つが六角家だったんだ。

 その悲劇を回避したいと思ったし、さらに言えば次の天下人である三好長慶を俺の幕下に留めておきたいという下心も確かにあった。


 いや、それすらも言い訳だな。

 子猫のようにじゃれ合う二人を見て、我が子と長慶を争わせたくないと思った。我が子の良き友であって欲しいと願った。ただの父親のわがままだ。そのわがままが、三好頼長の悲劇を作り出してしまった。


「しっかり為されよ。御屋形様がそのように落ち込まれては、孫次郎殿が益々辛い思いをされ申す」

「……」

「天下を掴むのでしょう。天下万民の幸せを守り、それを脅かす者を討ち平らげるのが天下人でございましょう」

「新助……」

「そのためには心の強さが必要だと申されたは御屋形様にございますぞ。今ここで天下万民の幸せを投げだすというのならば、死んだ者達は何の為に戦い、死んだのです」


 それ……確か俺が言った言葉だったな。

 覚えててくれてたんだな。


 そうだな……。


「孫次郎が阿波へ戻って俺に敵対すると言ったらどうする?」

「それが天下の安寧を脅かすのならば、討たねばなりますまい」

「初音にも辛い思いをさせるだろうな」

「やむを得ませぬ。それも心の強さの一つでございます」


 正直、迷いは晴れない。いざその場面になった時、本当に俺に三好頼長が討てるかは分からん。それほどに情が移ってしまった。

 だが、進藤の言うことももっともだ。俺には、俺の為に死んでくれた者達への責任がある。遺された者達が今よりも幸せになると信じて死んでいった者達の命を投げ出すことは出来ない。


「これから、もっと多くの者を死なせるかもしれん」

「その先に妻や子らの、天下万民の幸せがあるのならば、きっと皆納得してくれましょう」


 ……よし。


「十日後の即位礼の警備担当を変える。三好勢を外し、担当を入れ替える。案を出してくれ」

「ハッ!」




 ・天文六年(1537年) 十月  山城国 京 相国寺  三好初音



 兄さまと将棋をした後から殿が少し元気になられた気がする。

 食事も取るようになられたし、夜も眠れているようだわ。本当に良かった。


「初音。心配をかけたな」

「いいえ、お元気になられてようございました」

「……儂がお主を離縁して阿波へ戻ると言ったらどうする?」


 離縁……そんなこと……


「決まっています。私は六角定頼の娘ですよ」

「そう……だな」


 少し落ち込んでいられる。こうして見ると、幼い頃と全然変わっておられない。


「ですが、今の私は三好頼長の妻でございます。叶うのならば、阿波へでもどこでも共に参りとうございます」

「六角と縁を切ってでもか?」

「もちろんです。私は六角定頼の娘でございます。父上は私のじゃじゃ馬ぶりを良くご存知でいらっしゃいますわ」


 あ……。

 殿が笑った。本当に久しぶりに笑ったように感じるわ。


「強いな。女子おなごというものは」

「ええ、殿も油断しておられたら尻に敷いてしまいますよ」

「ははは。それは敵わん」


 本当に、こうして笑う殿は久しぶり。


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